お忙しいとは思いますが、できたら時間をください。
というか、読んでみていただけたら、と思う次第です。
(弊ブログをお訪ねくださった方に、できれば川口さんのコラムを読んでいただきたいので、この記事を今月いっぱいは、記事トップにします)
私たち日本人に課せられた「大人が考えなくては問題」だと思うのです。
子供に宿題を「やりなさい」というばかりではなく、主権者である私たちも、立ち止まって、この問題(宿題)を考えてみませんか。
必ずしも○×で解が出ないかもしれません。おおよそ大人の問題ってそんなものです。
まず、読むことから、それが大切な扉のような気がします。
※この問題を考える手立てとして川口さんの文章でなければならないわけではないのですが、具体的な話から入っていて、分かりやすい文章だな、と思ったものですから。
足跡(コメント)が、ちょっとでも、ほら、昔なら正の字を一画ずつ書いて数を数えたみたいに(今時だったらシール貼るのかしら)、そんな、読んでくださった形跡が感じられたらうれしいのだけれど…。
「現代ビジネス」に掲載されている川口マーン恵美さんの「シュトゥットガルト通信」のバックナンバー記事です。
わたしたち日本人の教科書にも載っていた「最後の授業」のアルザス地方の歴史アレコレから、教科書で知っていることと、実際とは全く別物ということ、ほか、読んで考えさせられること多々あります。
コラムの正しいテーマ名はちょっと長くて、
「『最後の授業』に描かれたアルザス領有問題の政治的意図とは?領土問題は政治力=軍事力のある方が勝つという歴史的事実を、日本はどう考えるのか」
です。
〔再度の追加〕
本音。私のブログを訪問してくださる方は、多分、平和憲法に大賛成の方が殆どだと、勝手に推測しているのです。当然私も、国際平和を希求する(中学のとき、こんな言葉を知りました)ひとりです。
多くの方は、そんなスタンスで、何年も何十年も暮らしてきて、コレで充分足りるじゃないか、と思っており、改定するとなんだかキナ臭くなる気がする、という思いをなさるのではとも推測するのです。
私もそんなひとりでした。でも、白がダメなら赤、というのではなく、知恵を絞って、よりよいルール(憲法)を制定するという方法を真剣に考えるときではないかと思うのです。
東西冷戦時代には、アメリカにとって日本は浮沈空母的役割もあったのかもしれません。世界の警察の役割をしてきていたアメリカも、オバマ政権以来方向転換しています。
いつでも戦勝国アメリカ頼みでは立ち行かなくなっているのに、60年余りも頼り切って、考えない癖ができてしまっているような、そんな思いにも駆られるのです。
皆さんは如何ですか。
というか、読んでみていただけたら、と思う次第です。
(弊ブログをお訪ねくださった方に、できれば川口さんのコラムを読んでいただきたいので、この記事を今月いっぱいは、記事トップにします)
私たち日本人に課せられた「大人が考えなくては問題」だと思うのです。
子供に宿題を「やりなさい」というばかりではなく、主権者である私たちも、立ち止まって、この問題(宿題)を考えてみませんか。
必ずしも○×で解が出ないかもしれません。おおよそ大人の問題ってそんなものです。
まず、読むことから、それが大切な扉のような気がします。
※この問題を考える手立てとして川口さんの文章でなければならないわけではないのですが、具体的な話から入っていて、分かりやすい文章だな、と思ったものですから。
足跡(コメント)が、ちょっとでも、ほら、昔なら正の字を一画ずつ書いて数を数えたみたいに(今時だったらシール貼るのかしら)、そんな、読んでくださった形跡が感じられたらうれしいのだけれど…。
「現代ビジネス」に掲載されている川口マーン恵美さんの「シュトゥットガルト通信」のバックナンバー記事です。
わたしたち日本人の教科書にも載っていた「最後の授業」のアルザス地方の歴史アレコレから、教科書で知っていることと、実際とは全く別物ということ、ほか、読んで考えさせられること多々あります。
コラムの正しいテーマ名はちょっと長くて、
「『最後の授業』に描かれたアルザス領有問題の政治的意図とは?領土問題は政治力=軍事力のある方が勝つという歴史的事実を、日本はどう考えるのか」
です。
〔再度の追加〕
