日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

テンプレートを砂場に替えてみました。

2006-05-25 15:51:53 | 子育ての周辺
あれこれ捜していて、「お砂場」でストップ。
このテンプレート用の記事というか、この話を書くためにこのテンプレートにしたのか(笑い)。
集合住宅で暮らしていた時、沢山の子供がいて、それなりのお砂場もありました。
5歳、3歳、0歳と、3人の子育て真っ最中だったので、お天気の日は0歳を抱っこして連日お砂場周辺をウロウロする日々でした。
あるとき、長女がスカートのすそを引っ張ります。長女まだ4歳だったかもしれません。
「ママ、お団子を作ったから、お砂場に見に来て!」
何気なく足を向けると、お砂場の四辺の木の仕切りの上にお団子がびっしり。100個近くもあったでしょうか。
お団子いっぱいのお砂場にしようと、そう考えて小さな手で砂を捏ねていたかと思うと、暖かい気分になりました。
その後、また、「ママ、お団子を作ったから、お砂場に見に来て!」という子がいました。3歳の長男です(まさか、いくらなんでも0歳はいいません)。
子供って、ふーん、こんなものなのだと、とことこ0歳を抱いて、見に行くと、団子はありません。
「どこ?」
ありました。
ふっくらした手の中に、大事そうに一個。本当にまん丸な一個です。
ぬれた砂と乾いた砂を交互にかけて、見事に出来上がっているのです。
頭の中で、自分を笑っていました。
お姉ちゃんの時のように、「お砂場の周囲にずらっと」を、想像していたものですから。
弟には、お姉ちゃんの団子の記憶はないことだし…。
「団子を見て欲しい」は同じでも、あっちとこっち、違うものなのだと、忙しい子育てのなか、子供からぬくもりをもらった話です。
長男の団子作りはその後も続いて、幼稚園の花壇の隅に転がっていても、○ちゃんの団子でしょう、と言い当てるほどの執心ぶりでした。
以上、私の子育ての周辺「砂団子のお話」です。

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また思い出しました。若いお母さんだった頃

2006-04-11 08:06:06 | 子育ての周辺
音痴の母親だけれど、その後何度口ずさんだだろう。

♪ マリアさまーおめでとうー イエスさまがおうまれなさいます
  赤ちゃんイエスさまがー おうまれなさいますー ♪

歌詞は受胎告知そのもの。とするとあの時、うちの娘は聖天使ガブリエルだったのだ…
なんて、思ったりして。
勿論、マリア様や羊飼い役をやった子供達の親達も同じように、みんな回想はなさっているだろう。
写真はない。
牧師さんである園長先生は「聖劇です。催し物ではないので、カメラ撮影はご遠慮願います」の一言があったから。
そういえば、秋の運動会の開会式で、「小さな子供達にとっては、運動会は今日一日だけのことでなく、練習をやっていた期間も含めて、1か月間が運動会でした。そういう日々を通して今日を迎えているという目で子供らを見てやってください」と。

彼女の入園が私のPTAデビューです。はじめて「父母会」なんて文字を目にすると、「イヤダ―、なんか老けた感じする…」なんて、心中でそんな気持ちが湧いたりした、まだ若かりし頃です。
はじめて出会った我が子の先生がこの園長先生。素敵な園長先生でした。

さて入学式シーズンです。

〈カメラの放列。我が子の一挙一投足を撮ろうと、場所取りも怠れない。〉

今日の日経朝刊一面、『ネットと文明』の書き出しです。
そして、掲載写真はカメラを構えた父母の姿。
…だろうな、と思う。
振り返ってみると、カメラに撮っていなくても、結構思い出せるものです。というか、子育て中何度も思い出しているので、沁みこんでいるのでしょう。
「本当は子供達の姿を肉眼でしっかり見て欲しい」。と記事の中でも園長さんの弁が語られています。
ー自分の頭に頼らず、外付け脳を駆使する流儀ーという表現、脳の外注なのでしょうか。
回想すること、思考することは、手放したくないものです。
ああ、見出し文字に
 『ヒトの知、進化か退廃か』・『脳は借り物?』
と、警鐘に聞こえる言い回しが並んでいます。
ヒトとカタカナで書くときは、生物としての表現でしたよね。

