日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

クリスマスイブにカーディガンの話

2006-12-24 09:47:04 | 子育ての周辺
最近、皆さんは毛糸編みの衣類の洗濯はどうしていらっしゃるのでしょうか。
私は、外出着以外は、タライで毛糸洗い洗剤で手洗いします。
先日もお風呂場で何枚かを洗いました。
今日の話は洗ったものの中の1枚の話です。

カーディガン。色使いも、編みこみ模様も奇抜な1まいです。
買ったのは、随分前の、クリスマスイブの日。
頭を悩ませていました。
登校が辛い日々が続いていた娘に、「電車で街の映画館に行こう」とか「泊まりにおいで」の声が、クラスメート以外から入ったりして…。
日々の辛さから逃れるために、楽しく自分を受け入れてくれるところを探しいてるように、そう見えました。
終了式の日、午後は一緒にクリスマスケーキを作ろうね、イチゴ買っておくからね。
そういって、ワクワク感をかもしだそうと一生懸命でした。
そう、例年になく一番立派なイチゴを奮発しました。

そんな、ハラハラしながらの冬休みに、クリスマスプレゼントとして用意したのが、このカーディガンでした。
バブルが一番膨らんでいたときに、住宅ローンをスタートしたこともあり、倹約を旨とした私の、お財布感覚では、珍しくの「奮発」でした。
南欧のような、明るい色の奇抜な幾何学模様…、色白でのっぽの娘にはきっと、似合うはずだ。
少しでも喜んでくれたらいいな、そう思ったこと覚えています。
翌朝の反応?
そうは問屋がおろしません。
私の、一人相撲だったのでしょう。

あれから、もう随分のクリスマスが通り過ぎていきました。
巣立ってからは、私のカーディガンになりました。

いつかの冬に、娘がこういったことがあります。
「お母さんって、このカーディガン、満更でもないね」と。

このお母さんにとっては、あのクリスマスのときに、笑顔が見たくて奮発した1枚なのだけれど、彼女にとっては、何枚もの洋服の一枚なのでしょう。
そこのところは、取り立てて、そのことを話題にしていないから、妙に若い人用のカーディガン、毎年着ているな、そんな風に感じているのでしょうね。

自分用には買うことができないけれど、私が好きな絵柄色使い、だったのかもしれません。流行とはまったく関係ないところで、私が毎年冬になったら引っ張り出す1枚になっています。

大振りだから、手洗い大変なのですが、タライのぬるま湯の中で押し洗いをしながら、過ぎ去った事柄を思い出させてくれる一枚です。
あっ、すっかり、元気で強い子に育ったからこそ、いとしい思い出といえるのかもしれません。


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ついでに、もう一回「お昼ご飯」

2006-11-29 16:52:25 | 子育ての周辺
自分のお昼ご飯ではないのに、同じテーマでもう一回。

あの頃は、息子は「ミニ四駆」に夢中でした。いつも何かに熱中しながら育っていった、そんなタイプだから、わかり易い育ち方でした。
週刊誌「少年ジャンプ」だかなんだかで、デパートで開催される大会に応募していたらしく、抽選にあたったとかで、ワクワク頼み込んできました。
「お母さん、おにぎりを作って」と。
小学生の息子は自分だけで食堂に入ったことも当然ありません。
だから、外でのお昼=お弁当、だったのです。
興味のあることに熱中するタイプだから、喜び勇んでいる息子には、一人で地下鉄を乗り継いでのデパート行きも、止めるどころではありません。
私?
おにぎりを作って持たせました。
ミニ四駆のレース模様も当然語ってくれました。
だけれど、覚えているのは、
デパートの屋上への階段のところで、一人おにぎりを食べたと、なんのわだかまりもなく話してくれたこと。(だから、本人は覚えていないでしょうね)
「だって、お母さん、食堂へ子供が一人ではいるのダメでしょう」
「ウン、ウン、そうだね」
と答えながらも、包み紙を開いて、おにぎりをほおばっている小柄な小学6年生を想像すると、笑えて来ました。
息子の本棚の上には、大切に、大切に、その自慢のミニ四駆が飾ってあったのは、言うまでもありません。
息子にはミニ四駆の話ですが、私には、デパートの階段で食べたおにぎりのエピソードです(笑い)。

