Lost Horizon: 原作は1937年に映画化されたが、1967年にはオリジナルは損傷が激しく再生不能となった。その後1973年に世界に残存するフィルムを集め、制作時のスチール写真とフィルムなどを加えて再生を図る試みがなされた。イメージはそのDVD版。
目前に迫った北京オリンピック。もしその開催を損なうことが起こる都市があるとすれば、それはチベットのラサと、中国政府首脳部は思っていたといわれる*。真偽のほどは別として、最も恐れていたことのひとつだろう。それだけに対策も練られていたに違いない。徹底的な武力による制圧と厳重な情報規制。それが、現在展開している実態だ。このIT時代にもかかわらず、西側のメディアの現地報道はきわめて少ない。
しかし、この時期に暴動が発生するとは中国政府当局が思っていなかったのではないかと思われる記事を目にした*。これまで西側ジャーナリストがラサで取材活動を行うことには、厳しい管制体制が布かれていた。ところが、予想しなかったことに、英誌 The Economist のジャーナリストが突如1週間の取材を許され、その最初の日が3月12日であったと記されている。当局にとっては不意をつかれた暴動だったのだろうか。今のところ真偽のほどは分からない。
チベットと聞くと、反射的に思い出すひとつの小説がある。今ではほとんど読まれることはないだろう。ジェームズ・ヒルトン「失われた地平線」(1933年)が、そのタイトルである。1937年には映画化もされた。「チップス先生さようなら」の作者と云えば、うなずかれる方もいよう。この小説で描かれるチベットの秘境「シャングリラ」の名は、その後さまざまな場面に登場するようになった。
小説のストーリーは、暴動などという血なまぐさい話とはまったく無縁の世界である。1931年5月、第一次大戦後の革命騒動に揺れるインド北部の地から、ペシャワール(現パキスタン北西部)へ白人の居住者たちを移動させる飛行機が、ハイジャックされ不時着する。そして、まもなく一人のラマ僧が現れ、その導きで秘境への旅が始まる。
この飛行機には、英国の外交官二人、石油関係の仕事をしていたというアメリカ人男性と宣教師の白人女性の計4人が乗客として乗っていた。彼らはカラコルム山系を越えて、ラマ教寺院が聳えるチベットの秘境シャングリラへと導かれる。そこは空がかぎりなく青く、花々が咲き乱れる文字通り秘境の地であった。チベット人と中国人が住んでいた。原作では、この地は「連絡できない場所」とされている。
この桃源郷とも見える土地。それに対して、外の世界である西洋世界は発展はしているが、なにか汚れて腐敗しているとイギリス人である主人公コンウエイは感じている。人はなにかに追われるようにせわしなく暮らしている。しかし、シャングリラは「時」を感じないような不思議な世界である。そこでなにがあったかはここでの話題ではない。(小説後半では、この秘境にも暗い影が忍び寄っていたのだが。)
実は、この小説にはプロローグがある。行方不明になった乗客コンウエイを探していた、学生時代の古い友人で作家のラザフォードが、事件のはるか後に思わぬ形で再会を果たす。コンウエイは中国で記憶を喪失したままで発見された。その後、ラザフォードが日本郵船の客船に友人を乗せ、サンフランシスコへ連れ帰る途上の追想として、ストーリーは展開する(エピローグにもかなり驚かされるが)。
ちなみに、この小説は Pocket Book の第一号となり、ペーパーバックの世界でも一世を風靡した。フランクリン・D.ルーズヴェルトは、メリーランドの隠れ家(大統領別荘)をシャングリラと名づけていた。その後、1978年にキャンプ・デイヴィッドに変えられた。
地球上に理想郷も秘境も無くなった今、チベットが平穏な地に戻ることを祈るのみ。
Reference
James Hilton. Lost Horizon, Pocket, 1934.
(ジェームズ・ヒルトン、増野正衛訳「失われた地平線」新潮文庫、1959年)
* 'Monks on the march' The Economist, March 15th 2008.