「ちょっとしたことで何十年も前を回想できる素敵な脳をもっているのが、ヒトです」と言い張りたい(笑い)。




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息子の遊び場の話

2006-04-06 07:44:42 | 子育ての周辺
かつての話。
「お宅の○ちゃん、やさしいのね。この間お宅を訪ねようとしたら、『ママは病気で寝ているから、ボクんち 行っちゃダメ!』だって」
集合住宅に住んでいた頃、別棟のご近所さんから、そういわれたことがあります。

その頃は、つわりがひどくて寝込むことが度々でした。
「あっ、洗面器!」の一言で、2歳の息子はお風呂場から洗面器とタオルを持ってきてくれるのです。
そんなことがしばしばだったので、前述の発言になったのでしょう。

2歳の子供の外遊びに付き合えなくて、絶対に敷地内から出てはダメよと、前置きして、外遊びに出していました。

やがて生まれた赤ん坊を抱いて外遊びに付き合っていた頃のこと。
おもちゃの何かが敷地の外に転がっていきました。
「ママ、出てしまった。取れない!」
敷地の先1メートルほどの道路に転がったそのおもちゃが、敷地内からでは届かないと困っているのです。
勿論、「ママが見ているから、とっていいよ」ということで、些事は解決なのですが、ひとりで外遊びを始めてから、息子の自由に活動できる範囲を彼は敷地内としっかり守っていたんだと、その時赤ん坊を抱っこしながら思った次第です。
彼と赤ん坊は同月生まれですから、そのときは3歳になっていました。

〈ルールを守る〉は親譲りなのでしょうか。
振り返ってみると、ルールを守っていると、次の一歩を自信を持って踏み出せる筈、という思考方法が我が家にあるような気がします。

今日の朝日新聞のひととき欄に、病気のお母さんに替わって、料理をしてくれた話が載っていたので、こういうこともあったと、思い出しました。
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幼稚園の頃 こんな1ページ

2006-03-13 07:43:41 | 子育ての周辺
幼稚園のときの話。プール教室の帰り道。
「ボク困っちゃうんだ」
「なにが」
「プールで泳いでいるとき、お母さん、手ふるでしょ。それをみるとボク、うれしくなって顔が笑ってしまうんだ。そしたら、口に水がはいって苦しい…」
「ゴメン、ゴメン。だったら、今度から手ふらないね」
「ううん。振ってくれるとうれしいから、水から上がって待っているときに振っていいんだよ」
「わかった。じゃあ、これからそうするね」
「今日ね、コーチに褒められたよ。コーチが『○○クンに拍手って』っいったの。みんな拍手してたでしょ。あれはコーチがそういったから」
ガラスのこちらからは見えるだけで聞こえなかったけれど、息子にはいい1日だったらしい。

3人の子供全員が巣立って4年になろうとしている。
「子育てしていた頃の感覚、結構忘れちゃったよ」と、夫がポツリ。
ううん、母親は忘れない。きっとずっと忘れない。

去年の梅の季節。
友人と梅林を散策しながら、お互い巣立っていった子のことを語り、「母親って、台所でお茶碗洗っていても、頭は子供のこと考えてるからね」と、笑いあった。

