時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

画家の見た17世紀階層社会(14):ジャック・カロの世界

2013年07月23日 | ジャック・カロの世界

 



ジャック・カロ「片目の女」
Jacques Callot, La Borgnesse (One Eyed Woman)


 イギリス王室の将来のプリンス誕生の騒ぎは、おめでたいことには違いないが、ちょっと騒ぎすぎではないかと思うところもある。イギリス王室の歴史を振り返ると、決して諸手をあげて喜べるとはいえないことも多々あった。もっとも、EU脱退の話まで取りざたされている昨今のイギリスの実情をみると、この機会に、空騒ぎでも慶祝ムードを盛り上げたいという気持ちは分からないでもない。とにかく、イギリスという国は、良きにつけ、悪しきにつけ、王室を話の種にしてきた。王室もこの国の栄枯盛衰をしっかりと受け止め、演出してきた。とりわけ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、インドなどで、かつての大英帝国の威光を失うことなく、自陣内に留めていることはさすがだ。ふだんは表面に出ない巨大なサポーターを擁している。真のサポーターがないに等しい日本とは大きく異なる。いずれの国も衰退の時は来る。イギリスは幕の引き方が巧みな国である。どこかの国のように、「経済大国」に影が差すと、すべて浮き足立つということがない。

 閑話休題。今、このブログで取り上げている Princes and Paupers 「王女と貧民」という話題も、17世紀、イタリアやフランス、ロレーヌなどの宮廷と、その外にあって社会的底辺に追いやられていた人たちを対比させるという意味で、君主制を継承してきた国々の問題である。

 統計もITもなかった時代、当時の画家がリアルに描いた実態は、同時代の人々の目線で、社会を見ることを可能にしてくれる貴重な資料だ。近世前期と呼ばれるこの時代、君主などの為政者の側には、国民の厚生、福祉を維持・向上し、貧困を減少させるという意識は例外的にしか存在しなかった。基本的に個人の出自、そして能力と努力そして運がそれぞれの社会的位置を定めていた。


描かれること少なき人々
 
ジャック・カロはイタリアではメジチ家コジモII世の庇護の下で、そして故郷ロレーヌに戻ってからはロレーヌ公付きの画家であった。宮廷の後ろ盾なしには、いかに優れた腕の持ち主とはいえ、妻子を抱え生計を立てて行くことは、かなり難しい時代であった。そのため、この時代の多くの画家たちは競って君主の庇護を求めた。

 宮廷画家の多くは、自分を庇護してくれることになった君主や宮廷人など貴族階層の世界を描いていた。生涯、それ以外の対象を描かなかった画家も多い。彼らにとって、社会の大部分を占める貧しい人々は描く対象に入っていなかった。これは宮廷画家に限ったことではない。

 ジャック・カロもその画家としての生涯には、貴族たちが気に入るような作品を多数残している。宮廷行事などの劇場的光景、戦争における勝利、貴族たちの日常の断片、仮面劇の光景などである。しかし、カロには他の宮廷画家とかなり異なった点があった。それがなにに由来するのかは、分からないが、貴族の家に生まれ、親に自分の行く末まで束縛されることに反抗し、銅版画家を志し、イタリアの自由な空気を求めて、ほとんど家出同然の年月を過ごしたことに関係しているかもしれない。

 
1621年に故郷ナンシーへ戻った後は、かつては縁を切った旧来の関係と折り合いをつけねば生きられない事情もあった。それだけ若いころの角がとれて、大人になっていたのだろう。ロレーヌ公の宮殿へ出入りできるようさまざまに努力した。ロレーヌ公への奉仕と忠誠をもって、貴族になっていた実家の力も必要だった。

 他方、イタリアで修業していた頃から、カロの目には社会の底辺に生きる人々の姿が消え去ることはなく映っていた。そして、画家人生の最後の15年近くは、社会の下層・縁辺部に生きるさまざまな人々の姿を描いている。

 人々はそれぞれが置かれた階級の場所で、精一杯生きていた。彼らの正確な数などは到底不明である。当時の社会の大部分を占めた農民を含めると、恐らく人口の7割をはるかに越える人々が、貧しく、質素な日々を過ごしていた。このピラミッド型の社会階層で最も下の部分を占めるのが、カロが画題とした人々である。日々を過ごす蓄えや手立てもなく、人間としてかろうじてその日を生きているような人々である。カロの描いた他の作品を鑑賞しながら考えてみると、フローレンスでもナンシーでも、こうした人々は日常いたるところで目につく存在であったに違いない。宮廷に頼って生きる貴族たち、プリンス・プリンセスの社会とは、事実上断絶した別の社会で貧民たちは生きていた。

ジャック・カロ「ロザリオをかけた乞食」
Jacques Callot, Le Mendiant au rosaire (Begger with rosary)

カロの「貧民」シリーズの迫力
 
カロの描いたPaupers(貧民)と呼ばれる一連の作品は、大きな反響を呼び、かのレンブラントも刊行後10年経たずして、作品を入手していたという。それまでほとんど描かれる対象にはならなかった人々でもあり、たちまち当時の人々の関心の的となった。各地をさまよい歩くさすらいの人々、ジプシー、貧しい農民たち、戦いに敗れ雇い主から解雇された傭兵などのリアルな姿が描かれている。貴族社会の華やかな生活と違って、見て楽しいというイメージではないが、あまり正確に伝わっていない社会の陰の部分が克明に描き出されている。彼らを描くという画家の思い自体に、社会の底辺で必死に生きる人々への人間としての同情がこめられている。教会などのわずかな施しなどに頼るしかなかった時代の苛酷な現実が、観る人の心を打つ。 

