そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

夫婦別性を支持する、選択制を導入すればよい

2020-11-20 | 出産・育児

夫婦が同姓でなければならないと規定されているのは世界で日本だけである。同性の方が慣習的に落ち着きがあるが選択性にすればよい。このところの女性の社会進出を見ていると、姓を変えると様々な障がいが起きる現実にある。知人の中には事実婚のまま、籍を入れることなくお互いの姓を名乗っている人がいる。免許証などの紹介など公的な問い合わせなどがない限り、周辺の人達も知らない。子供がいないこともあり大きな障害も起きていない。
更に、入籍をしているが社会的な活動には、旧姓を名乗っているが大きな障害はない。この方は教師なので旧姓を使い続けることに、多少の問題はあったものの職場では戸籍姓を名乗ってはいない。他にも夫婦同姓を負担に思っている方は少なくはない。
何処の世論調査も大差なく、夫婦別性の導入を6~7割の人が賛意を表している。

日本の戸籍制度には封建時代の家長制度、{家」を社会のシステムの中枢に置く思想が強く反映されている。家長、世帯主は男性でなければならない。女は三界に家がない」と言われ、産まれては(父)親に従い、結婚しては夫に従い、老いては子(息子)に従えと教えられていた。父、夫、長男に従うその象徴、遺物が夫婦同姓である。
今春、ドタバタしながら国民一人に10万円配布されたが、配布されたのは世帯主である。世帯主が家族に配ったのである。世帯主とは、「主として世帯の生計を維持する者」となっている。文言で男性と決められていることはないが、現実は男性となっている。家長と重ねて考えても構わない。
夫婦別性を名乗ることを法で認めても、特殊な場合を除いて世帯主もなれない女性は、男女同権ではない。家制度を思想の中枢に置く日本会議は夫婦別性を強く否定している。自民党が動けないのはこのためである。
その風習が強く残っているのが農協の組合員制度である。日本の女性の社会進出は少ないとはいえ以前に比べると格段に良くなったといえる。女性社長や知事や市長など、その下の部課長などにもちらほら女性が顔を見るようになった。ところが絶対に増えないものがある。農協の役員である。農協の組合員は家長か次の課長、すなわち男性にしか権限は与えられていない。寡婦や男の子供がいない場合などは別であるが、女性は農協の組合員にはまずなれない。
夫婦の別姓、選択制にすることで、遺物とはいえ家長制度の名残がる日本から、女性の地位向上につながると思われる。選択制になった場合でも、70%以上の女性が男性の姓を名乗りたいと希望している。
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そりゃ、似て非なるものだろ

2006-07-18 | 出産・育児

わが国は少子化が深刻であるそうだ。出生率は1.29だそうで、2.07を切ると人口の減少が始まるとのことである。それに加えて、出産年齢も高くなり、少子化は人口減少を加速させている。私などは、女性の社会参加がこれに輪をかけているように見えるが、下手をするとこうした意見は時代遅れのセクハラ発言になりかねない。

0506033 酪農業は、ある意味分娩・出産率・受胎率と乳牛の入れ替え(更新率)との戦いのようなものである。簡単に言えば、早く数多く生んでくれると、効率が良くなるのである。いかに受胎させるかという繁殖こそが、酪農家の管理技術、腕の見せ所、酪農技術の基本といえる。かつては乳牛は一生に5~7回ほど分娩させたものである。

最近の、大規模で高泌乳を強いるような経営をする酪農家が増えているが、このようなところでは、平均2回分娩するような状況になってきた。高い生産性、乳量に加えて早く分娩させるために、長く生きれないのである。早い話が、2回も分娩するとボロボロになってしまうのである。牛が駄目になろうが、沢山の量を搾って出荷した方が儲かるからである。

人も乳牛も1、2回しか分娩しなくなったが、数字は似てはいるが、内容はまったく異なるものである。乳牛は弱くなって、人の女性は強くなった。・・・これもセクハラ発言になるか?

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牛も人も無情な時代か?

2006-07-10 | 出産・育児

Naka 最近目に付くのが、子どもの家族に対する暴力である。親から注意されたり咎められて、親を刺したり家に火を放ったりと、一昔前なら考えられないような事件が相次いでいる。子どもが親の言うことを聞かないばかりか、親の命を奪うというのは信じられない。その逆もかなりある。親が、子どもを虐待したり殺してしまう事件である。

日本の法律は、古い言い方であるが「性善説」に基づいているような気がする。犯罪を犯した人たちには理由があり、犯罪は非情でも環境が良くなかったのだということである。つまり環境を改善すると犯罪者は立ち直るという考え方である。ところが、現在起きている親殺しなどは、誰もが羨むような立派な家庭であることが少なくない。むしろそうした家庭の方が事件が頻発しているかに見える。衣食足りて礼節を知らなくなる不思議な現象である。(拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊http://www.creatorsworld.net/okai/)衣食が足りると、もっと衣食が欲しいと言うこの社会は異常でないか?

酪農の世界でも似たようなことが起きている。昔なら分娩した子牛を取り上げようものなら、親牛は一晩中返してくれと”モーモー”鳴かれたものである。ところが、いつとはなく子牛への愛おしさがなくなってきた。ひどい牛など分娩している最中の餌を食っていたりもする。子牛を取り上げてもまったく見向きもしない母牛も珍しくもなくなってきた。親子の絆が淡白になってきたのは、乳牛たちの食が足りすぎるためだろうか??

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羅臼港

春誓い羅臼港