夫の母親もきっとこうして、自分が子育てをした日々を思い出しながら、今暮らしているのだと、実感としてわかる歳になった。

また梅の季節。
希望の学部に合格して、その最良の日の翌日に親子で出かけたあの枝垂れ梅の梅林も次の土日は見ごろかもしれない。






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お金を造って・・・

2006-01-27 12:28:24 | 子育ての周辺
こんな話。
その小学校のあるクラスで、お店屋さんごっこが流行ったという。
休み時間に、自分で作った工作品を売り買いするのです。
お金はコインに紙をあてがって鉛筆で擦って浮かび上がる10円玉100円玉を紙で丸く切り取ったもの。
はじめはみんなが売ったり買ったりしているのだけれど、そのうちに売るために品物作りにせっせと励む人と、すっかり買う側にまわり、いっぱい品物が買えたと喜ぶ人に分かれるという。
お客さんは、どんどんお金を製造できるので面白いように品物は売れていきます。
売る側は紙製の工作品のアイデアを考えつくのに必死だったと。
ものの値段がすぐあがるの。だって、みんなはじめは気付かなかったけれど、すぐに500円玉を擦って作るのが一番いいと分かるから(笑い)。

買って品物が増えたと喜ぶひと。面白いものを作ろうと考えることを楽しむ人。
子供もいろいろ、ましてや大人なると様々なのでしょうね。

あー、近隣の某国では、国のトップの方が米ドルの偽札造りの指揮をしていたとか。
そりゃー、ブッシュさん怒るでしょうね。
そのトップは軍事力の強大さが国力だと豪語する人だから困ったものです。

上記のような「おままごと」だったら、可愛いのだけれど。


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昨日 飛行機雲を見た。

2006-01-19 15:36:12 | 子育ての周辺
真上から目の前をまっすぐに下がってビルの向うへ突き刺さるように一本の直線。

息子、友達がお父さんの留学で家族揃ってアメリカに行くと聞いて
「H君は飛行機の中で、ここからアメリカという線を超えると英語ができるようになるのだと思っていた」と
小さかった頃の雑談をお正月休みに帰省した息子としていたら、
「それに、僕は飛行機で行く『アメリカ』は雲の上にあると思っていた」
と。

そんな幼時の彼が、この飛行機雲を見ると、「飛行機が墜落した」と心配するだろうなと思ったりして、昨日、帰宅途中、ちょっとココロが笑った。

小さい頃には、順序もなく様々なことが、耳から、目から入ってきて、溢れんばかりの情報を自分なりに解釈しながら、そのうちに整理され上手く収まり、そうして大人になる。
その時は2歳だったか、3歳だったか。

「大きくなったらウルトラマンになる」といったのは、その後。
「じゃあ、雲の上にあるウルトラマン大学にいくんだね」なんて会話やっていました。

その彼がはじめて飛行機を体験したのは、大学受験の時(勿論、受験校はウルトラマン大学ではありません。笑い)。

その時の言葉。
「(窓から目にした景色に)自分が神になったようだった」と。
交通費が高い!と愚痴る私に
「安いと思う。だって考えてごらんよ。あんなに沢山の人を乗せて飛ぶ装置に乗れるなんて、凄いことなんだから!」と。
そりゃあ、ライト兄弟の想いからずっと考えてくると、……だろうけれどネ。

あぁ、飛行機雲の話だったのに、横道にそれましたね。
地球は丸いと知ってしまっている私でも、あんなに突き刺さるように上からビル街へと突き刺さるような飛行機雲みたの初めてのような気がします。


