「先住民族」(Indigenous peoples) とは、ある土地に元来住みついている人間集団のことである。とくに、外来の侵略者や植民者から区別して呼ぶ場合に用いられる。 Wikipediaより
しかしことはそれほど単純ではない。国境などなく自由に往来していた先住民族は、抗争や天変地異や民族性などもあって、長い間の入れ替わりも珍しくはない。
多くの日本国民は、北海道はアイヌという先住民族がいると思っているが、それはそれで一義的に間違ってはいない。しかしそれだけではない。
上図を参考して頂きたい。「アイヌの真実」北原モコットゥナシ・谷本晃久監修:ベスト新書1,300円+税の図である。
北海道は13世紀ころまでは、上図のような民族が棲み分けていた。オホーツク文化(擦文文化)を形成していた民族は、文字は使っていなかったし、可成り古くその後アイヌの進出も有ったりと、遺跡などから得られる情報も少ない。簡単な焼き物が使われ、ヘラで擦ったような模様から、擦文文化ともよばれる。千島や樺太を行き来する海洋民族であった。
日本海側に勢力を伸ばし秋田あたりまで進出したが、阿倍比羅夫の日本政府などに追われたようである。
アイヌとの抗争があったようではないが、一部は吸収された可能性もある。樺太や大陸に渡ったりしたと考えられている。上図右下の女性像は、セイウチの牙を使った女性像であり、小麦の栽培も確認され文化程度は決して低くなかったと思われる。
オホーツク人は北海道東部に、千年以上住んでいたが、13世紀に消えてしまう。一方アイヌ人の多くは関東、東北圏から、追われるように北海道にたどり着き、全道に棲むようになって明治維新の時でも700年しか経っていない。
もう少し遡ってみると、4万年前にアイヌ民族などは樺太から南下して、本州まで至っている。本州も北海道も日本だとすれば、多くは中国平原から渡ってきた大和民族よりも、1万年以上も早くたどり着いていたことになる。
道南を領地をする江戸幕府、松前藩はアイヌ民族とコシャマインの乱、シャクシャインの乱、クナシリ・メナシの戦いなど、いくつかの和人との戦いを起こす。しかし、クナシリ・メナシの戦いで直接戦った松前藩の下級武士は、東北アイヌの流れをひく武士が多かったと言われている。民族は単色ではない。
確かに現代だけを見てみると、近代化の中でどうか去られてきたアイヌ民族を、先住民族として国は認定するの一定の理があるとは思われる。民族は均等に文化や武力を発展させるものではない。特に先行して権力構造や社会体制を築き上げた民族が、近隣民族を平定するのが歴史の常である。決して侵略した民族が優れているというものではない。21世紀になり、環境の悪化などは多くの少数民族のアイヌ文化などが多くの示唆を与えてくれている。
日本を大和民族の単一国家と自認し、異文化を排除する皇国史観が未だにた捨てきれないのが、難民を受け入れないなど異文化を排除する思想の根底になっている。しかし具に見ると、日本も多民族国家であるといえる。
北海道十勝の浦幌町で開催された、アイヌ民族の団体”パプロアイヌネイション”主催の「先住権としての川でサケを獲る権利」と題した、国債シンポジュウムが開催されたので、参加してきた。
報告は、台湾の少数民族、オーストラリアのアボリジニ、アメリカ・カナダの先住民族(ネイティブアメリカン、インディアン)から先住民の失った権利、回復した権利、獲得した法的内容について、それぞれの説明があった。
台湾には16の民族、60万人ほどがいて、国会に議席を3席与えられている。2005年に、「原住民族基本法」が制定され2016年8月に台湾総統蔡英文が、過去400年の過ち、苦痛を与えたことに原住民に謝罪している。 憲法にも明記された。
それでも原住民たちの文化権、生存権の理解が足りないとしている。魚などをとっても、制限されていると逮捕されたりしている。
この会の表題は、先住民に川でサケを獲らせろと、現社会制度を否定する横暴なようにも見える。多くの先住民族の狩猟や漁猟は生物の多様性や持続性を重視したものである。狩猟を制限する側の方がよっぽど問題なのである。サケを獲るのはその象徴である。
