そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

遺伝子解析は民族を科学的に否定する、そして脆弱なホモ・サピエンスへの警告書でもある

2024-05-18 | 人類

シークエンサーの発達には凄まじいものがある。とりわけコロナの世界的な蔓延がそれを加速させ、遺伝子解析が驚異的な飛躍をした。それがそれまでの、人類学が頭骨などの形態や大きさ、それに様々な類似性と非類似性によって人類学は権威者によって築かれていたが、それを遺伝子解析はガラガラと崩した。それは今でも現在進行形である。
人類学の権威、長年の常識と思われた通説さえも、若い理系の研究者がいとも簡単に切り崩す現象が起きてもいる。
「人類の起源」は一昨年の暮れに発売されて、驚異的な販売部数重ね、この種の科学本では珍しく版数を重ねている。私は発売とほぼ同時に購入したが、現在10版を重ねている。驚くべき現象である。
著者の篠田謙一氏は遺伝子解析の国際的第一人者で現国立科学博物館館長である。 人類の来た道を辿ることで、民族を徒に主張し合うことの無意味さを学んでほしいと思う。
プーチンが主張するロシア民族とは、化学的には全く峻別不可能なたった千年足らずのものでしかない。全世界の民族に解いてもほぼ同じようなことが言えるのである。
数は同署からのものであるが、約1万年間にドニエプル川氾濫原の現在のウクライナ周辺のから起きたヤムナム文明は、南へ北への広がっている。僅か1万年前のことである。日本で言えば縄文文化の切れ目頃であるが、それを全く異なる存在として、武器を取り殺戮する理由になるのかと思われる。
本書からホモ・サピエンスは一種であること、そして程なく滅亡する存在であることを学んでいただきたいものである。

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「生命の網の中の資本主義」やっと金で資本主義を論じない本がでてきた

2022-01-15 | 人類

局所的には難解の極みであるが全体としてみると、資本主義を金だけで論じることのない本がやってでてきた、画期的な本といえる。
生命の網のなかの資本主義」[Capitalism in the Web of Life : Ecology and the Accumulation of Capital ]
ジェイソン・ムーア著 東洋経済新報社刊であるが、600ページはともかくとして、税込み 4,180円は高い!
新型コロナによるパンデミック前に書かれた本であるのが残念であるが、こうした事態の予測も本質はついている。
巻頭解説を、空前の大ベストセラーになった「人新の資本論」を著した斎藤幸平氏が書いている。斎藤氏は自説の資本主義の限界と資本論の正しさを述べて本書を称賛している。資本主義は絶えず「外部」が必要なシステムであると、自説と重ね合わせて、斎藤はムーアを支持する。

本書は経済書というよりかなり哲学的で難解である。資本主義と自然は相互に貫入した存在とムーアは指摘する。安価な自然戦略が、労働生産性を引き上げる手段として商品化されていない自然を収奪してきた歴史が終末を迎えたと、現在を捉える。18世紀からの資本主義は利潤を求めて安価な自然を破壊してきた。資本は対価が支払われない自然の修復をしなければなくなっている。
これまで社会のシステム(経済活動など)は自律的なものとして存在し、自然のシステムはそれとは別に考慮に加えられるべき外的な制約条件と捉えてきたとムーアは指摘し、地球温暖化は資本主義全体にとって喫緊で直接的な脅威となっているとする。
資本主義には具体的な空間や地域や資源の広がりがなければ成長することができないのである。経済あるいは資本は、地球の資源が有限である限り、自然から制限を受けるのである。資本主義の最大命題は成長である。成長がなければ資本主義は存在しないと同じである。成長の指標は金銭的対価である。有限の空間を広げているのではなく、破壊し続けているのである。
本書は同類の現象の繰り返しを難解な表現で説くが、俗人には冗長なきらいがあり高価であることもあり、特段興味の高い方以外はお勧めの本でもない。しかし、ようやく金で資本主義を語らない本が出回ってきた感がある。
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新型コロナによるレジリエンスが展開する新たな世界

2021-01-11 | 人類

あらゆる生物は進化し新たな環境に適応して生き延びて現在に地球上を彩っている。適応しなかった種は現存していない。この進化は均一に低方向に変化してい来たのではない。多くの要因があるが、もっと大きな縛りで見るとその抑圧要因、不利な因子であるが、レジリエンス(Resilience 弾性:弾き返す力:復元力)といわれるものが、新たな展開を促しているのである。勿論回復どころかそのまま潰れるものもある。レジリエンスが選択したともいえるし、

家畜を育成の段階でとても衛生的に飼養管理することを指導者は支持する。私たち獣医師も同様である。風邪や下痢の原因になるからと指摘する。ところが、屋根だけのふきっ晒しの育成舎で育てられた子牛は、あまり大きくはならないだろうし乳牛であれば乳量も期待できないが、なんといっても抗病力があり強い親牛に育ち長く生きてくれることを私たちは経験的に知っている。
イギリスの研究者は家畜に接触する機会の多い酪農家の子供に、アレルギー疾患が極めて少ないと報告している。寄生虫学者の藤田紘一郎博士は、腸管の寄生虫が多いほど感染病に強くやアレルギーなどにならないと述べている。いずれも寒冷感作や病原菌などに恒常的に接触するというレジリエンスが強くさせているのである。
レジリエンスはヒトの世界では心理学にも用いられ、かつてのストレスという言葉に置き換えられつつある。人類学では大きな局面と思われる事象はレジリエンスと説明され、ホモサピエンスは大きなステップとして進化を加速することになる。

