「世界のジョーク集」という本がベストセラーになっているようである。世界の国々の国民性を扱ったものであるが、総じて日本人の、「生真面目さと」「画一性」を皮肉ったものが多い。
私たちは、青春時代に”ロック”が登場した時代であるが、既存の音楽への挑戦であり、自由の謳歌であった。ところが、現在の日本の若者たちはロックに限らず何でも、シンクロナイズ(同調)して調子をとっている。一糸乱れぬ手拍子や腕振りにペンライトまでシンクロナイズしている。
今回、高校生の教科書検定で一斉に沖縄戦で、一般市民が自決したのは日本軍の強制ではなかった。命令はされていないとする内容になった。政府は強制していないと、裁判まで行なった一部軍人の主張を取り入れたとするのは、単なる言い訳に過ぎない。出版社は経営のためか、一斉にシンクロ(同調)したのである。
政府は、それこそ強制したのではないといっているが、政府のお役人の顔色を伺いながら、多少の記述内容に差があるが一斉に書き換えた。「あちらの出版社も書き換えましたけど・・」とジョーク集なら書くところであるか。日本の民族性というには、あまりのも無責任な姿勢である。
戦争は語り継がなければならない。散華、特攻、英霊などと国に奉公した戦死者を賞賛する教育を行なって、手榴弾を渡して、「強制自決は確認されなかった」など恥ずかし限りのこの政府の姿勢である。国の誤判断で、本土防衛の捨石にされて死んでいった、沖縄戦の死者に「彼方たちは勝手に自決したのだ」などといえる厚顔無恥さは、鈍感力などとは異質のものである。
この構図は、慰安婦問題に関しての安倍ボンの発言と酷似する。公式な文書がなく政府はあるいは日本軍は関与していない。国民が勝手にやったのだとするものである。
こうして、お隣も核兵器を持ってますよなどと言われながら、戦争をやったことを忘れた国、近隣諸国を侵略したことを忘れた国になり、戦争ができる国に変貌しつつある。