日本の先住民族アイヌは、クナシリ・メナシの戦い以降の、強力な同化政策で、言葉も文化も権利も奪ってしまっている。
オーストラリアのアボリジニの文化的漁猟を認めるようになってきている。で、アボリジの文化を認めさせアワビとロブスターの漁猟をみとめてている。
アメリカでは独立宣言時に、各部族と条約を結んでいる。疑似国家には制限されながらも、大きな権限を持たされている。
人権や環境問題や文化的な誇りなど、先住民族に学ぶことは少なくない。
太平洋戦争の終結を国内で一番喜んだのが、北海道などに棲む先住民族アイヌ人たちである。農地解放が連合国によって、小作人に農地が戻された。北海道では、給与地返還と農地改革からの除外運動が起きていた。小作地は「旧土人保護法」でアイヌ人に不当に貸し出されたもので、アイヌ人に返還するべきというのであった。これは門前払いをしている。
同じく終戦の翌年にGHQから、アイヌ部族の長が4名呼ばれて、アイヌ独立を打診されている。呼んだのは、北海道と東北を任されていた、ジョセブ・M・スイング少将である。アイヌには独立する能力がないと4人とも断っている。
後日それぞれの部族に戻った4名は、主に若い世代から突き上げられている。長年アイヌを支配してきた日本人(シャモ)の敗北を、多くのアイヌ人はひそかに喜んでいた。農地の返還もその延長とも見える。
しかし、この4人の選択は正しかったかもしれない。既に、クナシリ・メナシの戦いを期に、アイヌ人の同化政策は最終段階を迎えていたからである。言葉も文化も名前も奪われたアイヌ人は、150年経ち民族の意識も希薄になってきていたからである。そして、米ソ冷戦の最前線に立たされていかもしれない。
同化政策の最終段階を早めたのは、「旧土人保護法」である。1899年(明治32年)に「北海道旧土人保護法」を制定した。この法律の内実は、1、土地の没収 2、漁と狩猟の禁止 3、固有の風俗の禁止 4、日本語使用の強制 5、改名して戸籍の獲得 というものであって、日本への同化政策である。本法はほぼ100年後の1997年(平成9年)まで98年間も、アイヌ民族を抑圧してきたのでる。
国連が先住民族の権利を認めるように動き出して、やっとこの法律もなくなったが、日本はキラキラしたた建物を建てただけである。台湾では先住民族のために議席が4つ国会に用意されている。多くの国ではこのような形で、先住民族の権利と誇りを守っている。観光用にか、アイヌのための建物は過去を語るばかりで、現在も未来もない形だけのものでしかない。
現在同じような同化政策が、中国で行われているが、日本のアイヌのように成功した同化政策を手本に、過去の衣類や道具を並べて見せる建物をつくりのか。
幾度もアイヌの反乱の中で、最も大きな影響を国に残したのが、「クナシリ・メナシの戦い」である。1789年(寛政元年)現国後島の北海道側と現羅臼町と標津町と別海町と根室市で散発的に起きたが、明らかに計画的なものであった。武器を持たないアイヌ人たちの反乱は、相当な覚悟がないとできないと思わる。
和人(日本人)は71名(から89名)が殺害された事件である。明治維新のほんの79年前の出来事である。松前藩は制圧に乗り出したが、戦いを続けても敗北は明らかと各地の首長たちがおさえにかかった。お味方アイヌと揶揄されながらも、首長たちは安寧を選択した。アイヌの反乱者は幕府によって、37名処刑された。
その後のアイヌの平定には、南下するロシアの存在が大きかった。アイヌ人の同化政策はこうした背景で始まった。明治以降の海外進出や平定に、このクナシリ・メナシの戦い大いに参考になった。
アイヌの同化政策は、名前や言葉や狩猟などや宗教など文化を奪い、土地を奪って日本文化に迎合させたのである。この同化政策は、台湾で、朝鮮半島で、満州地域で積極的に取り入れられた。
現在、チベットやウイグル系民族に対する、中国の同化政策が全く同じである。あれ程暴力的であったとは思えないが、先住民族の宗教や文化や言葉を奪うのは同じである。
