日本の不法滞在者が昨年10万人を切ったとの法務省の発表をメディアが伝えている。一時は30万人を越えていた。この減少は指紋登録など出入国管理の厳格化と不況の浸透がもたらした結果とされている。不法な滞在者が減少すること、それ自体は歓迎すべきことだ。しかし、手放しで喜ぶにはためらう事情もある。
長く厳しい不況が続き、日本人でも雇用の機会を見出すことが困難な状況では、外国人労働者にとって仕事を得ることは至難なことだ。世界中、いかに平等を標榜する国といえども、不況が到来すると最初に打撃を受けるのは外国人労働者であることは、これまでの移民労働者研究が等しく明らかにしてきた事実のひとつだ。深刻な不況の下では、合法滞在者でも仕事を確保することは難しくなり、不法滞在者ともなれば、さらに困難となる。その結果、犯罪などの行為に走りやすいことも知られている。不況が長引くほど仕事に就く機会は減少し、合法、不法の別を問わず、帰国を選択する状況に追い込まれている。
日本で合法的に就労することが認められている日系ブラジル人などでも、仕事についての状況は厳しい。不況が深刻化すると、国内労働者でも就業機会が失われ、仕事の取り合いとなる。条件の悪い外国人労働者から職を失う。外国人労働者を減らすに最も有効な対策は不況だというのは酷な表現だが、ある意味で真実だ。
これに関連して少し次元は異なるが、気がかりなこともある。日本が外国からみて閉鎖的で、魅力のない国になりつつあることだ。かつてこの国に満ちていた外向きの活気や活力が失われている。図らずも空港で出立する人々に万歳が三唱されていた時代を思い出した。「外遊」という言葉が象徴したように外国は大きな魅力で輝いていた。海外旅行も誰でも行けるようになり、かつてのような強い魅力の対象ではなくなっている。「留学」の実態も形骸化が進み、希望者の数も減少している。
他方、一時は希望者殺到と報じられていたフィリピン、インドネシアなどからの看護師、介護士共に来日希望者が激減している。予定する受け入れ数に充たない。先頃行われた看護師資格の試験でも、外国人はわずかに3人しか合格できなかった。これまでに計り知れない労苦とエネルギーが浪費されている。こうした事態を生むにいたった問題点の多くは、制度導入以前から指摘されていたことだ。この制度に限ったことではないが、ここでも、日本の政策立案がいかにその場かぎり、狭窄した視野の下で行われているかを示している。
高度なマンパワーを必要とする日本の企業、大学、研究所なども吸引力を持っていない。世界の先進諸国の中では、日本は外国人にとってインセンティブを呼び起す存在ではなく、見えない壁もあって住みにくい、障壁が高い国であるとの評判は依然根強い。中国や韓国の友人たちの話を聞いても、息子や娘はできれば欧米の大学や大学院に留学させたい。日本には悪いけれど、その次の選択だという話はこれまで幾度となく聞かされた。
期待する熟練度の高い技術者や専門家の定着はあまり進まない反面で、不法滞在者への厳しい対応だけが目立ち、閉鎖性の印象を強めるばかりだ。不法滞在者は少ないことが望ましいことはいうまでもない。しかし、それが法制上の強権など一定以上の強制力によって実現されるものであれば、別の問題が生まれる。たとえば、アメリカでは1200万人近い不法滞在者が存在する。それはアメリカにとって現下の大きな問題であることはいうまでもない。アメリカの人口は日本の倍近いとはいえ、日米の違いはあまりに大きい。出入国政策の立案・施行には時代の方向を見据えたバランス感覚が欠かせない。
とりわけ、アジア諸国の視野で見ると、日本は外国人も受け入れて活力を取り戻し、共生社会を目指すというよりは、できるかぎり同質性を維持したいという内向性が目立つ。グローバルな不況で、世界的に閉鎖的傾向が進んでいることは事実だが、先進国間でも日本の閉鎖性は際立っている。この国に住むことの息苦しさを感じている。