本音。私のブログを訪問してくださる方は、多分、平和憲法に大賛成の方が殆どだと、勝手に推測しているのです。当然私も、国際平和を希求する(中学のとき、こんな言葉を知りました)ひとりです。
多くの方は、そんなスタンスで、何年も何十年も暮らしてきて、コレで充分足りるじゃないか、と思っており、改定するとなんだかキナ臭くなる気がする、という思いをなさるのではとも推測するのです。
私もそんなひとりでした。でも、白がダメなら赤、というのではなく、知恵を絞って、よりよいルール(憲法)を制定するという方法を真剣に考えるときではないかと思うのです。
東西冷戦時代には、アメリカにとって日本は浮沈空母的役割もあったのかもしれません。世界の警察の役割をしてきていたアメリカも、オバマ政権以来方向転換しています。
いつでも戦勝国アメリカ頼みでは立ち行かなくなっているのに、60年余りも頼り切って、考えない癖ができてしまっているような、そんな思いにも駆られるのです。
皆さんは如何ですか。
もうほころんでいると思うのですが・・・。
沖縄で米兵の事件があるたびに、いつまで日本はいいなりなのかと悲しくなります。
国力で隣国を蹂躙するということは、洋の東西を問わず経験してきていること。では、上手く折り合いを付けていくにはどうすべきか、考えさせられます。
日米安保があるから、守ってくれて当然、の理屈にも限度が来ているのかもしれません。
早速読みました。
ドイツの話が後半ありましたが、逆に言えば、憲法を変えずとも戦争は出来るということですよね。
日本の憲法は明確に軍隊を持つことを認めてないらしいですが、どうみたって自衛隊は軍隊だし、海外に出ていくときもアメリカの後方支援をするときも、すべて解釈上の問題としてやってきました。わたしは、わざわざ憲法を変えなくても、日本国民のマインドがそっちに向かえば、自衛隊が外国対して脅威を与える軍隊になるとおもっているんです。
そのためには、もう少し政治家が諸外国に対して腹黒くならないといけませんね。
国力=軍事力という面が否めないことを歴史が証明している、という文に彼女の冷静な眼を感じました。
解釈を変えて、国民のマインドをそっちに持っていくと、どうとでもできる憲法を持っているって、なんとオソロシイ!と思いませんか。
「政治家がもっと腹黒くならないと」どころではなく、どの国の政治かも自国の利益のために、外交を重ねているのです。オリコウサン次元の政治家では、国益は守れません。
付記:私は中学校で教わって以来、日本国憲法大好きでした。家法は憲法だ、ぐらいに(笑)。でも、勿論家法級の好きな条文はありますが、実務的でない、解釈・解釈が横行している部分には?が点り始めました。
思いますとも!
だから憲法を変えさえしなければ、日本は永遠に平和だなんて思わないほうがいいと思うし、逆に変えなくては実力行使ができなくて他国と張り合えないというのも違うんじゃないかと思うわけです。
憲法は憲法、理想を高く掲げておけばいいですし、運用は運用でより実務的にやれればいいと思うんですけどね。
世界で何番目かの防衛予算を組んでいながら、軍隊ではないんですよ、といって、仮に敵対国の立場だとすると、「はい、わかっています」と応じると思いますか。
PKOなどで、国際協力メンバーとして参加しても、負傷している兵士を助けることもできない、というルールを持っているのです。
憲法を制定した時とは状況が変わってきていて、そこまで頑ななのは、ちよっとイビツなような気がします。
クレグレも、憲法改正を検討する余地あり=実力行使するのが目的、では、決して、決して、違います。
文意とはかけ離れていても好いじゃん、という玉虫色にも限度があるのではないかと、そう考えるようになったわけです。
参考までに
9条第2項
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
国際協力のために必要であれば・・・、どの程度まで、とか、もっと開かれた憲法であってもいいのではないでしょうか。
今はノミの記憶力。トホホ
後から、これも就職がらみで覚えた、「旧 教育基本法」も大好きでした。オンナの子も貧しい家の子も分け隔てなく、生きていけるんだよ、と謳われていたいたから。