北辺のアイヌを日本の同化させることは、北辺の防衛にも役に立ったが、アイヌ人の差別政策は明治政府が「旧土人保護法」(明治32年:1899年)として、更に強めることになる。これはほぼ100年間我が国のアイヌ人を支配した。
国連の、先住民族の権利に関する国際連合宣言(2007年)によって、アイヌ人は先住民族に認定されたが、日本国内ではすっかり同化政策は成果を上げせしまっている。戦闘的でないアイヌ人は和人との交雑も進んで、我々周辺にも言葉も文化も知らない方々が多く住んでいる。
アイヌの方々は、現在でも9月にアイヌと和人の100名を超す霊を弔っている(イチャルパ、上図)。和人は何もしていない、
強権国家は世界中で、少数民族の同化をドンドン進めている。それが叶わぬとみた、プーチンのように暴力的、軍事的に支配しようとするのである。
今日は沖縄が日本に返還されて50年になる日である。
北海道新聞が先週元国会議員の上原康助氏による、沖縄独立論の草稿が見つかったと報じた。「沖縄独立の志」と題する草稿は、日本からの独立が法的に可能か検証し、米軍基地問題や経済政策なども幅広く考察した沖縄独立論であった。「日本政府が納得する独立には一国二制度を選択するのが最も現実的だ」としてかなり具体的ではある。
沖縄を理解するためには、大日本帝国に併合された1872年(明治5年)の琉球処分まで遡及しなければならない。琉球王国は中国と日本の狭間で、この2大国を巧みな外交で乗り越えてきたが、清朝が欧州の列強に疲弊する狭間に日本が強制的に併合したといえる。その後は経済的にも政治的にも日本に従属され、太平洋戦争では悲惨な地上戦に晒され、その後の米軍占領そして世界最大の米軍基地を置かれたままである。返還は通貨などが統一されたに過ぎない。未だに沖縄は占領下にあり、日本の属州であって独立さえしていないといえる。
終戦の翌年の春、北海道駐留のGHQスウィング少将が、設立されたばかりのアイヌ協会の小川佐助ら幹部4名を呼びだし、蝦夷地をアイヌ共和国として独立を促している。古老クラスの彼らは統治能力がなく無理と判断したが、これに若いアイヌん人たちは強く反発した。
前年に農地改革の対象にアイヌを加え、有志が東京まで赴きマッカーサーに土地の返還を歎願している。この場でも独立の意思が打診されている。
小川たちは自分達には統治能力がないと判断し頓挫している。狩猟民族のアイヌ人たちには好戦的ではなく、広大な蝦夷地に散在し民族間の結束もそれほど強いものはなく、長年和人に統治されてきていた。少なくとも琉球ほどのまとまりはなかったといえる。GHQの提案を受けていれば、和人は本土に戻され強大な権力の支援を背景に、アイヌ共和国は国家として存在していた可能性もあった。
旧土人保護法が、アイヌ人の権利と財産と文化と土地を奪った。和人はアイヌから広大な土地をとりあげ、今では千島ですら固有の領土と主張している。
文化も経済力も均等に世界中発展するわけではない。そのことが強国が途上国、弱小国を併合するのである。21世紀にもなって未だに侵略する国家が現存することが哀れでならない。日本が多民族国家であることを、多くの人は忘れてしまっている。
本ブログは開設してもう10年になる。昨日今日へのアクセスが当然多いが、何かの目的で検索して呼ばれる方も少なくないようで、何度も見られるのが、北海道の150年はそのままアイヌ抑圧の歴史であるという、2年前の記事がよく読まれている。
私たちは、北海道アイヌの歴史を私たちは全く学んでこなかった。アイヌ人は蝦夷(蝦夷)と言われ、江戸時代頃には関東周辺にまで住んでいたが、明治維新後の150年に限ってアイヌは抑圧されていたわけではない。
今回、釧路アイヌ懇話会主催による、「道東アイヌ民族」と題した3回の渡る文化講座に
アイヌの蜂起には、〇コシャマインの戦い(1457年~1525年)、〇シャクシャインの戦い(1669年)、〇クナシリ・メナシの戦い(1789年)があり、三大蜂起と言われている。今回は道東のアイヌということで、クナシリ・メンシの戦いについての学習であった。前の二つの戦いは松前藩に近く、民族としての圧政に対する蜂起の戦いであった。
