国家とは近代になって、主に西欧の思想や歴史や制度によって、相互に認め合うことで成り立っていたものである。領土はあるか、税金は徴収しているか、法体系は存在するか、権力機構はどうかなどである。
それも最近のことである。200年ほど前にはそうした共通の認識などなかった。民族や宗教や経済活動などによって出来上がった、地域集団が国家へ成長する過程のようなものしかなかった。
経済大国になって最近中国は元気がいいが、台湾など漢族が移住し始めたのは400年ほど前である。台湾の多くの民族は、山岳地帯に追いやって、漢族が低地に居座ったに過ぎない。
侵攻した方も逃げた方も、国家の概念もなく、武力による制圧を双方とも認める時代であった。
この頃問題になっている、尖閣諸島(魚釣島)などはもっといい
加減である。絶海の孤島を、占有する理由は武力を持たない平和な、琉球王国には持たなかった。単なる漁場としての経済圏でしかなった。
中国も同じである。国家が領土を手放すことは、まず考えられない。国家とは横暴なものである。とりわけ利権をめぐっては妥協などすることはまずない。
とりわけ最近の中国には、制御機構がない。極めて強力な中央集権国家であり、あらゆる権限が共産党に集中しているからである。
世界第2位の経済大国になってからは、横暴である。それまでなかった海洋支配を強めている。ソ連の中古品の航空母艦を整備して、唯一の東方の海の支配に出た。いよいよ本気なのであろうか。
民意の反映ない中央集権国家に、日本が武力で対抗できるわけがない。従来のアメリカ依存も、国債を半数も持たれているようでは、中国に対抗できるわけがない。
日本はこの60年間、世界で最も横暴な武力国家と付き合ってきた。アメリカである。軍事大国になった中国とも、平和憲法を持つ日本には、非暴力的にやっていける方策はある。
固有の領土などという表現は歴史認識に欠けるもので、少数民族などの存在を否定するものである。ましてや、領土問題は存在しないなどと、硬直した姿勢では何も解決はしない。