余禄:後日、息子大学生の時。同じ時期に子供時代を過した、同好の仲間と語り合ったのでしょうか、宅急便で下宿先に送りました(笑い)。息子曰く。「あのころ、タイヤが年月でつぶれると嫌だから、木のブロックで車の胴体を支え、タイヤを浮かして飾っていたのだと…。
なんと、細かい!マニヤってそこまで愛玩するものなのですね。
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こんな「お昼ご飯」

2006-11-29 07:46:01 | 子育ての周辺
朝、車で出勤する。その冬の朝、冬期講習の中学3年の娘と家を出る時間が重なった。
家から出て最初の信号が赤。信号待ちしていると、横断歩道を自転車で娘が横切ろうとした。
そのとたん、朝方の冷え込みで路面凍結した段差で、自転車ごと転倒。
「あっ!」
娘は、さっと自転車を起こし、信号が変わらないうちに横断歩道を渡りきった。
「やれやれ」
彼女は冬休みに入って、一日中学習塾の2週間である。
年末も近いから、半分は過ぎたのだろう。
昨日、娘から聞いた話で気が重い。
「あなたがお昼ごはんを食べに自宅に帰っても、お母さんが仕事で、一人で食べることになるのだから、お弁当を持っていったら?」
「ううん、家に帰って食べるから、いいの」
「他のみんなはどうしているの?」
「…みんなは、お弁当だよ」
「そうでしょう。寒い中、いちいち自転車で戻ることはないって…」
と、いったその返事。
「みんなは、集まってお弁当を食べているけれど、私は、『忘れ物したから、家に取りに帰る』っていって、毎日、お昼に戻ってきているの」
年中塾通いしている仲間と、冬期講習だけに参加している我が娘。
「はっ!」です。
「私も一緒に」といえなくて、「あなたもこっちにおいで」と言ってもらえなくて、そのお昼時間の間がいたたまれないから、そ知らぬ振りして、自宅へ毎日帰っていたのだと、判りました。
朝お母さんが作ったお弁当を、自宅で一人食べる切なさよりも、お昼休みの学習塾で一人過ごすことが辛い気持ち。
-わかります。
そして、この朝。
凍結した横断歩道で転んでも、あわてて自転車を引き起こして、塾へ向かった娘の姿。
-見ているしかありません。
お昼時間には、またこの横断歩道を横切るのでしょう。
真冬の道の行ったり来たり。
居心地の良くない教室にいるよりも、行ったり来たりを選択している彼女。
-見ているしかありませんでした。

ちなみに、春は来ました。
寒い冬の経験も、本人のどこかで血肉となっていることと思います。

テレビでは、大人たちが、教育関係者が、親たちが「いじめ」「いじめ」と連呼をしています。
「いじめ」は、どこにでも転がっていて、誰もが救助者になる機会があります。
そして、いじめられたり、いじめたりの経験をしたことが、その辛さを理解できるから、救助者になれるのではないでしょうか。
だからといって、救助者になれるのは、「いじめ」に気づいたから、即、誰でもが、なれるわけではありません。
一声かけて欲しいのに、一声で助かるのに、見ているだけの立場って言うのもあるのです。
不思議ですね。
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あの頃、充分楽しんだ学習雑誌「学研」