江戸幕府末期のクナシリ・メンシの戦いは、過酷な労働をアイヌが幕府に訴えていたが、それに耐えかねて和人71名を殺害している。クナシリ(国後島)22人、メナシ(羅臼、標津町辺り)49人を殺害した。これに対し松前藩は、クナシリ14人、メナシ23人の計37人を処刑している。
これに対し、(上図の左から)アッケシのイコトイ、クナシリのツキノエ、ノッカマップのションコの首長が、松前の処分を容認した。お味方アイヌと呼ばれた酋長たちは、戦力の差を知っていたことと、南下するロシアや中国などとの交易を行っていて、権益を持っていたこともある。蜂起した若者たちは裏切りに見えたことであろう。ロシアとの交易でロシア正教の影響を恐れ、松前藩は宗門改めまでやっている。
クナシリ・メンシの戦いはおよそ150年後の1930年に起こった、日本統治下の台湾の霧社事件に酷似している。お味方アイヌは、松前藩家老の蠣崎波響の絵、夷酋列像の12人の長の、中国ロシアの豪華な衣装をまとった絵で高く評価されている。
道東アイヌの制圧は、明治維新後の周辺諸国への進出のモデルになったともいえる。先住民の言葉や名前や文化、文明を奪い同化政策を日本政府は行った。20年前の国連の人権宣言を受けて、台湾でもオーストラリアでも先住民族への謝罪と再評価がなされている。日本もオリンピックに向けて、ようやくアイヌを先住民族と評価し、ウポポイなどを作り開会式のセレモニーにも入れた。しかし、世界には中国のように先住民族、少数民族の同化政策、人権蹂躙が間断なく行われている。国内問題と中国政府は少数民族の人権など国外からの抗議を、受け付けようとはしない。日本は抗議する前に、自国の先住民族の歴史を教育のスケジュールに乗せるべきである。純日本料理のような昆布の歴史や、北前船寄港地が栄えた日本海などの存在と背景を、しっかりしておくべきである。
文字を持たなかった民族の歴史は脆く弱く儚い。上記の歴史、反乱内容も和人の一方的なものでしかない。
二年前の私のブログのアクセスが絶え間ない。北海道のアイヌ民族に関する記事である。明治維新から150年経つが、同時にそれは会うぬ民族への抑圧の歴史であるという内容である。アクセスが多かったのは、国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設通称ウポポイ(民族共生象徴空間)はきょう開設されたためであろう。先住民族への侵略行為は台湾の漢族の政権が謝罪した現実が語るように、国連人権宣言が大きくかかわっている。世界各国で虐げられた先住民族の権利の回復と謝罪が行われている。
ウポポイは今年訪れようと思っているが、謝罪はなく、開拓の美名のもとで多くの彼らの権利を奪ってきた。
アイヌ民族らでつくる市民団体「ピリカ全国実行委員会」は札幌で行こなわれる、「北海道150年記念式典」の開催に反対し、中止を求める声明を発表している。
同実行委代表代行で、旭川アイヌ協議会会長の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんは「アイヌ民族に対する謝罪もなく、『開拓』のもとで行われた抑圧の歴史をうやむやにしたままで150年を祝うことは納得できない」と説明した。声明は、研究機関が発掘したアイヌ民族の遺骨の返還、民族の自決権や土地権などを明記した新たな法律の制定なども求めており、7月1日に道や国などに申し入れた。
一昨日市民講座、「道東のアイヌ民族」のセミナーを受けてきた。北海道全土を背景にしたシャクシャインの反乱は、松前藩の奸計によって和睦の宴でシャクシャインが殺害され終わったが、それからほぼ120年後にクナシリ・メナシの戦いが起きている。抑圧されたアイヌの反乱であるが、その一方で南下するロシアとの交易もあり、上図の三名の首長は見事に和人と抗ってきた。和人が71名がアイヌ人によって殺害された事件である。
文字がなく歴史の詳細は不明な点が多く、和人側からだけの歴史を語るのは片手落ちである。不都合な真実は隠される歴史があるが、真実はその上に置くようにならなければならない。
