日本の政治の場は方向性をなくしたものが、お互いの思惑と異なっているにもかかわらず、同じ党や政策集団になってたむろする現状が続いている。
特に民主党にその傾向が強い。今回の小沢新党結成のドタバタの原因がそうである。前原の言うように、一応党内で論議を重ねては見たものの、消費税についての統一見解が取れなかった。
しかも、その結果出来上がった方針に、党所属議員としてやむなく党の方針に従ったものが少なからずいる。自らの主義・主張を捨ててまで、大樹に寄り添ったのである。議員としての資質が問われるべきである。
こうした党議拘束が、正常な論議を止めてしまう。その背景に、公認漏れによる選挙戦ができなくなった、小選挙区制という縛りがある。
論議もできない国会議員たちが国会の場で群れかたまり、従順になる姿が見える。国会が淀んだままである。
小沢新党を評価するなら、この新党が党議拘束をなくしたことである。現在の政党では、唯一社民党が党議拘束をかけないとしている。
与野党の主張の相違が見えなくなってきて久しい。とりわけ、TPP、原発、消費税などでは各党に賛否両論者を抱える、現実がある。ところが採決に入ると、自らの主張を捨てる物が出てくる。選ばれた自覚がないと言える。
本来国会議員は、個人の権利としてその資格を有している。政党を除名になっても、あるいは党を代えたり新党を結成したとしても、すべてが個人の資格での行動である。議員を辞職するわけではない。
であるなら、あらゆる審議で党議拘束をかけるのは、各政党の利己的行動に他ならない。党の存続が優先されるのは、健全な論議を封じることになる。
各政党は、政策内容よりも政党の存在を優先させる「党議拘束」を外すべきである。すべての審議において自由な論戦をするべきである。この国の国会は、浮ついた論議しか出来なくなってきている。