2006-09-03 09:37:50 | 子育ての周辺
「私って、学研の「学習」と「科学」好きだったよねー」と、長女は子供のころを思い出すと、よく言う。
今日の朝日新聞の記事に、「学習雑誌」が取り上げられていたので、それに纏わる話です。
①配達編
当時は「学研のおばさん」という言い方をしました。学習雑誌を毎月、購読家庭に配る仕事です。
ある時、こんな事を言われました。
「今月から、この仕事に就いたのだけれど、前に配っていた人が、お宅へ配るのが楽しみだったって」
「何で?」
「『学研でーす』というと、奥から子供たちが、われ先にと競うように走って玄関まで出てくるから」と。
そういわれてみれば、それは、我が家の毎月恒例の光景です。
「学研のおばさん」の印象に残って、申し送りまでされていようとは…。
学研が大好きな子供たちでした。
クラスの友達の所に届いているのに、我が家に届かないと、「お母さん電話で聞いて」と、督促の電話をかけると、
「はーい。雑誌と付録が別々に送られてくるので、いま部屋に広げて組み合わせているところです。すぐ持っていくからね」と、そんな返事。
子供はまだかまだかと、首を長くして待ち、チャイムで小躍りするように玄関に向かうのです。
②付録編
学研の科学の付録が大好きだったらしい。
長女、長男が競って組み立て、雑誌も全部読みあっていたらしい。
「楽しかったー」と、長女はよく言う。「付録の材料がさらに欲しいときは『追加注文ができる』と書いてあったから、私、欲しいときは追加注文までしていた」と。
興味があることがいっぱいで、やってみて、興味を一番共有できるのは、○ちゃん(弟)だった、私が面白いと思うところ、必ず○ちゃん(弟)も、同じように興味もってくれたから。
厚紙でプロペラを作ってモーターに接続して扇風機を作っていたけれど、あのモーターも付録だったのかしら。
あれはT市に住んでいたときだから、小学1、2年生の頃。
③投稿編
「はめ絵」というのだろうか、何度か応募して掲載もされたことがある。
その景品に、水着姿の女性のカードが送られてきた。小学1年生の息子にです。何かのあまりもののような感じでした。
楽しみにしていた景品がこれではおかしいと、「学研」支社に電話。
「どんな些細なものでも良いですから、6歳の子供用の他のものにしてください」伝えて、プラスチックの小さな水筒が送られてきた。
④自腹編
そんな「学研」大好き家庭だったのですが、末子が入学すると、1年4年6年の3人に、「学習」と「科学」の2冊ずつ、計6冊というのは、ちょっと費用も嵩むし、お姉ちゃんは、「どちらか1冊」にと提案。
すると彼女は、どうしてもや止めたくないといいはり、6年生になってからは、自分のお小遣いを出すということで、継続していました。
なんと、学研からお褒めの言葉をもらっても良いくらいの「学研ファン」だったのです。
⑤おまけ編
長男が小学校6年を終えるとき、「中学生用の学研を購読したい」と、学研と別れがたいらしく、「学研の科学に変わる中学生用のものはありませんか」と、これまた学研に電話したこともあります。
紹介されたのは、もう大人用の科学雑誌でしたけれど。

まだ、パソコンも携帯電話もない時代の話です。

あー、学習塾には一切関わらないで育つた子供たちですが、「学研」のこの「学習」と「科学」、まわし読みするから2冊だったり、4冊だったり、6冊だったりをたっぷり読んで、大きくなったのだなーと、つくづく思い返します。



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中国の旅、彼女の感性

2006-08-29 21:59:32 | 子育ての周辺
数年前、二女が中国雲南省への一人旅から帰って、出来上がってきた旅の写真を見ながら語ってくれた話の中から、ひとつ二つ。

小学校3,4年の子供たちが4人、女の子が3人と男の子が一人写っている写真が数枚。
着ている服が垢光りしたところもあり、日本の子ではないとはわかる。でもカメラに向かって笑っている笑顔を見ると、「どこの子供も一緒だね」と声をかけたくなるほど屈託がない。
そのうちの1枚。
「よい景色のところへ案内するって、この子らが私を連れて行ってくれたの」…写真の背景には見事な雪山が写っている。
「そのお礼にって、旅の途中でもらったぬいぐるみ1つをあげたらね、女の子たちがなにやらジャンケンしてたの。誰のものにするか決めているのかと思ったら、そうではなくて、一晩交代にするので、その順番を決めるジャンケンだった」
「それでね、この男の子が私に言うの。『せっかく貰ったものを容易に人にあげてはいけないよ』って」
…彼なりに考えた理屈です。
本当は自分もジャンケンに加わりたいのに、男の子である自分としては、ちょっと気まずくて、あげるのをやめればいいジャン、なんて考えるところ、その少年の気持ち、納得、納得です。
娘と子供たちは中国語。
その場にいても私にはちっともわからない会話だろうけれど、解説されると、その心理、わかる判る、同じだな、と思った一コマの話です。

そして、場所は変わって、もうひとつの話。
青いジャージー姿の中学生と娘が一緒に写っている。
この後ろに写っているいるのが彼女の家。古材で作った小屋のような家です。
向こうて゜働いているのがお母さん。いつも畑仕事をしているから、日焼けして年取って見えるけれど…。
娘は南京の大学に留学している日本人の大学生。広い国中国では南京は遠くにある大都会です。雲南省の田舎の畑作家庭の中学生は、日本という国からやってきた少し年上のお姉さんである娘に、叶うかどうか判らない向学心を語ったのでしょうか。
「別れ際にね、あなたと会った印に、なにかプレゼントを残したいのだけれど、今私は、プレゼントできるようなものを持つていないの。もし、失礼にならなければ」と断って、紙幣1枚を渡してきたのだと。
文化が異なり、生活レベルの違う国で、彼女と話すことで満たされた気分の印を残したかったのでしよう。

