平成7年に起きた、国松警視庁長官狙撃事件が時効を迎えた。当初から、警視庁はオウムに標準を当てて捜査をしていた。一旦逮捕した人物も立件されることなく釈放された。周辺の聞き込みも、時間から数年経って行われたりと、かなり杜撰であった。
オウムを一網打尽にすると、その中から班員を特定できるとの思惑があったようである。公安が主体になって取り組んだことも、犯人を追い込めなかったことへと繋がっている。
この事件は大きな問題があるが、時効を迎えて警視庁の取った態度が非常におかしい。犯人を検挙できなかった悔しさがありありである。自らの組織のトップを、白昼に狙撃されたのである。感情的になるなと言っても、面子は丸つぶれなので判らなくもない。
時効を迎えて、警視庁は犯人は捜査結果からオウム信者でることを強調したのである。しかも。、イニシャルで特定された人物を次々と実行犯としての役割や関わりを、文章にしてホームページに載せたのである。これはいかにもおかしい。
オウムのを引き継いだ団体がこれに抗議声明を出した。立件されず犯人を特定できなかったのに、オウムの犯行と決めつけるのは不法行為であると抗議している。オウムなど擁護するつもりはないが、これは彼等の主張が正しい。
所詮世間から隔絶された警察官僚たちである。民間の常識を持ち合わせていないのも、仕方ないかも知れない。