日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

夫婦とも後期高齢者になった。

2025-03-04 07:18:38 | 私の雑感あれこれ
本人の言うところではアルコール量は減っているというけれど、早めにスタートする晩酌の後は、ほぼ横になって、テレビを見ようとしていても、ついうとうとしてしまう、というのが日常。基本見たい番組を録画で見るパターンなのだけれど、せっかく録画しておきながら、もったいないものだと、寝ている夫を横目で見ながら、視聴することになる。例えば昨日は昭和42年制作の映画「日本のいちばん長い日」。教科書ではポツダム宣言受諾したと習ったけれど、実際に受諾を受け入れるまでの顛末が描かれている。
75歳の老婦人が今さら知ったとて何になる、と言われるかもしれないけれど、知らないよりはしっている自分のほうがいい、とおもうタイプ。苦笑

40代、50代の頃を振り返ったのか、ふと夫は「ボクは仕事から帰宅するときどうしていたのか」とつぶやいた。
アレレ! 忘却してるの?!?
地下鉄通勤でした。でも最寄りの駅までは徒歩で20分はかかります。朝は私も一緒に通勤します。私は早めの午後4時半ぐらいには帰宅します。子どもはかぎっ子。末っ子は小学生なので、一刻も早く帰宅したかったものです。近所のスーパーで買い物して帰宅。すぐに夕食つくりでした。カレーライスやおでんで根菜は使ってはいましたが、週日は早くこしらえられるものばかり。多分炒め物類が多かったように思います。夕食は3人の子どもと私の4人で食べます。夕方から夜にかけては、3人の子供たちがピアノの練習を順番にやっていました。週に1度は3人を連れてピアノのレッスンはありましたが、こんな毎日でした。
思えば、夫は 👆 は知りません。
子どもたちが毎日ピアノの練習をしていたことを知らない夫が、今、その時のピアノで練習をしているのですから、妙ともいえます。
夫からは夜9時過ぎから10時ころに電話が入ります。すると最寄り駅まで車で迎えに行って、帰宅後の夫の夕食を整えます。10時過ぎまで自分の仕事が終わらない、という生活でした。やるよりなかったし、やれた、ということは、体力あったのですね。

仕事では、隣県の役所あたりまで出向くのは当然、だったし、そのことで疲れるという感覚はありませんでした。思えば体力も今とは格段に違うのですね。子どもが体調を崩して、ご近所の方から「〇〇ちゃんを病院に連れて行きます」という連絡が入っても、予定に入っていた仕事を抜けらけなくて、やり終えてから病院へ向かいました。

必死でした。
今となっては、よく乗り切ってきたな、と思えるエピソードです。

その人生も、すでに第4コーナーを回った感じがします。
体力のメンテナンスをして、ラストスパートする場面なのでしょうか。
私のラストスパートって?  うっふふ。
一昨年から再開した海外旅行(以前と違ってひとり参加です)もメニューに加わって、体験してよかった、という思いを重ねていきたい、です。

夫は最近、YouTube番組で見たのに刺激を受けて、お店で売られていたまだ生きているものを飼い始めました。サザエは生きているのを購入してもなかなか生き続けてもらえず、ご臨終。今はナマコがまだ存命だそうです。いろんな趣味があるものですね。




コメント
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