太平洋戦争が終わった直後に、連合軍のマッカーサーにアイヌ民族と琉球王国の末裔が独立を申し出ていたことあまり知られていない事実である。日本は単一民族でないことを、日本会議などはしっかり認識すべきである。
ニュージーランド南島の奇麗な街嫌いストチャーチで2つのモスクが、白豪主義を唱える人物によって襲撃され、50名の死者と多くの人が傷ついた。とても悲しい銃乱射事件である。テロ事件であるが、組織的ではないようで白人であることを強く意識した男の単独犯である。
ネットに反抗予告を書き込み、首相などに声明文を送り付けている。白人社会が移入者によって侵されていいるというのである。異教徒への排斥観念もあるようである。この男はオーストラリアから来て、犯行に及んだようである。
白豪主義(White Austrarlia Policy)とは、オーストラリアがとった有色人種の排斥運動である。中国人が大量に安価な労働者として流入してきたことがきっかけであるが、すべての白人種以外の民族の排斥をすることなった。
全く身勝手な白人至上主義である。白人たちはオーストラリア原住民のアボリジニを迫害し土地を略奪し、奴隷として使ってきた侵略の事実に蓋したままである。
それでいて、今度は移民政策によって自分たちの生活の場がなくなる、奪われるとは理不尽な主張でしかない。白人が排斥した歴史は正当化したままなのである。これは何もオーストラリアだけでなく、南アメリカのアパルトヘイト政策やアメリカの奴隷政策も白人至上主義といえる。
日本でも、このところの嫌韓、反中などといわれる、韓国や中国の人たちへの民族的ヘイトにもその歴史を伺いみることができる。今回の事件と同質のものとして、神奈川県の障がい者施設「津久井やまゆり園」の襲撃事件がある。実行犯は、障碍者を不要の存在と排除すれば、政権から支持を受けると思っていたのである。
これだけの国境を越えた交流があれば、いずれ民族意識は薄れてなくなってゆく。国家に対する意識も同様である。民族や国家で人を差別どころか排除したり、今回のように殺害することは、自らが思い込んだ蔑んだ民族の以下の存在になていることに気が付かなければならない。
今年北海道は開拓150年である。明治と同時に北海道は開設され、明治と同じ年限となる。北海道と名付けられた蝦夷地は先住民族がいた。アイヌ人である。狩猟民族のアイヌ人はしばしばジャモ(日本人)と諍いを起こしていたが、武力で劣るアイヌ人はしばしば日本人の奸計などで制圧させられている。もっとも有名なのが、「シャクシャインの戦い」である。多くの民族を束ねてシャモと戦ったシャクシャインは、和睦の酒宴の席で殺害されている。この他にも多くのアイヌ人の蜂起があるが、日本史ではほとんど教えることもない。
明治政府は北海道を日本に取り込み、1899年(明治32年)に「北海道旧土人保護法」を制定した。この法律の内実は、1、土地の没収 2、漁と狩猟の禁止 3、固有の風俗の禁止 4、日本語使用の強制 5、改名して戸籍の獲得 というものであって、日本への同化政策である。本法はほぼ100年後の1997年(平成9年)まで存在していた。つい最近までである。アイヌ人から言葉も名前も文化も生活圏も民族の誇りすら、日本人は奪ったのである。
アイヌの友人がいるが、幼いころから学業でも社会にでても見た目にわかる顔立ちで、差別を受け続けていた。彼らの話を聞くと、憲法に抵触する差別の連続であった。アイヌ人は、保護とは名ばかりの法律の下、みじめな暮らしを強いられてきた。
私たちは日本を単一民族として教えられてきた。大和民族はアイヌへの侵略などをしていたなどとは、教えてもらえなかった。ほぼ同時代の島原の乱は僅か100日ほどで平定されている。シャクシャインの戦いは、雌伏期間を入れると30年近くの戦いで、しかもほぼ北海道全土で天草の限定地に比べてその広がりは比ではない。日本史で扱いは全く異なっている。
