サイクリングが趣味で、火野正平の「にっぽん縦断 こころ旅」をほぼ欠かさず見ている。こんなに続くとは思っていなかったが、今月で10年になった。女癖の悪いかつての姿がなく、ほんわりとした人懐っこい火野正平のキャラクターが飽きさせない。
視聴者からの思い出の場所を尋ねるのであるが、廃校になった学校跡が少なくない。荒れた校庭など周辺に比して、校舎が朽ちながらも毅然としたたたずまいを見せていることが少なくない。少子化の傾向を把握せず対策すらしなかった行政の愚を見る気がする。
火野正平が通り抜ける市街地が淋しい。数十年前には相当な建築費がかかったろうと思われる、商店や住宅の閉ざされたシャッターや扉が悲しい限りである。荒れた農地もあれば、懸命に耕されている農地もあるがその多くは高齢者たちばかりである。それに何といっても、農村を走れば廃屋が目立つ。そして火野正平が道を尋ねると、そのほとんどが老人である。その映像を見ているだけで、へき地に住むものとしてはこの数十年の動きが、手に取るようにわかるというものである。
比較的新しい番組、「ポツンと一軒家」は周辺に何もない一軒家を、衛星写真で見つけて尋ねる番組である。このほとんどが山間地の農家で、高齢の夫婦がのんびり暮らしていることが多い。尋ねると数十年前までは何軒もあった集落で、亡くなったか山を下りた結果残った夫婦が多い。多くの場合食べものは自給している。訪問者に新鮮な野菜などを振舞っている。かつての農村には普通にみられた光景である。息子たちが帰って生まれ育った家屋敷農地を管理している場合もあるが、それも時間の問題で、廃村は目前に迫っている。
なかには戦後開拓農協の跡だったりした比較的新しい開拓農村もあるが、廃村となるのであるが、投下された国費は無意味であったのであろうかと思われる。
高度成長経済は2,3次産業で起きている。賃金格差は農村から人的資源を奪って都会へつぎ込んだ。日本が食料を放棄した結果である。食料生産に効率を要求し、大規模化と化学肥料や農薬に依存させ、畜産農家に多頭数化と大量の輸入穀物給与を強要させ、主食のコメさえ食料の安全保障の枠を取り払ってしまった。
農村が疲弊するのは当然のことである。多くの国民はこれらの番組を、懐古から支持するのであろうか、視聴率が高く見ている人が多いのは多少の救いになっている。