終戦間もない頃(昭和32年)、東京砂川基地に拡張反対のデモ隊が侵入した事件があった。いわゆる砂川事件である。この事件は、第一審の東京地方裁判所は、基地の存在を認めた日米安保条約の違憲として無罪を言い渡した。
これに対し最高裁判所は、一審判決を破棄し合憲判断を下した。これを巡って、当時の駐日米大使や政府高官と最高裁判長官が事前に密談していたことが、米国立公文書館で発見された。政府高官とは藤山愛一郎外相で、最高裁判所長官とは田中耕太郎である。
当時はの安保改定(昭和35年)を目前にした時期で、アメリカが日本の御製と司法に介入して いたことが判明したといえる。内政干渉もいいところである。
裁判は、アメリカの思い通りの判決がくだされ何事もなかったように、50年の歳月が流れている。ちなみにこれを探し出したのは、国際問題研究者の新原昭治氏(76)である。他の文献を探している最中で見つけたとのことである。
それにしても、今回の名古屋高裁の判決のように、、明確に自衛隊のイラク派遣が憲法違反と判決が出されても、政府は全く気にしていない。司法の政治判断の軽さは、あるいは偏向はこの時期はじまったのではないだろうか。