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この頃は大都市のデパートなどへ、フランスの有名パン屋Boulangerieが出店するようになった。カイザー、ドミニク・サブロン、ポール、シニフィアン・シニフィエなど、どこかで聞き覚えのある店名をかなりみかける。価格は高めだが、それなりに繁盛しているようだ。日本に住むフランス人が経営する店もあるようだ。日本人の経営だが、店名にフランス名をつけた店はいたるところにある。日本人の食生活へのパン食、とりわけフランス風?パンの普及・浸透ぶりをあらためて実感する。
いうまでもなく、パンはフランスばかりでなく、世界中いたるところにあるのだが、「フランス・パン」という響きは特別らしい。他方、フランス・パンはあまり好きではないといわれる方もいる。日本ではなぜか「食パン」といわれる、あの山のような形の中身の柔らかい「イギリス風」のパン(ティン・ブレッド)を好む人も多い。トーストやサンドイッチとして食べることが多い。フランス・パンのひとつで、アン・パン・ドゥ・ミーun pan de mie(中身のパン)といわれる形状が「食パン」に似たパンもあるが、食感はかなり違う。
「フランス・パン」と聞いて、日本人々が思いうかべるイメージがどんなものか。必ずしもよく分からない。周囲の人に尋ねてみたかぎりでは、バケット といわれる細長い棒状のパンがイメージされるようだ。できたてのバケットに代表されるあのパリパリとした食感を思い浮かべる人もいる。
この頃はこうしたフランス風パン屋の店先には、バケットばかりでなくバタール、ブール、フィセル、パン・ドゥ・カンパーニュ、クロワッサンなどなど、枚挙にいとまがないほど多数の種類のパンが置かれている。高級店になるほど、表示はフランス語のままなので、思わぬところでフランス語の発音練習をさせられることになる(笑)。
こんなことを考えながら、17世紀のロレーヌの歴史にかかわる文献を見ていたら、上掲のような巨大なパンを抱える女性と子供を描いた絵に出会って、少なからず驚いた。今日、フランスのパン屋で売られているバケットの標準重量は約240グラムであり、長い歴史の間に定着したものだ。ちなみに、バケットよりもひとまわり大きい、通称「パン」un pain といわれるものは約400グラムとのこと。今日では、ひとつひとつのパンの重さを気にする人は少ないが、中世以来パンの質と重量は重要な社会的関心事だった。主食であるパンの品質や重量が正しく守られているかは、大きな問題であり社会的規制の対象だった。今日でもパンが主食のヨーロッパ諸国などでは、どう考えられているのだろうか。パン屋の評価はなにによっているのか、多少気になっている。
この頃は、健康や嗜好の点から必ずしも精製した小麦粉を主体とした白いパンが好まれるわけではないようだが、中世以来「白いパン」は品質の良い、高価なパンだった。他方、精製されない小麦粉や混合粉で焼かれたパンは褐色で、「パン・ブルジョワ」(庶民のパン)と呼ばれたこともあった。
この女性がやっと抱えているようなパンは大きさもさることながら、重量も数キロはありそうだ。農民、一般市民などが食べていたパンと思われるが、これほど大きなものはあまり見たことはない。精製されていない、ふすまの多い褐色のパンで、家庭で切り分けて何日か食べていたのだろう。
パンはいつの世でも重要な主食であり、フランスに限らずヨーロッパ諸国では中世以来、パン屋は、パンの品質、重量などについて、厳しい社会的規制の下で商売をしていた。その実態はきわめて興味深いことが多いのだが、今は省略せざるをえない。 ちなみにこのブログに登場する画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは1593年、パン屋の次男として生まれた。誕生の地ヴィック=シュル=セイユには、当該パン屋の何代目かを名乗る店もあるようだが、真偽の程は確認されていない。
ここでの疑問は、なぜこの絵に描かれたほど大きなパンが焼かれていたのかということだ。フランスでは、ひとつのパンの重量が重くなるほど、低質なパンとされていた。中世以来、社会の大多数を占めた農民、庶民にとっては、パンの味もさることながら最も重要なことは、日々の生活で家族のお腹を満たすことが先決であり、そのためにはとにかく重さ?が大事だったようだ。子供が持っている一切れは、この子の分け前なのだろうか。このパンひとつでどれだけの家族の空腹が満たされたのだろうかと思う。日頃、あまり考えることのないパンの歴史にかかわる問題だが、考え出すと興味が尽きない。