昨日は成人式だったらしい。
自分が成人式とは縁遠いやり方だったもので、いつも傍観者。
私が大学入学した年の9月ころから、うちの大学はストライキに入り、連日クラス討論会の日々だった。
10.21の新宿騒乱のニュース記事は今も記憶にある。
当時は学生運動のニュースが載らない日はなくて、トップニュースになることもしばしば、といった社会情勢でした。
ノンポリであることは、肩身が狭く、せめてノンセクトであらんと、自分なりに参加しようとする気持ちはあっても、民青(民主青年同盟)のオルグには興味がわかず、立看前で、ヘルメット覆面姿で拡声器でガナリタテル、核マルや中核派は、とても近寄れるものではなかった。
べ平連と呼んでいたベトナム戦争反対運動であれば、自分は参加できると、ひとりでデモに参加したものだ。
一人でデモに参加って、おかしい表現ですよね。
友達と連れ立って、ということではなく、趣旨に賛同するのであれば、自分なりにかかわろうとして、ひとりでとった行動でした。
暮れなずむ頃、大学構内の地べたに大勢のデモ参加者と一緒に腰を下ろし、説明を聞き、インターナショナルを歌い、
もし、万一、逮捕されたら、この弁護士に連絡を取ってもらうように、という紙片まで渡されました。
紙片を配る人は、デモの常連、セクトのベテランかもしれません。
雲行き、ちょっと…、と思ったものの、自分にゴーサインを出しての参加だったので、デモの列の一員として、街中に出ていきました。
機動隊(みなさんご存知でしょうか)が、ぴたっと、デモの両脇を固め、そのことが、より一層デモの列を物々しいものに見えたでしょう。
なんで、成人式のタイトルでこんな話に?と、思われるでしょう。
私の世代は、二十歳ころが丁度学生運動で、自分は、どうあるべきか、と常に自分に問いかける風潮の中にあったことから、
なんだか、親に拵えてもらった振袖を着て、行政の行事に出席するっていう意識から遠い所にいた、という説明、前振りです。
私の参加したデモも、前方の隊列が機動隊ともみ合いになり、平凡に真ん中あたりにいた私が、棍棒を持った機動隊の前に押しやられたり、民家のガラス戸が音をたてて壊れたり、素人参加者には胆を冷やすものでした。
東大構内に機動隊がなだれ込んだ69年の1.18を境に、学生運動は下火になり、翌年の私が成人式を迎える1月には、講義も始まっていました。
無力感をどこかに感じていた二十歳の学生には、成人式は似合わなかったのです。
大人社会にそのまま巻かれてしまう若者ではないのだ、という気概を細々と程度には持っていたのでしょうか。
4畳半の下宿に寝転んでいると、ラジオから「青年の主張」という番組が、聞こえてきました。
そんな時代に二十歳という時をすごしたものだから、振袖を着て成人式!という大学生には、なじめないのです。
高卒で働いて、成人式の着物を揃えるってのはわかります。
学びたくて、大学に行かせてもらっている、のに、なーんで、
なんて、硬いことをいってしまうのです。
アハハ。
被害者は長女かも。
成人式の振袖体験はしていないけれど、先日お母さんの訪問着を着て、パーティーに行きました。
なーんだ、お母さん、和服持っているのだね、と。
二十歳の振袖姿のお嬢さんのインタビューもテレビで流れていました。
キャンパスを行きかう若者の今は昔の話です。
自分が成人式とは縁遠いやり方だったもので、いつも傍観者。
私が大学入学した年の9月ころから、うちの大学はストライキに入り、連日クラス討論会の日々だった。
10.21の新宿騒乱のニュース記事は今も記憶にある。
当時は学生運動のニュースが載らない日はなくて、トップニュースになることもしばしば、といった社会情勢でした。
ノンポリであることは、肩身が狭く、せめてノンセクトであらんと、自分なりに参加しようとする気持ちはあっても、民青(民主青年同盟)のオルグには興味がわかず、立看前で、ヘルメット覆面姿で拡声器でガナリタテル、核マルや中核派は、とても近寄れるものではなかった。
べ平連と呼んでいたベトナム戦争反対運動であれば、自分は参加できると、ひとりでデモに参加したものだ。
一人でデモに参加って、おかしい表現ですよね。
友達と連れ立って、ということではなく、趣旨に賛同するのであれば、自分なりにかかわろうとして、ひとりでとった行動でした。
暮れなずむ頃、大学構内の地べたに大勢のデモ参加者と一緒に腰を下ろし、説明を聞き、インターナショナルを歌い、
もし、万一、逮捕されたら、この弁護士に連絡を取ってもらうように、という紙片まで渡されました。
紙片を配る人は、デモの常連、セクトのベテランかもしれません。
雲行き、ちょっと…、と思ったものの、自分にゴーサインを出しての参加だったので、デモの列の一員として、街中に出ていきました。
機動隊(みなさんご存知でしょうか)が、ぴたっと、デモの両脇を固め、そのことが、より一層デモの列を物々しいものに見えたでしょう。
なんで、成人式のタイトルでこんな話に?と、思われるでしょう。
私の世代は、二十歳ころが丁度学生運動で、自分は、どうあるべきか、と常に自分に問いかける風潮の中にあったことから、
なんだか、親に拵えてもらった振袖を着て、行政の行事に出席するっていう意識から遠い所にいた、という説明、前振りです。
私の参加したデモも、前方の隊列が機動隊ともみ合いになり、平凡に真ん中あたりにいた私が、棍棒を持った機動隊の前に押しやられたり、民家のガラス戸が音をたてて壊れたり、素人参加者には胆を冷やすものでした。
東大構内に機動隊がなだれ込んだ69年の1.18を境に、学生運動は下火になり、翌年の私が成人式を迎える1月には、講義も始まっていました。
無力感をどこかに感じていた二十歳の学生には、成人式は似合わなかったのです。
大人社会にそのまま巻かれてしまう若者ではないのだ、という気概を細々と程度には持っていたのでしょうか。
4畳半の下宿に寝転んでいると、ラジオから「青年の主張」という番組が、聞こえてきました。
そんな時代に二十歳という時をすごしたものだから、振袖を着て成人式!という大学生には、なじめないのです。
高卒で働いて、成人式の着物を揃えるってのはわかります。
学びたくて、大学に行かせてもらっている、のに、なーんで、
なんて、硬いことをいってしまうのです。
アハハ。
被害者は長女かも。
成人式の振袖体験はしていないけれど、先日お母さんの訪問着を着て、パーティーに行きました。
なーんだ、お母さん、和服持っているのだね、と。
二十歳の振袖姿のお嬢さんのインタビューもテレビで流れていました。
キャンパスを行きかう若者の今は昔の話です。