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あの時のカレンダー

2005-11-21 07:12:29 | 子育ての周辺
我が家の冷蔵庫にいくつものメモが貼り付けてあります。
その中に2002年のカレンダーの切れ端(1月、2月分)も。
前年の12月下旬から、娘がひとり中国の陸路経由で雲南からラオスへ向かうといって出かけた時の足跡。
何十時間も汽車に乗る旅は、2001年の夏に体験していたから2度目だったけれど、その度ごとに心配なものでした。
「中国の僻地ではね、手足をもぎ取られて見世物にされた旅行者もいるのよ」と、その暮れの忘年会で、私に忠告してくれた人もいました。
そんな話を聞いて、母親の私はどうしたと思いますか。
「今晩は寝ないでいよう」「寝なければ夢を見ないで済む」そう考えて、床の中で時間をすごしたものです(勿論いくらかは寝たでしょうが、嫌な夢は見ませんでした)。
そんな冬の記録があのカレンダーの日付につけられた○印。
メールで連絡があった日の印です。
ローマ字入力されたメールの文言がどんなに短くても、あぁ、この日まで消息があったと安堵したものです。
「よくそんな危ないところに若い娘をやるわね」
こんな忠告は、当然なんだろうなと思うのです。
一方、「そんなに中国過疎地を危ないというのは、そこに住む人を疑っているということだから失礼だよ」と諭す声も近いところから聞こえてくるのです(土産話で聞いたいくつ者、ほほえましいエピソードに、人への気遣いのバリヤフリーを感じたものでした)。
そんなあれやこれやの心配の中、南京まで戻ってきたとメールが入ったときの安堵感というか、体が楽になったというあの感じはまだ覚えています。

そして、今朝カレンダーに目が行きました。
彼女、今週を区切りとして、新しい世界へチャレンジするとのことです。
命までとられることはないから大丈夫だよ(まあ、なんと表現の大げさな…)。
どこまでできるか判らないけれど、ワクワクしているからね。

道は自分で作っていくもの。彼女の切り開いてきた道は耳に聞くだけで、血肉となっているのは彼女自身の五体なのだから、こちらには判りません。
あの、カレンダーに○印をつけて無事を祈ったこともあるのだから、それに比べたら…、そう私の心を整理している昨今です。

脚注 ○印のついたカレンダー(よくある朝日新聞の)は捨て難く、切り取って残したものです。
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小春日和です。「落書き」と「ドラえもんのシール」から

2005-11-18 11:05:14 | 子育ての周辺
久しぶりに書斎の掃除をする。
日差しが随分斜めだから、部屋の奥のほうまで明るい。
結婚当初に買ったカラーボックス(転勤族には便利な組み立て家具、まだ残っていた)にも日があたって、モップをかけていると側面の鉛筆の落書きとドラえもんのシールが目に入った。
形にもならない落書きだから、長女ヨチヨチ歩きの頃か。
3人の子供がいるけれど、してはいけないところに落書きするのは長女の癖。そしてドラえもんのシール大好き子供だったのも彼女の特徴(数年間はドラえもんのシール付きのカレンダーがサンタクロースへプレゼントのお願いだった)。
鉛筆を持つのが大好きで、いつも何かを書いていたから彼女の左利きは治す間もなかった(笑い。はさみは危ないからお母さんのいるところで使いなさいといったせいか、右手使い)。
あの頃6畳間の白い壁が鉛筆の落書きでいっぱいだった(二人の子供を抱えて体調のよくないこともあったから注意するのもあきらめて、引っ越すときにペンキを塗るという選択をした)。
今日ここにある落書きも、その白い壁に落書きした時代のもの。
節分の鬼のお面を貼り付けて、「福は内、鬼は外」とやったのもその壁。
鬼のお面をつけるのが怖かったし、お母さんがお面つけて鬼の役をするのも嫌がった娘だったから。
まだ弟は小さ過ぎて、だから娘といっしょになって、壁の鬼に豆を投げてはしゃいだ記憶がよみがえります。
そして、彼女随分小さい頃からドラえもんの漫画が大好きで、
「私ね、学校って嫌なところだって思っていた。だって、いつものび太のように廊下に立たされるのだと思っていたから」
子供時代は本の虫で、鞄を放り投げて外遊びしてくれたらと願うような子供だった。
自分の泥んこの靴を示して「いっぱい遊んだって証拠だから、いいことなんだよね」と、勇んで報告した娘。
そういっていたのに、今もまだ学校というところに通ってます。