日本人の異民族への意識は、アイヌ人を制圧した武士に与えられた、征夷大将軍の称号に始まると思われる。近代になって、東南アジアの中で民族としての優位性を誇示する意識もこの頃醸成されたものではないか。
<下記は、北海道新聞の記事である>
アイヌ民族らでつくる市民団体「ピリカ全国実行委員会」(事務局・札幌)は17日、道庁で記者会見し、8月5日に札幌で行われる「北海道150年記念式典」の開催に反対し、中止を求める声明を発表した。
同実行委代表代行で、旭川アイヌ協議会会長の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんは「アイヌ民族に対する謝罪もなく、『開拓』のもとで行われた抑圧の歴史をうやむやにしたままで150年を祝うことは納得できない」と説明した。声明は、研究機関が発掘したアイヌ民族の遺骨の返還、民族の自決権や土地権などを明記した新たな法律の制定なども求めており、7月1日に道や国などに申し入れた。
私たちは今一度日本国内の、侵略と抑圧それに続く差別意識の存在と歴史を知るべきである。ましてやそれが戦前の国粋主義、八紘一宇や大東亜共栄圏思想に直接拘るものであるなら尚更である。
小さな記事であるが、台湾の蔡英文総統は8月1日、総統府に台湾先住民族の代表者を招き、「過去400年にわたり皆さんが受けてきた苦痛と不公平な待遇に対し、政府を代表して謝罪する」と述べた。これは画期的なことである。日本などの先進国では、早々と国家という存在を作り上げ法整備や税制度などの統治と領土を確定させた。
ところが世界の多くの地域では国家などという概念などなく、部族やせいぜい民族として統治していた程度である。それを特に優れた武器などを駆使して、後進国を統治、占領、収奪してきた経緯がある。先住民族の人権はもちろんのこと、資源を収奪し富を蓄えてきた。欧州各国は中東に対しての責任はいまだに尾を引いている。特にここは石油という巨大な資源が富となったことが、更なる不幸を生んで、現在に至っている。
先住民族派支配されながら、多くは抵抗すらままならなかかった。北海道も狩猟民族のアイヌなどの民族を大和民族(シャモ)が支配した。それは歴史から抹殺され、私たちは20年にも及んだ『シャクシャインの戦い』すら教科書で教えてもらうことがなかった。日本史から摩擦したのは、大和民族にとって都合が悪い事実だからである。シャクシャインは松前藩に勝利したが、和睦の酒宴の席で奸計によって殺害されている。
日本の国有林の90%は北海道にある。少数民族を支配した新たな支配者は、財力で巨大なサイズの農鉱業を展開する。オーストラリアや南アメリカがそうであるし、規模が小さいが北海道も同じである。ウクライナ地方もロシアによる支配が、特に東部の工業を合理的に発展させてきた。先住民族のクリミアタタールを追い出して、長年ロシア人が住んでますと主張してもわずか150年ほどでしかない。それがクリミア半島をロシアが併合する理由になるのは大国の我が儘、狭量なナショナリズムである。
台湾には、彫が深くフィリッピンやさらに南のポリネシア系に近い先住民族が住んでいた。漢族が低地の肥沃な地域を支配し、彼らを山岳に追いやった。400年経って漢族の領土と主張する中華人民共和国(大陸側)に比べて、中華民国(台湾)の蔡英文大統領の謝罪は画期的であるといえる。
蔡総統は「いずれの政権も武力を使って先住民の既存の権利を強烈に侵害してきた。和解の責任は政府にある」と述べ、先住民の自治確立や伝統文化の継承などに向けて尽力する意向を示した。具体的な内容は不明であるが、こうした姿勢を高く評価したい。
日本でもつい19年前まで、98年間も「旧土人保護法」なるものがあり、アイヌ民族を土人と呼び虐げ権利や資産を奪ってきた歴史がある。ユダヤ人は2千年経って権利を主張するようになった。
国家というものの形を、現在の国の枠だけ捉えていては、都合のいとこだけ集めた歴史の上にしか国家観を構築できない。狭量なナショナリズムを展開するのが日本では、近隣国家に対立と排他性を露にすることになる。狭量なナショナリズムは、現安倍政権を支配している。改造内閣は更にそれを鮮明にし、軍国化を目指している。
