そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

還暦を過ぎた森永ヒ素ミルク患者たち

2016-07-25 | 公害
すでに多くの国民が、森永ヒ素ミルク中毒事件をお忘れであろう。1955年前後(昭和30年ころ)に起きた乳児用粉ミルクに猛毒のヒ素が混入していた事件である。牛乳を粉末にする過程で、安定剤として使用され薬品にヒ素が入っていたというのである。酪農の現場では、農家がアルコール不安定乳の予防に薬物を添加した疑いも消えていない。現在よりもかなり杜撰な医薬品管理の時代の出来事である。
他のあらゆる同類の事件と同様に、加害者の企業と許認可権を持つ国は、加害者でない理由を探すところから始まる。その最も悲惨な例が、森永ヒ素ミルク事件である。
西日本を中心に、1万3千人が被害になり130人もの死者を出した。企業と国は因果関係を盾に賠償を拒み続けたが、それでも一時保証はされた。ヒ素の急性中毒の臨床例はあるが、乳幼児の発育に及ぼす病例はなかったのである。14年後に知的障害や運動機能障害があると生存者の訴えも、ヒ素にはそのような作用はないと、医学者を取り込んで森永と国は賠償を拒み続けた。知的障害や運動機能障害はは先天的なものとして退けられた。
これを認めさせたのは幼児の発育に及ぼす実例を持たない医学ではなく、地道な調査が証明した統計学であった。ついに森永も国も認めざるを得なかった。
発育期の子供にとって、ヒ素という猛毒の被害は死亡者だけではなかった。母乳より優れていると、わざわざ粉乳を与えた母親たちであった。悔悟の気持ちは消えることなく、幼児期の健康だった子供の写真を破いたり、実家に子供ともども返されたりと、母たちの苦悩は推測を超えるものがある。その母親たちの多くはすでにこの世になく、生存する被害者の子供たちもすでに60歳を超えている。90に近い母親たちは、障害を抱えた子供を残して死ねないと嘆く。
その後、水俣水銀中毒、カネミ油症、サリドマイド禍、そして忘れてはならないハンセン病(ライ病)、最近では子宮頸がんワクチンと絶え間ない薬害禍が繰り返される。薬害は変わっていても、構造は全く同じである。商品を売り込みたい企業とそれに認可を与えた国は、被害の認定を回避する余地から検討する。その間数年から数十年経過して、被害者の実態のことは二の次なのである。企業は利潤の放出と営業成績を最優先し、国(官僚)は責任回避が何よりも優先するのである。
本ブログで繰り返しアクセスが多いのは、サリドマイドである。国民の多くは企業の管理営業体質を信用していない。安倍晋三の経済対策以降、企業な360兆円貯めこんでいると思われる。薬害は企業体質の片りんに過ぎない。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最も大きな格差は国内にある

2010-04-27 | 公害

世界銀行の高官だった、ラリー・サマーという人物が次のような発言をしている。「工場が公害を起こして1人の人物を殺すとロサンジェルスでは年間3万ドルの被害が生じる。マニラだと300ドルで済む。したがって、公害を起こしそうな工場は低開発国に移すべきだ」と、発言している。

これは非人道的などと非難するより、新自由主義者のの発言としてじっくり考えさせられることである。事実こうした考えで多くの先進国は、危険な工場を低開発国に移してきた。賃金が安いことも当然前提になる。中国はそれを逆手にとって、世界の工場となって経済成長を成し遂げて55いるい。犠牲になるのは、中国国民である。

中国の発展は、インフラの不整備はもちろんのこと、賃金の据え置きと労働条件の悪さ、更には知的所有権などの無視などによって支えられてきた。国家としては、GDPを稼ぎ富裕層を生み出し、都市部のインフラ整備が進むことになった。こうして、地域間格差が生じてくるのであ る。

人間らしく生きるためには豊かさが必要である。必要条件ではないが十分条件ではある。ところが、経済学はこれを逆さまに考えるようになってしまた。豊かになると(金が入ると)、人々が人間らしくなると思っているのである。残念ながら、豊かなった人たち(国家でも同じ)は、もっと豊かになりたいと思うようになるのである。賃金の安い国家や地域や職種は、そのための手段でしかないのである。

