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日本が戦後一貫して容認してこなかった集団的自衛権の行使を、昨年7月1日に仲間内だけの論議で閣議決定し、その実行のために法制化する。日本という国の容がまるで変ってしまう。国家の基盤となる憲法を変えることなく解釈を恣意的に変えるだけなのである。こんな浅薄な作業で国の容を変えようというのである。これほど大きな出来事が目前に迫っているのに、この国の報道の仕方は緩慢である。
共同通信社の世論調査の結果は、国民が集団的自衛権容認に対して、異様な感覚を抱いていることが判る。危機感すら抱いていると思われる。更に、実態を正確の報道されるようになれば、更に反対者は増えるものと思われる。
自衛権とはこの100年ほどの戦争の主な理由になっている。簡単に言えば、相手国が悪い、だから我が国は正義の名においてとか、国家のたま国民のためとか言う理由で、止む無く戦争をするというのが、自衛権と呼ばれるものである。
これが集団的、つまり同盟国同士で助け合うとなれば、戦争の理由などどうでもいいことになる。同盟国を守ることが、自衛権と呼ばれるこの不思議さは、戦力を持たない日本という国家がやることなのである。解約を変えることで、戦争ができる国家へと変貌する、不思議な作業をする安倍政権を容認できない。この作業を安倍政権は、積極的平和主義と呼ぶ。この呼び方も不思議である。平和主義者は銃など手にしない。
この積極的平和主義者は、どんどん国防費を増やしている。平和主義の内容が虚偽であることが判る。
安保法制の審議そのものを容認できない。