COVID-16、新型コロナが世界を席巻しているが、これは人類史上にこれから先幾度もあるであろうレジリエンスの一つと呼んでいいと思われる。人々が経済活動の効率を求めて、築き上げてきた社会への警告である。私のように田舎に住んでいれば、一度に10人以上を目にすることはまずないし、外食もほとんどすることもない。今回のことで改めて知ったことがある。都会の人たちは家庭内で食事をすることがほとんどないことである。ほぼ毎日外食をしていることが驚きである。食に関する感性の低下が無関心を呼び、食料自給率を下げるバックグラウンドになっているのかと思われる。
経済活動とウイルス対策を対比する愚かな作為は論外である。経済の効率の追求が、人々を田舎から都会に集中させて、一次産業を疲弊させた結果が現代社会である。新型コロナウイルスはそうした人々への警告である。そうした経済効率を解り易く示してくれるのが、採卵鶏の飼養形態である。密どころか動くことも許されず、夜昼も季節感も遮断された空間で知らされず、与えられた餌を食べ卵を産むだけの、なんという効率化であるか。こんな養鶏場の一つが昨年暮れに、鳥インフルエンザに侵された。すべての鶏、30万羽の殺処分が決まった。正月明けまでかかっているが、こうした鶏を生命がある動物と捉えることにない、経済効率主義への報復ともいえる。
効率を求め都会へ人を集めた資本主義、とりわけ新自由主義こそが新型コロナの横暴を許しているのである。更には、多種多様の移動機器を開発し、気候や風土季節とは無関係に移動し、人間の我儘と満足のために菌を世界の隅々まで届けてしまうのである。

余談であるが、新型コロナによって起きたキレイキレイは、新たに抗病力の減少を加速さすことになるだろう。とりわけアレルギー体質は間違いなく深刻になり数を増やすことになるであろう。
レジリエンスはウイルスの側にも当てはまるロジックであることも忘れてはならない。金銭的効率の追求があたかも真理のごとく掲げることを今一度見直さなければならないだろう。新型コロナの警告は、経済効率至上主義への警告であることを理解しなければ、この難局をレジリエンスとし得ないことになる。
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人は進歩したのか?

2007-03-18 | 人類

5000年前の若い男女の抱き合った死体が発掘された。しっかりと抱き 合う姿は、感動Couple_still_hugging_5000_years_on01的である。有史は、おおむね5000年とされている。このカップルはその間、ずっと抱き合ったままだったのである。

一方人類は、この有史の間に文明を大きく発達させてきた。

遠くにいけるようになったし、空も飛べるようになった。文字を使うようになったし、映像も残せるようになったし、他人へ思いや感動を伝えることも可能になったし、残すことも出来るようになった。科学を発展させて、多くの真理を解明してきた。

少しの力で大きなものを動かすことも出来るようになったし、見知らぬ多くの人たちへメッセージを送ることも出来るようになった。

そのために、それがために、富を蓄えるようになったし、名誉を望むようになり地位をも欲するようにもなった。自然を支配することに喜びを持つようになった。Couple_still_hugging_5000_years_on02そのために、それがために、国家が国家を支配したいと望むようになり、平気で人を殺すようになった。そのために、それがために、武器を開発し競い合うようになった。

そのために、他人を傷つけ富を奪うようになった。そのために武器を開発した。そのために、詭弁を好きなように使うようになった。そのために、平気で他人を傷つけるようになった。

それがために、人間は戦争をし、それがために、自然を破壊するようになり、それがために、地球は傷ついてきた。

この5000年前の抱きあうカップルを見て、人類は進歩したと誰が思うだろう。

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そりゃ地球に人類は必要ないサ

2006-11-21 | 人類

かつては大学の入試問題の理科には、物理、化学、地学それに生物があった。今でも大きく変わることはない。それとなく、化学や物理のほうが優秀な人間が選択する風潮がある。理系に行く人たちの多くは、この2科目、化学と物理を選択していたものである。

立花隆が面白い分析をやっていた。実際に入試問題に出てくる原理や法則あるいは説が確立された年代を見ると興味深いことが分かる。物理の場合殆どが19世紀までに確立された法則である。20世紀になってからのものは、僅か10%程度だそうである。

一方、生物の場合は70%が、20世紀になってからのものである。しかも、第二次世界大戦後のものが20%近くあるということである。生物は、泥臭い作業の中に今尚進化、発展し続ける分野なのである。

ここにきて、21世紀に入ってから、脳学と人類の起源については目新しいことが沢山分かってきている。脳はCTなどの検査器具の発展や検査手法の確立などで、人の心の問題にまで迫っている。

人類の起源については、近年の数多くの化石の発見とDNA技術の発展がこれに寄与している。人類の定義は難しいところがあるが、どうやら700万年前に遡るらしい。

興味あるのは、人類は10種ほどはいたらしいということである。現代人のホモ・サピエンスは僅かに生き残った、その中の1種に過ぎない。多くの枝分かれした人類は、ことごとく滅びてしまった。

仮にそれらの人類が残っていたとしても、今でさえ同じ人類でいながらいがみ合っているようでは、武器を発展させた人類は他人類を滅びだせたかも知れない。現実にはそうして滅ぼさせた可能性も否定できない。

少なくとも、現在地上に残る人類は全て同種である。700万年前アフリカの片隅に種を興してから、いくつかの人類を切り捨てながらも脈々と種をつないできた、私たちはホモ・サピエンスは同種である。

私たち同じ人類が、いがみ合い殺しあう理由は生物学的には見つけることができない。同種を殺しあうのは人類だけである。更には、地上の他の多くの生物種を絶滅させたのも、人類である。もう1つ、自らの理由だけで死を選ぶ自殺も、人類しかやらないことである。

人類にとって地球はなくてはならないものである。が、地球にとって人類は不要なものになりつつある。

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羅臼港

春誓い羅臼港