いつの旅でも、彼女ならではの話題を語ってくれます。
この娘、海外に行くとのびのびするタイプらしいです(笑い)。
そこに小学校があれば教室の子供たちを訪ねもするし、村の結婚式にも急遽列席したり、アジアの文化を研究しているならばと村人から火葬の場にも呼ばれたり、旅の話を聞きながら、親の知らない一面の持ち主だと判ってびっくりでした。

一人海外旅行が、ちょっぴり不安な私が、「一緒にどう?」と誘うと、「お母さんと一緒だと、海外に行った気がしない。いつもそばにお母さんの顔があって、日本語話すことになるから」
「うーん、……。」

初めて大学1年の春休みに、一人でアメリカ行きの飛行機に乗るとき、「日本円を片付けていいよ」というと「機内でお腹すいたとき、お弁当買わなくてはならないから…」なんて言っていたのに、あっという間に様変わり。

出かけた旅先の一コマ、一コマを語ってもらった中から、いま頭に浮かんだ話です。
いつも一人旅で、こちらは無事の帰りを待つばかりなのですけれど。



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子育て覚書 

2006-08-27 10:07:37 | 子育ての周辺
今日から1週間、「釣りバカ」ならぬ、「親バカ」シリーズです。
昨日に続いて、くどい!と思われる方は、パスしてください(笑い)。

あんな時があったのだろうか。
確かに、そうだった。
高校3年になる長男の秋の文化祭。

それは5月ころだったろうか。
食事をしながら、
「秋の文化祭で、主役級の役をすることになった。ピアノを弾く役でね…」
「えっ、そんなに大きい役?」
「僕が決めたのだから、何も文句を言ってほしくない」
-小学校の時から、目立つことが嫌いだったのに、よりにもよって、受験前のこのときに台詞の多い主役級…ー
母親の私の心のうちは、不安がムクムク。
「この話題は、家では一切しないからね」
長男の剣幕で、話はストップ。

夏休みが過ぎて、秋。
多分、あの話は進行しているのだろうとは思うものの、情報は一切なし。
同じ高校に通っている中学時代の同級生のお母さんに電話で聞いたら、文化祭の日程ぐらいはわかるかもしれない。
まったく、親バカで、漸く聞き込んだ日程の日に息子の高校へ。

舞台のある体育館。
受付でもらったプログラムを手に暗がりの中、一脚のパイプ椅子に腰を下ろす。
件の劇の番。
舞台上には誰もいない。
突然、脇の通路(なんというのか、2階席の高さの窓際通路)から台詞が聞こえスポットライトが、長い台詞を語っているのが…、
小学校のときにジャンケンで台詞の少ない役を奪い合っていた息子です。
そして、舞台中央に登場して、ライトを浴びて、ここでも滔々と長台詞を…。
小学校のときにジャンケンで台詞の少ない役を奪い合っていた息子です。

初めて話題にしたときの、私の反応を察してから、ずっと話題を避けていたから、衣装を見るのも初めてです。
これをやりぬきたかったから、発声練習の素振りも一切見せずに、彼はこの日を迎えている。家族(母)が見に来ていることも、当然知らない。
そういえば、映画「いまを生きる」が大好きだと、何回も見ていた。
思春期、映画の中の高校生に共感するものがあったのだろう。
内気な法律家の息子○○が主役じゃない?と言っていたこともある。
映画の中でも、親に反対されながら、シェークスピア劇に夢中になっている高校生チャップ(?)がいた。
今は、あの演劇青年に自分を投影しているのだろうか。

そんなことをあれこれ思い巡らしながらの時間だった。

全国の高校で、毎年あるであろう文化祭。
いろんな演劇が、今年も上演されるのでしょう。
どこの家庭にでもある、ひとつの通過点なのでしょうけれど、自分だけでは味わえない、子育てをしていたからこそ味わえた1シーンです。