日本国内でなら、原発のような危険なものは、賃金が安く産業がなく疲弊する地域に持ってくることになるのである。原発が安全なら輸送コストやロスを考えると、都会の作る方が断然有利である。地方はこうして、産業廃棄施設や危険産業や自衛隊や時にはアメリカ海兵隊まで、受け入れることになるのである。

地方の主たる産業である農業が、経済学者あるいは新自由主義者たちにとっては邪魔で不要な存在である限りこの傾向は治まらないであろう。内橋克人氏は、地域分散型の共生経済を打ってている。F(食料)E(エネルギー)C(ケアー)の頭文字をとって、FECを訴えている。

「始まっている未来』宇沢弘文、内橋克人著、岩波書店より

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そりゃ温暖化だけでないだろ

2007-02-07 | 公害

今年の北海道は異常に暖かい。以前に、紅葉が10日以上も遅れているとこのブログに070128_ 書いたが、この冬の暖かさはかつてなかったものである。毎年、湖面が凍結して御み渡りを見せる、屈斜路湖が波打っているのである。40年この地に住んでいて初めてのことである。

「地球温暖化」という表現は、解かり易いが一面的でしかない。温暖化は「気候の危機」の一部でしかないのである。温暖化になれば、北海道でもわんさかお米が作れると喜ぶこともできない。気象の安定がなくなり、収穫に大きなリスクを伴うからであS_photo10 る。

アメリカ元副大統領、あるいは一瞬大統領のアル・ゴア氏が「不都合な真理」An Inconvenient Truthという映画を引っさげて日本にやってきた。環境に対して誠実な態度を見習いたい。この映画のサイトである。http://www.futsugou.jp/

ゴアの主張は単純明快である。人類は史上最大の危機に直面している。070118_05 温暖化を解かりやすく、氷河の崩壊や海面上昇を視覚的に、この映画で見せ付けることで訴えている。単なる脅しではない。

我々が便利な社会を享受する基盤になっている、エネルギーの多くは化石エネルギーに依存している。社会を直接変えることよりも、個人単位、家庭単位、地域単位からこの便利さを見直すところからでしか始まらない。

京都議定書作成のときにも彼は、アメリカ副大統領として出席していたが、そのご共和党政権になり、ブッシュはこれを蹴った。ブッシュは、イラク戦争の仕掛けた人間としてだけでなく、石油業界に顔色を見て京都議定書から脱退した最悪の大統領として、長らく歴史に残ることになるだろう。

テロの側に立つのか我々の側かと、と同じフレーズをブッシュに突きつけたい。「環境保護の側に立つのか破壊の側に立つのか」と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇井純さん死去

2006-11-13 | 公害

Photo_48 宇井純さんが死去した。東京大学で1970年から自主j講座「公害原論」を開き、昇進への道を自ら断ち切り、万年助手と揶揄されながらも訴え続けた彼の航跡は、私のようなものが評価して余りある。

自らの研究成果や手法などを、研究室に留めることなく、広く一般市民に開放した。企業の犯罪、反社会的行為や、情報公開を化学者の立場から、行なったのである。又、全国に自主講座の築いたネットワークを活用して、公害反対運動の情報サービスや・ネットワークを作り上げた。

宇井さんは、国内よりも国際的な評価のほうが高い。「UNEPのグローバル賞」や「アジア太平洋環境賞」など受賞で国際的評価を受けている。化学者は研究室に閉じこもり、黙々と研究して、社会的には中立という、イメージを宇井さんは一掃した。

宇井さんは、自ら行動することで反社会的企業を厳しく批判した。北海道の古い山奥のある鉱山で、友人の獣医師が彼に会ったことがあった。戦後まもなく閉山されたこの金山は、その後ほとんど放置されていたが、宇井さんが研究生と、地価数百メートルから湧き出る鉱水を調査していたの02_2 である。全く頭が下がる思いである。現在その鉱山は、閉山した後も長年鉱水の管理を行なうようになっている。宇井さんの見えないところでの功績である。でなければ、こんな僻地はいつも見捨てられるだけである。

1987年から、沖縄大学の教授に転身してからは沖縄の環境活動にも積極的に参加し、提言していました。原子力発電の告発をされていた、高木仁三郎さんとともに、日本の公害に対する、化学者、科学者としての立場から発言さてていた、両氏が亡くなり今後の日本はどうなるのか心配である。

宇井純さんのご冥福をお祈りいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羅臼港

春誓い羅臼港