時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

エレべーターとリスク

2006年06月11日 | グローバル化の断面

  東京でのエレベーター事故に関する関する報道をテレビで見ながら、思い当ることがあった。今は使用されていないと思うが、20年ほど前、ドイツやオーストリアのビルで入り口のドアもなく、単に鋼鉄の箱が連なり、一定の速度で昇降しているだけの文字通りエレベーターの原型のごときものに乗らざるを得なかった経験がある。れっきとしたオフイスビルだったが、大変怖い思いをした。とび乗る時より降りる時が怖かった。足を滑らしたら大変なことになると思った。エレベーターに乗ることは、危険と隣り合わせなのだということを思い知らされた。

とどまらない超高層ビルブーム
  たまたま世界の超高層ビルブームに関する記事*を読んでいたら、エレベーターに言及した指摘に出会った。超高層ビルは使用効率が悪いにもかかわらず、ブームは衰えないらしい。その背後には、1)人目をひくような投機的な企て、2)本社の誇示、3)偉大さを見せつけたい政府の支援、などが動機として働いている。
  こうして建造された高層ビルには、通常は中階層向け、高階層向けの二本立てでエレベーターが設置されている。しかし、最近の超高層では、これだけでは利用者の要望に応えきれないので、一本のリフト・シャフトの中に2、3本のリフトを走らせ、途中に「スカイ・ロビー」と称するスペースを設け、ほとんど待つことなく乗り換えできる仕組みを設定しているという。
  コンピューターと建設技術の進歩がこうしたことを可能にしたのだが、効率優先、技術至上主義の行方には一抹の恐ろしさを感じる。一昔前に見られたような、自分の手でがらがらと扉を開き、確認してボタンを押すとゆっくり昇降するエレベーターはなくなってしまった。このごろはエレベーターに乗ると、待ちきれないように扉の開閉ボタンに手を伸ばす人々が増えた。効率、便利さに慣れすぎる怖さを感じるのは私だけだろうか。

超高層ビルと不況
  さらに気になる指摘があった。超高層ビルは構想される時はブームの絶頂期であり、完成時にはしばしば大不況にぶつかることになることが多いということである。ニューヨークのクライスラービルが完成した時は、ウオールストリートが1929年の大不況に突入する瀬戸際であった。エンパイアステートが完成した時は、大不況のどん底だったといわれる。1934年の時点ではビルの4分の1は空室のままであり、Empty State buildingと揶揄されたらしい。
  クアラルンプールのペトロナスタワー(452メートル)が竣工したのは、東アジアの金融危機が始まった1977年の翌年であった。ロンドンのオフイス市場は、1974年、1982年、2002年に下降を記録している。今日の段階では世界最高といわれる台北の101ビルを訪れる機会があったが、アジアにも上海、北京など中国を中心にこれを上回る超高層ビルが建設中である。この異様な世界一争いは沈静化する気配はないらしい。空恐ろしいとは、このことをいうのでは。

*
'The skyscraper boom.' The Economist. June 3rd 2006. 

コメント
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