その後も、ずっと話題にしていません。
家族で観客としてみたのは私だけ。
本当に見たのは確かなのですが、だんだんぼやけてしまいそうで、ここに記して残します。

もし、ここまで読んでくださったとしたら、親バカの話として、ご笑納ください。
ピアノ?
舞台では弾きませんでした。
隣室から曲が流れてくるという設定になっていたようで…。

そういえば先日ドライブ中、FMから聞き覚えのある曲が流れてきました。
ほら、この曲、食事の準備をしながら、いつも聞いていた。
リビングダイニングにピアノがある我が家では、練習の音がモロに聞こえるのです。
ベートーベンの「テンペスト
自分が弾いていた訳ではないのに、なぜか子供たちがピアノに向かっていたころが思い浮かぶのです。
クーラーのない部屋で、ご近所迷惑だから窓を閉め切って。
子供には背中に扇風機の風。
私?。
台所の熱気、暑つかったー。
これも、子育ての置き土産です。








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風は9月に向かって・・・

2006-08-26 16:01:16 | 子育ての周辺
日差しは強くても、窓から入る風は確かに幾分涼しくて、耳を澄ませば虫の声も聞こえるようです。
「お母さん、うちの子たちってね、お母さんを喜ばせたいんだよ」
少し前、長女が電話で言っていました。
小さいときから「お利口さん」をやり続けて、多分くたびれた筈の子供たちなのに、期待に応えようとする癖が染み付いているのだろうか。
 ……。
引き出しには結婚式の案内状が入っています。
「式はしない」といって、結婚届出を出した長女に続いて、二人目の子供(長男)の結婚式です。
飛行機で出席する距離だということが、心さびしくて、ダダをこねていました。
社会人になって間もない息子と、社会人10年近いお相手とでは、本当にいいのか、と、よく知りもしないで、勝手に戸惑っていました。
でも、それはお母さんの詮索することではないはずでしょ。
家族にそういわれて、この件では、ひとりぼっちの1年半でした。

「お母さん、うちの子たちってね、お母さんを喜ばせたいんだよ」
知恵者の長女が、くよくよしている私を十二分に知っての上で、そう言うのだから、今この状態で、悲しんでいるのは長男なのだと察するべきなのです。

「気になることがあると、子供のことって、頭から離れないよね」
「そう、お茶碗洗っていても、そのこと考えているもの…」
友人と、そんな会話をしたことがあります。

ブログをはじめて、もうすぐ1年半。
ありがとうと、何度言っても言い切れないくらい、楽しい思い出を残していってくれた子供たちなのに、その幸いが災いして、我が儘になっているのかもしれません。

親ばかの話です。
まだ歩みだした卵ですが、よいお医者さんに育つと思います。
毎晩、翌日の準備や勉強で帰宅が遅いらしいですが、体を壊さない限り、努力するタイプ(父親ゆずり)ですから。

飛行機の切符がまだ届いていませんが、来月飛行機で出かけます。




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内々の話だけれど、我が家用の記録として

2006-06-07 10:28:05 | 子育ての周辺
深夜1時台の息子からのメール。
初めて主治医として自分が執刀して手術をしたとのこと。
上の医師に見守られながらだったけれど、イメージトレーニング通りにできて、無事終了。患者さんに感謝されたと、メールの文字は伝えていた。
遠隔地で、白衣姿は見たことがないけれど、この春研修医を終えて、これはきっと彼の生涯の記憶に残ることになるのでしょう。

その昔、園児服姿の誇らしげな表情は忘れない。
「幼稚園でみんなで縄跳びしたんだ」
「『できるところまでやり続けなさいって』言われて、何回飛んだと思う?」
笑いがこぼれそうな顔でそう言う。
「うーん、えーとね」
「200回!」
「『ずっと続けて』といわれたけれど、飛んでいる人、ボクひとりになって、200回で止めちゃったの」
縁側にいる母親に報告してくれた日を忘れない(本人は覚えていないだろうけれど)。

「近所の人がね、グループで社会見学で裁判の傍聴に行ったら、『裁判官席にいたのが、お宅の息子さんだったのでビックリした』っていわれた」
25歳の左陪席裁判官。
近所の人の言葉に、裁判官に育った息子を持つ母は、さぞ、子育ての喜びをかみしめたのだろうなと、今つくづく思う。
あの時、傍で私の耳にも聞こえたけれど、子育て経験がなかった私とは格段に違う、喜びが沸いていたのだろうなと、後になって、自分が子育ての年季が入ってくると察せられるようになった。