ところが世界の多くの地域では国家などという概念などなく、部族やせいぜい民族として統治していた程度である。それを特に優れた武器などを駆使して、後進国を統治、占領、収奪してきた経緯がある。先住民族の人権はもちろんのこと、資源を収奪し富を蓄えてきた。欧州各国は中東に対しての責任はいまだに尾を引いている。特にここは石油という巨大な資源が富となったことが、更なる不幸を生んで、現在に至っている。
先住民族派支配されながら、多くは抵抗すらままならなかかった。北海道も狩猟民族のアイヌなどの民族を大和民族(シャモ)が支配した。それは歴史から抹殺され、私たちは20年にも及んだ『シャクシャインの戦い』すら教科書で教えてもらうことがなかった。日本史から摩擦したのは、大和民族にとって都合が悪い事実だからである。シャクシャインは松前藩に勝利したが、和睦の酒宴の席で奸計によって殺害されている。
日本の国有林の90%は北海道にある。少数民族を支配した新たな支配者は、財力で巨大なサイズの農鉱業を展開する。オーストラリアや南アメリカがそうであるし、規模が小さいが北海道も同じである。ウクライナ地方もロシアによる支配が、特に東部の工業を合理的に発展させてきた。先住民族のクリミアタタールを追い出して、長年ロシア人が住んでますと主張してもわずか150年ほどでしかない。それがクリミア半島をロシアが併合する理由になるのは大国の我が儘、狭量なナショナリズムである。
台湾には、彫が深くフィリッピンやさらに南のポリネシア系に近い先住民族が住んでいた。漢族が低地の肥沃な地域を支配し、彼らを山岳に追いやった。400年経って漢族の領土と主張する中華人民共和国(大陸側)に比べて、中華民国(台湾)の蔡英文大統領の謝罪は画期的であるといえる。
蔡総統は「いずれの政権も武力を使って先住民の既存の権利を強烈に侵害してきた。和解の責任は政府にある」と述べ、先住民の自治確立や伝統文化の継承などに向けて尽力する意向を示した。具体的な内容は不明であるが、こうした姿勢を高く評価したい。
日本でもつい19年前まで、98年間も「旧土人保護法」なるものがあり、アイヌ民族を土人と呼び虐げ権利や資産を奪ってきた歴史がある。ユダヤ人は2千年経って権利を主張するようになった。
国家というものの形を、現在の国の枠だけ捉えていては、都合のいとこだけ集めた歴史の上にしか国家観を構築できない。狭量なナショナリズムを展開するのが日本では、近隣国家に対立と排他性を露にすることになる。狭量なナショナリズムは、現安倍政権を支配している。改造内閣は更にそれを鮮明にし、軍国化を目指している。
今日この頃のこの国の最大の関心事は、北朝鮮問題である。ミサイル発射の国連安保理会でどうなるかとまるで蜂の巣をつついたように騒いでいる。北朝鮮問題の本質は、この隣の最貧国が、唯一の被爆国にとって核兵器を持つことが本来の問題である。拉致にしても、さらった国が悪いのは当然であるが、国民を守ることさえできなかった日本の貧相な思想がまず問題である。友人が「横田めぐみ」さん事件の事務局を立ち上げた頃は、日本政府はまったくの玄関払いであった。日本が国民を守ることさえできなかったことが最大の問題ではないのか。この国はどうやら過ぎたものはすぐに忘れるように心がけているかに見える。
少し前までは、隣の子どもを絞め殺した女が騒がれていたが、そういえば家の中から5人もの死体が出てきた事件や、家に火を放って親兄弟を殺したりした高校生や大学生はどはどうしたのか。あんなに騒いでいたのに、忘れてしまったのかもしれない。そのうち拉致問題も、そんなことがあったっけなんて時代が来そうである。
現に、牛肉問題などはすっかり忘れ去られている。「安けりゃ買うさ」(6月24日)で書いたように、BSE検査なんてどこ吹く風ということになる。この国の人たちは安い方を買うのに決まっている。安全なんて忘れてしまうさ。食料自給率や食の安全は誰かが騒いでいたり、問題が噴出したときにしか気にかけない情けない国家である。
羅臼港
春誓い羅臼港