 カロの「貧民」シリーズは、正確には分からないが、ほぼ1622-23年頃に制作され、現存するおよそ25枚から構成されているとみられる。その一枚、一枚を観察すると、この非凡な画家が対象とした人物の実に細かい点まで観ていることが伝わってくる。油彩ではなく、モノクロの銅版画でよくこれだけ描き込んだという感想も生まれる。カロの描いた貴族のさまざまなイメージが、彼らの「スタイルブック」として使われたような役割は、「貧民」シリーズにはない。ここに描かれた貧しい人たちが、カロの作品を観る機会など到底なかったろう。しかし、この画家は実にさまざまな貧しい人々の異なった姿を描き分けている。もちろん、この創造力溢れた画家でも、当時の貧民の全体像を描くなど、到底不可能であった。それほどに、貧民の数は多かったのだ。しかし、カロの作品によって、現代人は当時の社会の現実の有様がいかなるものであったかを、時を超える迫真力をもって知ることができる。

現代の白昼夢
 
カロの描いた貴族と貧民のさまざまな姿に接していると、白昼夢を見る思いをすることがある。かなり以前からのことである。タイム・マシンは現代に戻っている。しばらく前、「一億総中流」社会と自称していた国があった。それがいつの間にか「格差社会」といわれるようになっている。身につけている衣装からはしかと判別できないが、生への強い意志も失い、頼る寄る辺もなく、ただ老いと貧困の日々を過ごしている人々が、かなり増えてきたと感じている。


Reference
Exhibition Catalogue, Princes & Paupers: The Art of Jacques Callot, 2013.

 

続く

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画家が見た17世紀階層社会(13):ジャック・カロの世界

2013年07月23日 | ジャック・カロの世界




Jacques Callot, La Grande Chasse (The Stag Hunt), 1619, etching on laid paper, the MFAH, gift of Meredith J. Long in honor of Fayez Sarofim at “One Great Night in November, 1991.”, quoted from the exhibition catalogue "Princes & Paupers" held in Houston.

 

 ジャック・カロの時代、支配階級である貴族層の頂点にいたのは、領主である。同じ貴族であっても、上流、中流、下流、法服、帯剣と複雑に階層が分かれていた。彼らの頂点に立っていた領主にのみ許された楽しみがあった。それは多数の貴族、その家臣たち、そして馬や犬を動員し、鷹をあやつる「鷹匠 」 falconer を使って、鹿、猪、狐、雉などの鳥獣を狩る『大狩猟(大鷹狩り)』 La Grand Chasse (The Great Hunt or The Stag Hunt)と呼ばれる大規模な狩りであった。

  中世以来、狩りを題材とした作品は多いが、カロも優れた作品を残している。制作されたのは、カロがフローレンスに滞在していた頃である。ここに紹介する作品はその一枚、鹿狩りの光景を描いたものだ。馬に乗った貴族や槍などを持った家臣、従僕たち、多数の猟犬、そして鷹匠などが、牡鹿を追って動いている。獲物とされる牡鹿は画面中央部に追い詰められている。以前、ブログでとりあげたことのあるパオロ・ウッチェロの『森の中の狩』と同様に、おなじみの遠近法を駆使して描いている。この作品で左右に広がる大樹は、狩り場の光景に迫真力を持たせる効果がある。カロが遠近法を十分修得していることは改めて述べるまでもない。
 
 左前方で馬に乗り、指図をしているのが領主なのだろう。後ろには槍を肩にした家来、そして多数の猟犬を従えている。そして、貴族の前で今、鷹を空に放とうとしている鷹匠がいる。上空には2羽の鳥が争っているのがみえる。画面右側にもなにかの指図をしている騎馬の男、はやる犬たちを抑えている男などが描かれていて、臨場感を強めている。中央の大きな木の下には、落馬したラッパ手までいる。左手小高い丘の上には領主の館と思われる塔を備えた別荘 estate の一部が描かれている。



La Grancd Casse (details)

 カロは鹿狩りの光景を4ステートで描いており、これはその一部を構成している(Four Landscapes, 1617-18;L.
264-67)。カロはイタリア時代に共に仕事をしたアントニオ・テンペスタが多数制作した狩りの光景から多くを学んだようだ。テンペスタはおよそ200点に及ぶ狩りの光景を描いたといわれる。

 カロはそれに加えて、フローレンス滞在中にフェデリコ・ツッカロ Federico Zuccaroが、ヴェッキオ宮殿内に描いた大作『大狩猟』を手本にシリーズを作成したと推定されている。この作品はツッカロが1565年、メディチ家フランセスコI世とジオヴァンア・ドオーストリアとの結婚を祝して依頼され、作成された。

 現実には、こうした狩猟や鷹狩りは当初、戦争の準備・訓練のために行われたが、次第に貴族たちの主たるエンターテイメントとなっていった。あのカスティリオーネも「宮廷人に適当な身体の運動であり、武人にはふさわしい」と推奨している。

 「領主のように狩りをしていた」というと、あのジョルジュ・ド・ラ・トゥールを非難する地元農民の亡命中のロレーヌ公へ当てた抗議の手紙の一節が思い浮かぶが、ラ・トゥールはリュネヴィルの大地主にまでなっていたが、画才を認められて貴族となったたかだか中級貴族にすぎず、到底このような壮大な狩りを楽しんだわけではない。この点については、別に記す機会があるかもしれない。

 さて、カロが鋭く観察して描いたこの時代の貴族については、興味深い点が多々あるが、ひとまずこのくらいにして、カロの描いた他の社会階層へ視点を移すことにしたい。

 

 

続く

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