鈴木俊一財務大臣が財政制度審議会で、食料自給率向上ど考えていない。国際分業論を展開し、食料など買える所から買ってくれば良い等と言ってのけた。
国際分業論は工業製品で可能であると思われる。しかしその工業製品ですら、国際紛争で部品が滞ってしまう現実を目の当たりにしている。自動車なら待つことで、あるいは高額になっても買うことも出来る。消費者に負担をかければ済むことである。あるいは我慢さえ可能である。
食料はあらゆる人間が待つことができない。毎日すべての人間が食事する。必要量以下を食べていると栄養不良になる。必要量を越えて食べることも出来ない。
コロナ禍にロシアのウクライナ侵略に円安が重なり、食糧輸出国は金より食料を優先し始めている。すでに多くの国々が食糧輸出に制限を加え始めている。食料だけではない。肥料に飼料それに種までも。
日本は金さえ出せばとばかりに、国際分業論を基盤とする考え方でTPPなどを推進し、工業製品の先端技術を得意とするも尾を売り込藻代わりに、農業をその犠牲にしてきた。種までも。
食料生産の場、農業を衰退させたばかりか、農村を疲弊させてきた。日本が世界に誇ってきた主に公共機関による農産物の品種改良も、種子法を潰し営利目的の企業に委ねてしまった。
人間にとって必要不可欠であるにも拘らず、いつも後回しにされてきた食料と農民である。そして地域の崩壊さらには消滅である。
本の20年ほど前までは防衛予算も農水予算も3兆円前後で肩を並べて居た。ところが来年度は農水予算は2兆6800億円とじり貧に対して、防衛予算は来年度は5兆6000億円と倍額になっている。
とりわけ安倍晋三が二度目の首相の座に就いてから、数%の伸びとなっていてつの倍増の金額なってしまったが、これを倍にしろというのが安倍晋三のいわば遺言である。
フランスのシャルル・ドゴールは食料を自給しない国家は国家でないとまで述べていた。フランスは国家予算の30%前後を農業予算が占めている。しかも農家の所得保障が主体である。
日本の農業予算は、周辺整備とか何とか事業という名で、政府の決めた方針とその枠内でしか、補助の対象にならない。その補助金は農家に支払われるという理屈になっているが、実態は周辺産業が潤うシステムであると言って良い。
どんな田舎にも。目を疑うほどの巨大な構造物が目につく。誰もいないところに立派な舗装道路が続いていたりする。車もない老人宅に舗装道路ができたりされていた。農業予算である。見事に田畑を幾何学的に区切って道路を通して、10年後には見事な郊外の住宅地になっていた。
農業予算をこのような基盤整備と補助金漬けにして、片方では車などを売るために農産物を大量に輸入するシステムを作り上げた。
農村は疲弊し農作物は輸入されて、60%もの農作物を輸入することになった。家畜には大量のアメリカ産の穀物が給与され、自給率をさらに下げる。
肥料や農薬やエネルギー名をを加えると、現在の実質的な食料自給率は10%に程度と試算されている。それをされに下げよと財務大臣はいうのである。
農村は高齢化しながらも、生産量はそれほど下げてはいないが、それすら限界に近づいている。