ついPCがある部屋のエアコンをONにするのも面倒で、書き込みスルーしがちになっています。
元気です。
朝1時間半、つるバラの剪定をしてきました。もっとすべきなのだけれど、まぁいいか、と自分を許しています💦
で、残っていた白玉粉で白玉団子を作って栗入りぜんざいを食べるのは手抜きしない甘党は健在です 苦笑
金曜日はジムとのランチでした。「梅の花」という豆腐と湯葉料理のお店。私は「初」でしたがチェーン店らしいです。
ランチのコースの最後のご飯が鶏肉入りだったので、エビドリアに変更。エビドリアはおいしかった~。ドリア、グラタン類は冷凍品をチーンしたようなことが多くて、メニューの写真のイメージと違ったりすることもあるけれど、小振りの器に内容は濃かったです。
で、さっそく翌日の夕食は(冷凍の海鮮ととろけるチーズの在庫があったので)冷ご飯利用のドリアにしてみました。
ぜんざいやらドリアの連続やらで、ダイエット注意報です。苦笑
私の確定申告は済ませました。ひとつスッキリ。もう一つ夫の分があり、これが済まないと経理担当としては落ち着かない。苦笑
昨日はNHKBSの録画していた映画を見ました。夕食後に字幕の映画を見るのは久しぶり、、、かな? 案の定、アルコールの入っている夫は始まって早々に白河夜船。テレビは録画で見ることが多い我が家。数々のドキュメンタリー作品を見ることも多いのですが、アルコールの入った身体は睡魔には勝てません。もったいないことを、とつい思ってしまいます。お酒が飲めない人生を送っている私のほうがもったいないのでしょうか。苦笑
そういえば、海外旅行の話でフィン航空のエコノミーはアルコールが有料になった、と話していた友人がいました。数か月前にフィン航空を利用したけれど、ビジネスは多種類のワインもあった(もちろん無料)けれど、私には関係なくて、グリーンティーだったと言ったら、もったいない~~、と言われました。スパークリングワインなら、とチャレンジしたこともあったけれど、ワイングラスを空にできなかった💦
ひとそれぞれですね。
今年はNHKの大河ドラマ「べらぼう」をみようと思って、つまみ喰いのような見方をしているのですが、令和7年の世情と相反しているので、当局も困っているのではないかしら、と余計な詮索をしてみたりしています。
江戸中期。政府公認の遊郭「吉原」が舞台。岡場所や宿場町の飯盛り女が繁盛しているのに、吉原を訪れる客が減ったことから、客寄せのための策に奔走する主人公。風俗店そのもの。幕府公認の色町。昨今、某テレビ局が組織がらみで局の女性をセクハラの状況にセッティングしていたらしいとの話題になっています。アレレ! NHKが看板番組で扱っている世界とかぶって、火の粉が飛んでこないように、と思っている節があるのでは、と余計なことを思ったりしている。
ただ、時代考証がなされているからだろうけれど、女性が眉を落としているのは、そういうのがその時代だったのだろうな、と。
そして、それが当然の美意識だから、今の私たちが受ける違和感はなかったのでしょうね。
詳しくは知らないのだけれど、江戸期は結婚した女性は鉄漿(オハグロ)をしていて、それが身だしなみだったのだと聞いたことがある。私の母方の祖母(私が生まれたころに亡くなったので、記憶にない)は、大正時代にも鉄漿だったものだと母から聞いたことかある。今の私たちにとって鉄漿の女性(眉を落とした女性)は違和感だけれど、江戸期においては奥方たちは鉄漿だったはずなのに、、、なんて思うところがある。
そして、つけたしだけれど。
日本で公娼制度が禁じられたのは昭和33年。以前通っていたサークルで、話題が出たとき、講師(男性)の先生は赤線に行けるのも最後だと思って、奨学金が出た日にそそくさと駆け付けた、と武勇伝のようにおっしゃったのを覚えている。サークルの生徒たちは全員30代40代の女性なのに、、、。
こんな場面でも時代は常に変わっていくということを改めて思います。
ついでに、つけたしその2、も書いておきます。
私の実家の隣の隣ぐらいの町内は、めんきょち というところでした。昭和30年代の子供ですから、めんきょち も時には遊びに行くエリアでした。小学生になるとその地域に家のある子とも仲良くなり、隣接して神社があることから神田町という町名でした。なんで、めんきょち が神田町と二つの呼び名があるのかは、ずっと解明することもなく18歳に地元を離れました。
30年代は銭湯に通っていて、その銭湯は めんきょち にありました。夕方にお風呂に行くと、後ろの首筋から背中にかけて白い白粉が付いたままの女性たちを見かけました。めんきょち の土地柄で、そこで働いている芸者さんたちです。近所に住む人たちは普通に顔なじみらしく歓談しています。交わされているはなしから、皆さん地元の人ではないのだな、と思ったものです。あそこは検番なのだと教えられ、よく三味線を練習している音が聞こえていました。いくつもの料亭が軒を並べていて、その料亭の子も同級生だったりしました。二つの呼び名があるのは、変だな~、どうして? と思っていたことが、あとからわかりました。