追記 
そう、「サラマンドラ」の歌を耳にしたのはこの頃です。
♪サラマンドラ、サラマンドーラ火の中の竜
大好きで、大好きで、歌詞を覚えたくて、紙に書いてこの落書きの白い壁に貼って、掃除しながら歌っていました。
子供は覚えるのに、音痴な私はなかなか覚えられなくて…。
今も、あのメロディー思い出すとにジィーンとなってしまいます。
歌詞、どこかで探せないかな。
詩も切なく素敵です。
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秋の新宿御苑

2005-11-02 22:06:33 | 子育ての周辺
秋の日差しの中、砂利の音を聞きながら歩く。
「大都会の真ん中にこんなに緑があるなんてすごいよね」
「ロンドンのハイドパークは広いけどこんなに木々がないものね」(横長の公園敷地を横切ったものだから、歩いても歩いても公園が続き、草臥れた思い出が残っている)
「この街はすごいね。地下鉄も縦横に走る都会なのに、こんなに太い木がいっぱいある公園が街の中にあるんだもんね」と娘との会話。
懸案の話について一晩語り明かして、青空に誘われてやってきた新宿御苑。
「お母さん、どこに行きたい」と、聞かれて
確かバラ園もあったかしらなどと、30年前を思い浮かべながら「新宿御苑」と答えた。
そして新宿御苑に。
この街にもう一人の娘もいる。
「東京に行くから一緒に食事でも」との昨日の誘いのメールに、「ごめんなさい、時間がない」との返信があった。
彼女がいるのは新宿区内。
「お正月まで、身動き取れないほど課題がいっぱい」と、数日前にもメールがあったけれど、「それでも」「もしかしたら…」そんな気持ちが心のどこかにあるものだから、
自分自身に「昔訪ねた公園にもう一度」という理由をつけて、新宿区内のこの公園にいる。
「まったくアホだな」と自分を笑う。
アルバムにあるバラ園をバックにすましているミニスカート姿の若い娘が30年経って今の私。
娘たちは自分の30年後を知らない。写真の私も当然知らなかった。
自分の未確定のこれからに対して夢を持っている。夢の分量だけ不安もあるのだろうけれど、若いというエネルギーが彼女らを支えていることを切々と感じる。
「出る幕はない」というのは、こういうことだろう。
離れて暮らす娘たちに「元気?」とメールを送るばかりです。
そういえば、あのコマーシャル1回しか見ませんでした。
「元気か?」
「うん、元気」っていうやつ。
「元気だから、そういつも電話してこないで」と答えて涙をこらえる娘。
親子の心情、言い当てていますよね。「あ・うん」の呼吸ってやつかな。
つい耳を澄まします。
「元気」という音調に。
メールでは音調が伝わらないから、見えない文字を探しているような気がします。
まったくアホですね。




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いつまでも親子

2005-10-18 22:42:16 | 子育ての周辺
今年3つ目の弾丸が飛んできました。
お正月過ぎに一度目。
2度目はお盆の時。
そして昨晩3つ目。
まったく当たり年です。
ひとつの波を乗り越え、二つ目を小脇に抱えているところに、もうひとつ。
二つ目のときは「心配かけてごめんね」「私は今ポジィティブだから」と、母親の心を先取りするように伝えてきていた。
そして、昨日は「心配だったら、話すために帰省しようか。それともお母さんが上京する?」
どの子も自分の道の選択を伝えるとき、「心配性のお母さん」が真っ先に頭に浮かぶのだろうか、いつも電話口の声は私を気遣っている。
そのくせ彼女らの結論は決まっているから、聞き役にしかなれない。
真剣に進路選択をしている娘らに、若さの持つエネルギーに任せて一歩を踏み出そうとしている娘らに、賢(さか)しく安定を説くのは彼女らの夢にブレーキを踏むようなものと、自分を諭している私自身がいる。
次の日曜、彼女に会って、何を話そう。どう語ろう。
そういう思いを行き来させながら、今日一日が過ぎた。
ただお茶を飲みながら聞くだけで、買い物しながら聞くだけで、それだけで伝わるものがあるような気もするから、上京することになるかしら…。
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