時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

画家の見た17世紀階層社会(15):ジャック・カロの世界

2013年07月29日 | ジャック・カロの世界

 


ジャック・カロ「ヴィエル弾き」部分
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  ジャック・カロは自分で選び、描いた貧民たちを題材とした作品に、「貧民」シリーズという統一した表題をつけていたわけではない。こうした表題は、カロの死後、膨大な作品整理の上で、後世の美術史家などが付したものである。実際、カロはこの25点から成るシリーズ以外にも、当時の貧しい人たちの姿をさまざまに描いている。この25点は画家が自ら構想した路線上で描かれた作品群であるといえる。注目すべきことは、これらの作品のほとんどが、カロが1621年故郷の地ロレーヌへ戻った後、すでに紹介した「貴族」シリーズに引き続き、まもなく制作されたということにある。カロの優れた点は、宮廷や貴族たちをパトロンにしながらも、決して彼らにおもねるような作品だけを制作していたのではないことにある。広い視野で当時の世界を見つめ、その多様な側面を、時には大画面に、時には小さなスケッチのような形で描き残した。

 カロの描いた貧しき人々には、全般に画家の深い同情や憐憫の思いがこめられている。こうした人たちは、それぞれの生い立ちなどの違いはあるが、先天あるいは後天的な身体上のハンディキャップを抱えている人たちが多い。そして、ほとんどの人たちがその日暮らし hand to mouth に近い貧窮のどん底で生きていた。多くはなんらかの理由で、一人身で家庭とは縁がなく、放浪の途上であることを思わせ、家族のような例は少ない。わずかに母親と子供を共に描いた下掲のような作品があるにすぎない。下図は、母親と未だ幼い子供たちを描いた作品だが、こうした世の中のことをなにも知らない無垢な子供たちの前になにが待ち受けているのか、画家はそれを観る人に問いかけている。

ジャック・カロ「3人の子持ちの母親」
La Mere et ses trois enfants(Mother with Three Children)
クリックして拡大(以下、同様)

 この時代、こうした貧困者については、原則として彼らが生まれ育ち、居住している地域の町や村がわずかな救済の手をさしのべていた。さらに、教会、修道会などが慈善の観点からできるかぎり施しを行っていた。この時代のヨーロッパにおいては、「貧困者」と見なされたのは、身体的理由などで働くことができない、典型的には高齢者、不治の病に冒されている者、小さな子供たちを抱える単身の母親などであった。中世までは、教会なども彼らに救いの手を延べることは、慈善の現れとして積極的に活動した。

 しかし、16世紀に入り戦争や飢饉、悪疫の流行などがあると、地域の外から入ってくる貧民の数も増え、彼らに対する救済措置は次第に後退していった。住民の中には、貧民への反感や蔑視もみられるようになった。なかには物乞いは、罪深さに対する神の罰のしるしとして、慈善の対象であるべきでないと主張する者もいた。近世初期の貧民の実態は統計に表れないが、教会などの慈善行為では到底救いきれないものとなっていた。

 カロが選び、描いた貧しい人たちは、一見してそれと分かる服装をしている。職業という名に値する仕事についている人はいうまでもなく数少ない。しかし、彼がいかなることで、その日を生きているかということは、ほとんど想像がつく。とりわけ、当時の人にとっては、ひと目で見分けがついたのだろう。しかし、カロはこれらの社会の底辺の人たちをできうるかぎり見苦しくない身なりで描いている。そのためには、色数の少ない銅版画のような手法が適当であったかもしれない。

 描かれた貧しい人たちの着衣は、実際にはもっとみすぼらしく、汚れたものであったろう。これらの人物は当時の慣習であった帽子を被ったり、髪をスカーフで覆っており、いづれも靴を履いている。子供たちを描いた場合も帽子を被らせている。実際には衣服が破れ放題であったり、つぎはぎだらけのものであり、靴を履いていない者もいたらしい。しかし、カロはそれらの点にもきを配りながら、この時代の「貧困」というものが、いかなる様相を持っていたか、人々が考える材料としてさまざまな角度から描き出している。

 カロが貴族の多様さをあたかもスタイルブックのように描いてみせたように、貧しき人たちも現実にはきわめて多様な姿をとっていた。貧民にはスタイルブックなど無用のものであったが、カロは一定の尊敬をはらって社会の陰の側面の多様さを描いている。




ジャック・カロ 「ヴィエル弾き」
La Joueue se vuekke (Hardy-Gurdy Player) 

ジャック・カロ「犬を連れた盲目の旅人」
L'Aveugle et son chien (blind Man with dog)

 上に掲げた2枚は、カロと同時代のロレーヌの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが自らの作品制作に際して、発想の源としたことがほぼ想定できる作品である。このブログでも紹介したラ・トゥールが好んで描いた旅の音楽師、ヴィエル弾きである。哀愁を感じさせるヴィエル弾きの画題は、17世紀のヨーロッパの人々には強い共感を引き起こしたようだ。その後もこのテーマで小説や詩集まで創られている。これらの旅芸人たちは、多くは定住の地を持たず諸国を放浪して、町中などで演奏を聴いた人たちの喜捨などでわずかな生活の糧を得ていた。彼らは旅の途上で生活の窮迫、迫害など多くの苦難を常に背負っていた。しかし、カロやラ・トゥールが描いた音楽師たちは、身につけた衣装は粗末であっても、大地にしっかりと立っており、どこか孤高の人として毅然とした、威厳を感じさせる風貌を見せている。
 


Reference
Exhibition Catalogue: Princess & Paupers, Houston, 2013.

続く

コメント
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