時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ベルリンの記憶

2006年06月23日 | 書棚の片隅から

  「ドルトムントの奇跡」もついに起きなかったが、この機会にドイツについての記憶を取り戻そうと、書棚から引っ張り出し、少し前から読んでいた本があった。アンドレーア・シュタインガルト(田口建治・南直人・北村昌史・進藤修一・為政雅代訳)『ベルリン<記憶の場所>をたどる旅』(昭和堂、2006年、218ページ)(Andrea Steingart. Schauplätze Berliner Geschite. Berlin: 2004)である。
  
  過去に幾多の悲惨で壊滅的とも思える経験をしながらも、ベルリンは都市としての美しさを維持し続けてきた。個人的にも思い出の多い都市である。緑の多い美しいベルリンだが、過去における幾多の深い傷跡を包み込んでいる。その傷跡の在りかに通りすがりの旅人は気づくことは少ないないだろう。一部を除き、その多くが所在を積極的に主張していないからだ。たまたま乗ったタクシーの運転手から、しばらく前まではここにあった「壁」の近くに住んでいたという話を聞かされ、突然頭の中でフィルムが巻き戻されるような思いがする。

  本書に取り上げられた場所は、ほとんどがドイツ現代史の影の部分に関わっている。序文を書いた「ツアイト」誌のベルリン支局長クラウス・ハルトゥングは、次のように結んでいる。「これらの物語には、歪み、矛盾し、そしてしばしば悲劇的であるベルリンの根本的性格が反映されています。さらにこれらの物語は、この都市の宿命を共有するよう求めるのです。この共有なしには、------それもまたこの都市の特殊性の一つですが------私たちがベルリンを理解することはまったく不可能でしょう。」

  ベルリンという都市は確かに美しいのだが、ある種の陰影を感じさせる。いかに空が抜けるように青く晴れ渡っていても、そこに形容しがたい翳のようなものを見てしまう。過去を意識してしまうためだろうか。ヨーロッパの他の都市では感じない独特のものである。

  本書では、ドイツの現代史にかかわる「皇帝と革命家のベル「リン」、「ナチスのベルリン」、「社会主義統一党のベルリン」、「分割されたベルリン----壁に囲まれた西側----」、「再び統一されたベルリン」の5グループに区分された43ヶ所が写真とともに紹介されている。冒頭には、池澤夏樹氏による「日本語版によせて:新しいホロコースト記念碑のこと」と題した、ベルリンのもうひとつの「記憶の場所」について、本書にふさわしいエッセイが掲載されている。この記念碑もドイツ現代史の最も深い暗部に根ざす出来事を後世に伝えるものだ。

  本書で取り上げられた場所は、総じてベルリンが経験した、どちらかといえば影の部分に関連している。このいくつかは私も訪れたことがあり、大きな関心をもって読んだ。ベルリンに必ずしもくわしくない日本の読者のために、訳者たちが現地を訪れて、「日本人のためのガイド」として補足説明や地図が付されている。総体として、読者に対して丁寧な編集がなされている。ぜひ再版の折には、関連年表を付けていただければと思う。ここに取り上げられた「記憶の場所」は、ドイツの若い世代でも知らない歴史的出来事になりつつあるからだ。風化は容赦なく続く。

  私の記憶に残る場所からひとつとりあげてみると、「国境地帯に生まれたトルコ人のタマネギ畑」Turkische Zwiebeln im Grengebiet であろうか。1980年代初め、ベルリンのカルテル・オフイスにつとめていた友人に連れて行ってもらった記憶がよみがえってきた。当時、クロイツベルクのトルコ人住宅地域を調査に行ったときに案内してもらった。その荒廃ぶりには言葉を失った。移民問題にのめり込むひとつの契機ともなった。最近訪れてみて、クロイツベルクもずいぶん変わったという思いがした。この「タマネギ畑」もきれいに維持されているようだ。

  ベルリンを訪れたことのない人々でも、現代ドイツ史に関心を寄せる方々には一読をお勧めしたい。ワールド・カップのどよめきの裏側にひっそりと存在する、これらの場所を確かに記憶にとどめるために。

コメント (2)
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