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日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

格差という表現でいいのだろうか。

2010-01-28 12:43:33 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
NHK大河ドラマで坂本竜馬をやっている。
150年ほど前の日本。
出てくるサムライと言っても、食うに困るサムライの姿だったり。
同じ侍でも、上士と郷士の区分がなされていて、これまたひどい格差がある。
そして、どんなに落ちぶれた侍でも、町人や百姓に対しては上位。
そう格差。
学問が優秀とか、武術に長けているとか、心根がやさしい、とかは関係ない、努力では克服できない絶対的格差。

日本の話です。
土佐の話ではあり、例外がないとは言わないけれど、
身分社会というのは、五十歩百歩、だという気がする。

藩が一つの国、の役割をなしているから、
殿様、は、藩の殿様。
お江戸へ行くのには、通行手形とか、許しがないと出向くこともできない。

そんな体制に暮らしているとしたら、
世の中はどういう風に見えるのだろう。
そういう視点で時に空想してみることがある。
物語では、岩崎弥太郎氏をこれでもか、これでもかと、貧困と根性の人として描いている。
昨今の私たちでは、「なにもそこまで」と、追いやってしまいそうなかん難辛苦の山積みされたシーンを役者さんが演じている。
後の岩崎一族の方々のルーツです。
あの比類ないエネルギーあってこその、三菱があるのかと、学ばせてもらっています。

若い人たちも、このテレビ番組を見ている、ハズですよね。
こんな格差の充満した時代、
食べるのがやっとの時代を、150年前に持っている私たちの国が、
ようこそここまで、と思いませんか。

「格差」という言葉で、昨今アレコレ語られるけれど、
かつての、何を逆立ちして訴えようにも、どうしようもなかった、身分社会から
ここまで進展してきたこと、そのことも忘れてはいけないと思うのです。

で、昨今言われている格差、
どうなのでしょう。
みんな同じにならないと、格差があることはいけない、ということなのでしょうか。

(熱心な視聴者じゃないのですか)ドラマを見て、私などは
ああ、日本の先人達はよくここまで、可能性を発揮できる社会にしてくれたものだと、そう思っています。

先進国でも比類を見ないほどの、公平意識があるのではないでしょうか。
違うかな?



コメント (4)
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