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『宮廷人の本』
Baldesar Castiglione. The Book of Courtier,
Edited byDaniel Javitch
New York & London: W.W.Norton, 2002
上掲の書籍はイタリア人バルデサール・カスティリオーネ(1478-1529)によって書かれたイタリア語の原本を英語に翻訳・編纂したもの*。クリックすると拡大。
17世紀と20世紀の近さ
ようやくシリーズのテーマに戻ることができそうだ。文学座の『ガリレイの生涯』について考えている間は、自分が現代にいるのか、17世紀にいるのか、一瞬戸惑うような錯覚に陥りそうだった。
『ガリレイの生涯』を劇作化したベルトルト・ブレヒトは、1898年に生まれ、1956年に亡くなっている。管理人にとっては、現代史のある部分を共有したほとんど同時代人の思いがある。
ブレヒトは1933年、ドイツ帝国ヒンデンブルグ大統領がヒトラーを首相に任命、その直後に起きた有名な国会議事堂放火事件の翌日(1933年2月28日)、入院中の病院を密かに抜け出て、ユダヤ人であった妻と長男を連れてプラハ行きの列車に乗り込んだ。そしてデンマークに5年間近く滞在した。
しかし、1940年4月、ナチスがデンマーク、ストックホルムに侵攻したため、1941年ヘルシンキ、モスクワ、ウラジオストックを経由してアメリカ合衆国へ亡命のため入国した。しかし、共産主義者であったブレヒトは、1947年あの悪名高い非米活動委員会の審問を受ける(ガリレオの異端審問を思わせる)。恐怖に駆られたブレヒトはその翌日、パリ経由でチューリッヒへ逃亡、そして1949年東ドイツへ入国した。その後1956年8月14日、心臓発作でベルリンで死去するまで、自ら結成した劇団ベルリナー・アンサンブルを拠点にベルリンで活動した。その墓はヘーゲルとフィヒテの墓に向かい合っている。
他方、ガリレオ・ガリレイが活動していた時代は、このブログに頻繁に現れるラ・トゥール、カロなどの生きた時代とまったく重なっている。17世紀が「危機の時代」ならば、現代はそれ以上の危機的状況をはらんだ時代といえるだろう。
カロと貴族社会
銅版画家ジャック・カロが当時の世界の最先進国イタリア、ローマから故郷のロレーヌへ戻ったが、しばらくはさしたる仕事がなかったことは前回記した。しかし、2年ほどしてナンシーの富裕なクッティンガー家の娘カトリーヌを妻に娶ったことと前後して、ロレーヌ公宮廷に関連する仕事が急増する。カロは自らの仕事を通して、貴族として生きることとはどういうことかという問題を考えていたようだ。
カロにとどまらず、17世紀のヨーロッパ諸国の宮廷で君主に仕える宮廷人にとって座右の書となっていたのが、前回紹介したバルダッサーレ・カスティリオーネの著した『宮廷人』 Il libro del cortegiano, 1528 という書物*だ。
カスティリオーネ自身、外交官であり、作家でもあった。この書は決して現代社会に氾濫しているハウ・トゥ物ではない。君主に仕える宮廷人が自らの尊厳を保ちながら、一定の道徳律の範囲で、君主のために尽くすには、いかなることが必要であるかを説いている。1506年5月のウルビーノ宮廷の4日間を描いたという設定で、宮廷人が備えるべき条件、教養について記している。現実と理想の葛藤など、当然、多くの論争を引き起こす材料も多数含まれている。ラテン語を含め多数の言語に翻訳されたが、日本語訳もあり、今日読んでもきわめて興味深い。
ノーブル(高貴)であるとは、なにを意味するのか。カロは貴族 La Noblesse として生きる意味を画家の目を通して描いた。イタリアでもロレーヌでも、貴族たちは自ら肉体労働をすることを嫌い、そうした労働をする者を軽視していた。しかし、画家、建築家などの芸術家、金細工師、宝石商など高度な技能を持った職人は、評価していた。
こうした環境で故郷に戻ったカロはイタリア風からロレーヌ風の版画家として、転換するためにさまざまな努力をしていた。今日に残る下絵のデッサンや作品では、イタリア風に描かれていても、銅版の段階ではロレーヌ風に描き直していたようだ。
カロが描いた「貴族」のカテゴリーには、ブルジョワ・貴族 bourgois nobilityといわれた社会の中間階層のイメージも含まれている。ブルジョワは一般に貴族ではないが、服装や生活態度などで貴族化していた。彼らは裕福な商人、法律家、医師、会計係、大学教授などであった。ガリレオもこの中に含まれるだろう。彼らは平民よりも豊かであり「貴族のようにふるまい、生きる」ことを目指していた。裕福な商人や画家なども貴族のような出で立ちで現れ、血統は貴族の家系でなくとも「貴族授与状」letters of ennoblrment を授けられことは珍しくなかった。
彼らにとって衣装は大変重要な意味を持っていた。衣装を貴族のように装うことで、中身より見かけを変えることが選択されるのは、昔も今も代わらない。17世紀初期にはイタリアでもフランスでも recueils de costumes と呼ばれた「衣装コレクション」、今日でいえばスタイルブックとでもいえる書籍が大変人気があった。これにはヨーロッパのみならず、当時知られていた外国の衣装まで入っていた。主として貴族の衣装がもてはやされたが、従者や高級娼婦などまで描かれていた。このブログにもとriあげたカロに先立つロレーヌの銅版画家ジャック・ベランジュの銅版画にも、いったいどこの国の人だろうと思わせるエキゾティックな人物が多数描かれている。
*本書(英語版)の大変興味深い点は、カスティリオーネの原書の英語訳に続いて、彼が抱いていた貴族像について、10人のさまざまな観点からの批評が掲載されていることである。内容は非常に面白いのだが、今ここに紹介するだけの余裕がない。下記の邦訳もある。
カスティリオーネ・バルダッサッレ(清水純一、岩倉具忠、天野恵訳註)『カスティリオーネ宮廷人』東海大学出版会、1987年。
続く