夫の母に
「子育て中はね、誰でも、自分の子が天才じゃないかと、3回は思うものだって」
私が子育てスタート時代にいわれたことがある。
自分に言い聞かせていたのだろう。

ウーン、3回か…。
そんな話を語ったことがあるものだから、
「お母さん、もう3回思ったから、もういいでしょ」
そういった子供もいた(笑い)。
そして、我が家の子供達は、右にゆれ、左にゆれ、しながら育っていった。

そのひとりから『イメージトレーニングどおりの手術ができた』とのメールが届いて、園児服姿を思い出すのだから、母親って可笑しい。
リリーフランキーの『東京タワー』で、泣いたところ2箇所あったと、以前に書いたけれど、その2箇所目に免じて、これを書く。
我が家用の記録として。
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そして、もう一度、子育ての周辺

2006-05-26 17:59:19 | 子育ての周辺
「夫婦喧嘩は犬でも食わぬ」のたぐいの「子育て編」話ですから、つまんないと思われた方は、パスしてください。次回は、社会問題を書きますので…(苦笑)。

同じく、砂場遊び盛んな頃の話です。
昨今は、幼児が被害に遭う事件の多発で子供の帰宅に神経が注がれていることと思います。
今日の話は、ある日の思い出です。
長女が幼稚園に行き始めた一年目。
公務員の集合住宅が五棟で、子供が沢山いたものだから、送り迎えを交代でしていました。
彼女の帰宅時にカギをかけて留守にしていました。下の二人の子供と、例の砂場辺りにいたのかもしれません。
ころあいに帰ってみると、ドアノブに紙が引っかかっているのです。
『◎◎ちゃんのところで あそんでいます』
我が家は3階、1階のお宅にいるということの連絡です。
お絵かき帳だったか、新聞のチラシの裏だったかに、クレヨンで文字を書き、上のほうに穴をあけて(手でちぎった感じで)ドアノブに引っ掛けてあるのです。
この〈穴をあけて引っ掛ける〉手法、うまーい、と思ったものです。
勿論、すぐに1階のお宅にお邪魔して、御たいめーんはしました(笑い)。
親がいないからといって、泣かないで、彼女、そう行動するのか、と思ったものです。
決して、彼女、強い子ではないのです。
その少し前に家族旅行で行った、紀州の白浜ワールドサファリでは、遊覧バスに乗ったものの、怖くて窓の外を見ることが出来ず、一周する間、ずっと床にうずくまっていましたから。
放し飼いの動物を見せたくて、ワールドサファリが旅行の目的だったのに…。
持ち味は、小さい頃からスタートしているものだと、つくづく思います。


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お砂場の話、もうひとつ

2006-05-26 08:06:12 | 子育ての周辺
このテンプレートであるうちに、もうひとつ。
子供の外遊びは連日お砂場だったから、「お食事の時間でーす」と、呼びにいくのも砂場です。
「おうちに帰ろう」
「うん」
「お友達から、○○(娘)ちゃんのシャベル、返してもらったら」
「ううん、いいの」
「あれ、○○ちゃんのでしょ」
「あげるから、いいの」
こんな娘でした。
自分のものなのに、「私の返して!」「使っちゃダメ!」なんて台詞は彼女の持ち言葉の範疇にはないのです。
そんなわけにはいかないと、
「ゴメンね、○○ちゃん帰るから、シャベル返してね」は、私の口から。
三輪車も、娘が乗るより、団地の周りの共有物みたいで…。
「貸して」
「うん」
「貸して」
「いいよ」
の日々。

去年、娘と1週間の旅行をしたとき、小さかった頃の話になって、その話題が出たとき、彼女は言いました。
「私は覚えていないのだけれど、多分、シャベルや三輪車はわたしが使うより、使いたい人が使ったほうがいいと、そう考えていたのだと思う」と。
「ダメ、いやだ!」なんて、我が子が自己主張をすれば、「ゴメンね、貸してあげられなくて…」なんて台詞もいえるのに、そんなこといえるチャンスはないのです。
なんとココロの狭い母親だと、ウジウジしているのはわたしでした(まったく!)。

反対に、「ダメ!○○ちゃんには、貸してあげない!」この言葉は何度も耳にしたのですが(笑い)。

その頃の私は20代の後半。子育ても初心者マークの頃の話です。


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