他のあらゆる同類の事件と同様に、加害者の企業と許認可権を持つ国は、加害者でない理由を探すところから始まる。その最も悲惨な例が、森永ヒ素ミルク事件である。
西日本を中心に、1万3千人が被害になり130人もの死者を出した。企業と国は因果関係を盾に賠償を拒み続けたが、それでも一時保証はされた。ヒ素の急性中毒の臨床例はあるが、乳幼児の発育に及ぼす病例はなかったのである。14年後に知的障害や運動機能障害があると生存者の訴えも、ヒ素にはそのような作用はないと、医学者を取り込んで森永と国は賠償を拒み続けた。知的障害や運動機能障害はは先天的なものとして退けられた。
これを認めさせたのは幼児の発育に及ぼす実例を持たない医学ではなく、地道な調査が証明した統計学であった。ついに森永も国も認めざるを得なかった。
発育期の子供にとって、ヒ素という猛毒の被害は死亡者だけではなかった。母乳より優れていると、わざわざ粉乳を与えた母親たちであった。悔悟の気持ちは消えることなく、幼児期の健康だった子供の写真を破いたり、実家に子供ともども返されたりと、母たちの苦悩は推測を超えるものがある。その母親たちの多くはすでにこの世になく、生存する被害者の子供たちもすでに60歳を超えている。90に近い母親たちは、障害を抱えた子供を残して死ねないと嘆く。
その後、水俣水銀中毒、カネミ油症、サリドマイド禍、そして忘れてはならないハンセン病(ライ病)、最近では子宮頸がんワクチンと絶え間ない薬害禍が繰り返される。薬害は変わっていても、構造は全く同じである。商品を売り込みたい企業とそれに認可を与えた国は、被害の認定を回避する余地から検討する。その間数年から数十年経過して、被害者の実態のことは二の次なのである。企業は利潤の放出と営業成績を最優先し、国(官僚)は責任回避が何よりも優先するのである。
本ブログで繰り返しアクセスが多いのは、サリドマイドである。国民の多くは企業の管理営業体質を信用していない。安倍晋三の経済対策以降、企業な360兆円貯めこんでいると思われる。薬害は企業体質の片りんに過ぎない。