民間の原発事故独立検証委員会(北沢宏一委員長)による、福島原発事故当初の、聞き取りによる調査報告書が提出された。期待は持ってはいなかったが、やはりという感じである。
まったく原発は事故を起こさない前提で、東電はもちろんのこと原子力安全員会や、政府とそれを取り巻く官僚たちにも事故に対する対応の何物も用意されていなかったことが判った。
中途半端に知識を持つ理系のイラ菅首相だけが、際立って騒いでいたことも滑稽ですらある。事故報告の流も決められたおらず、東電からの報告が上がってこな。菅首相は自らの知人や専門家などを、首相補佐官に据えてみたものの、何の権限も組織の中に持たない存在でしかなく、結局は報告や対策を遅らせたに過ぎない。
斑目原子力安全委員長に至っては、菅首相に水素爆発はないと、咄嗟に答えたものだから、その直後に起きた水素爆発を認めることすら、戸惑っていたようである。自らの立場をわきまえない、無責任極まりない委員長である。
現場では、爆発に対する恐怖の様子が、当時の関係者の話から伝わってくる。基本的な対処方法も危機意識も用意されていなかったことが、報告書から見て取れる。現場の作業員は、恐れおののいていたようである。
枝野官房長官は、東電が不都合な事実を外部に出さないため、針のムシロのような会見を重ねた苦悩を語っている。内容のない会見は、その後に「直ちに影響のない放射能レベル」という無根拠の会見報告を重ねさせた。
メルトダウンの可能性を早くから指摘していた、保安院の中村審議官の交代は、実質的に更迭であったと、報告書は認定している。
何よりも象徴的なのが、アメリカのテロ経験による原発への対策の忠告である。原子力ムラはこの勧告をまったく取り入れなかった。無視したのである。応じて言えば電源の確保については何、らかの対策が講じられていた可能性があった。
報告書は、首相の介入に疑問を持たせているが、東電の抵抗が彼をイラつかせた事実は見逃してはならない。
今回の原発事故対応に関係する、ほとんどあらゆる組織で機能していなかったことが判明した。こうした責任の分散やもたれあいや先延ばしは、日本の官僚の得意とするところである。報告書内容に、只々失望するばかりである。