これらは、ヨーロッパをはじめいたるところが戦禍に巻き込まれた第2次大戦のあとの世界人権宣言と思潮を同じくしているのだと、後から判りました。
ほんと、憲法大好きっ子でしたよ。
読んだ見ました。
国防についての、
論点が抜けてい居ると思いました。
国家を超えるためのEUの理想です。
ナンシーというアルザス地方に暮らして居ました。
あの地域が、フランスに対しても、距離を置いている空気があります。
国家とは何か。国家はどこに向かえばいいのか。
人類は、永遠に国家という枠を超えられないのか。
日本国憲法は理想主義です。
現実に押されて、理想を捨てていいのかということではないでしょうか。
「国防についての、
論点が抜けてい居ると思いました。」
「?」と思い、再読してみました。
4章の「国の利害は自分たちの手で守らなければならない」の章は国防の必要性が書かれているのではないでしょうか。
憲法を改定する=理想を捨てる、ではありません。理想は大切です。うがった解釈でつじつま合わせをし続けるより、平和を維持し続けるための、矛盾しない憲法に改定する時が来ていると、そうおもうようになりました。
「領土にせよ、経済的なものにせよ、自分たちの手で守らなければならない」とあります。国防について論じている箇所だと思います。
日本は、明治維新ですっかり中央集権になってしまって、国とはこんなものだという捉え方をしていますが、それ以前は、藩政でしたものね。きっとヨーロッパ、フランスやドイツも地方の小国が割拠していた頃の個性が生き残っているのでしょう。
川口さんの文中にも「歴史が証明している」という表現があったりします。同じ勢力関係はありえないとしても、人間社会ですから、歴史に学ぶところ多し、です。この歳になると歴史を知ることに若い頃とは違った味わいを覚えます。
憲法は自国のものだから、それでもいいんじゃないでしょうか。他の国の人は、日本が軍隊を持っていると思っているし、日本の憲法のことそれほど知らないと思います。
だから改正しようがしまいが、右より(この表現は嫌いなんですが)の政治家が発言すれば日本は危険だと思うのでしょうし、政治家が靖国神社に行けば、軍国主義を反省してないと騒ぐのでしょうから。
>世界で何番目かの防衛予算を組んでいながら、軍隊ではないんですよ、といって、仮に敵対国の立場だとすると、「はい、わかっています」と応じると思いますか
思いませんとも。
海外では、自衛隊は立派な軍隊だと思われていると思いますよ。
>PKOなどで、国際協力メンバーとして参加しても、負傷している兵士を助けることもできない、というルールを持っているのです
持ってはいても、実際にそういう地域に行くことになれば、得意の解釈と運用で可能になると思いますけど。
>9条第2項
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
だって、憲法にこう書いてあっても、自衛隊は現実にあるわけだし、海外にも派遣されているんですから。
>憲法を制定した時とは状況が変わってきていて、そこまで頑ななのは、ちよっとイビツなような気がします
頑なではないと思うんですよね。
むしろ自在に、そのときの国民のマインドで解釈を変えて存在している。それは危険なことでもあるし、便利なことでもあると思えるので、選挙の争点にするほどのことじゃないと思うんですよ。今はもっともっと争点にしなきゃいけないこと、あると思うし。
軍隊を出したくないマインドのときに、例えばアメリカから「出せよ」と言われたとしますよね。そしたら「いや~、憲法あるからそう簡単には出せないんですよ。ちょっと待ってくださいよ」なんて、時間稼ぎもできますしね。そういう面で、この憲法は便利なんじゃないかなって思ったりして(不謹慎?)。
>文意とはかけ離れていても好いじゃん、という玉虫色にも限度があるのではないかと、そう考えるようになったわけです。
そういう気持ちもわかります。
でも、現実に合わせて憲法を変えていたら、これからも頻繁にかえることになりますよね。ドイツみたいに。
それはいいことなのかもしれないけど、現実にあわせて憲法をかえてたら、憲法がすごく軽くなっちゃいそうですね。
理想は理想として掲げておくっていうやり方も、そう悪くないと思うんですよね。