おとなたちの言い方の めんきょち = 固有名詞ではなく「免許地」だったのですね。何にも知りませんでした。
元気です。
朝1時間半、つるバラの剪定をしてきました。もっとすべきなのだけれど、まぁいいか、と自分を許しています💦
で、残っていた白玉粉で白玉団子を作って栗入りぜんざいを食べるのは手抜きしない甘党は健在です 苦笑
金曜日はジムとのランチでした。「梅の花」という豆腐と湯葉料理のお店。私は「初」でしたがチェーン店らしいです。
ランチのコースの最後のご飯が鶏肉入りだったので、エビドリアに変更。エビドリアはおいしかった~。ドリア、グラタン類は冷凍品をチーンしたようなことが多くて、メニューの写真のイメージと違ったりすることもあるけれど、小振りの器に内容は濃かったです。
で、さっそく翌日の夕食は(冷凍の海鮮ととろけるチーズの在庫があったので)冷ご飯利用のドリアにしてみました。
ぜんざいやらドリアの連続やらで、ダイエット注意報です。苦笑
私の確定申告は済ませました。ひとつスッキリ。もう一つ夫の分があり、これが済まないと経理担当としては落ち着かない。苦笑
昨日はNHKBSの録画していた映画を見ました。夕食後に字幕の映画を見るのは久しぶり、、、かな? 案の定、アルコールの入っている夫は始まって早々に白河夜船。テレビは録画で見ることが多い我が家。数々のドキュメンタリー作品を見ることも多いのですが、アルコールの入った身体は睡魔には勝てません。もったいないことを、とつい思ってしまいます。お酒が飲めない人生を送っている私のほうがもったいないのでしょうか。苦笑
そういえば、海外旅行の話でフィン航空のエコノミーはアルコールが有料になった、と話していた友人がいました。数か月前にフィン航空を利用したけれど、ビジネスは多種類のワインもあった(もちろん無料)けれど、私には関係なくて、グリーンティーだったと言ったら、もったいない~~、と言われました。スパークリングワインなら、とチャレンジしたこともあったけれど、ワイングラスを空にできなかった💦
ひとそれぞれですね。
今年はNHKの大河ドラマ「べらぼう」をみようと思って、つまみ喰いのような見方をしているのですが、令和7年の世情と相反しているので、当局も困っているのではないかしら、と余計な詮索をしてみたりしています。
江戸中期。政府公認の遊郭「吉原」が舞台。岡場所や宿場町の飯盛り女が繁盛しているのに、吉原を訪れる客が減ったことから、客寄せのための策に奔走する主人公。風俗店そのもの。幕府公認の色町。昨今、某テレビ局が組織がらみで局の女性をセクハラの状況にセッティングしていたらしいとの話題になっています。アレレ! NHKが看板番組で扱っている世界とかぶって、火の粉が飛んでこないように、と思っている節があるのでは、と余計なことを思ったりしている。
ただ、時代考証がなされているからだろうけれど、女性が眉を落としているのは、そういうのがその時代だったのだろうな、と。
そして、それが当然の美意識だから、今の私たちが受ける違和感はなかったのでしょうね。
詳しくは知らないのだけれど、江戸期は結婚した女性は鉄漿(オハグロ)をしていて、それが身だしなみだったのだと聞いたことがある。私の母方の祖母(私が生まれたころに亡くなったので、記憶にない)は、大正時代にも鉄漿だったものだと母から聞いたことかある。今の私たちにとって鉄漿の女性(眉を落とした女性)は違和感だけれど、江戸期においては奥方たちは鉄漿だったはずなのに、、、なんて思うところがある。
そして、つけたしだけれど。
日本で公娼制度が禁じられたのは昭和33年。以前通っていたサークルで、話題が出たとき、講師(男性)の先生は赤線に行けるのも最後だと思って、奨学金が出た日にそそくさと駆け付けた、と武勇伝のようにおっしゃったのを覚えている。サークルの生徒たちは全員30代40代の女性なのに、、、。
こんな場面でも時代は常に変わっていくということを改めて思います。
ついでに、つけたしその2、も書いておきます。
私の実家の隣の隣ぐらいの町内は、めんきょち というところでした。昭和30年代の子供ですから、めんきょち も時には遊びに行くエリアでした。小学生になるとその地域に家のある子とも仲良くなり、隣接して神社があることから神田町という町名でした。なんで、めんきょち が神田町と二つの呼び名があるのかは、ずっと解明することもなく18歳に地元を離れました。
30年代は銭湯に通っていて、その銭湯は めんきょち にありました。夕方にお風呂に行くと、後ろの首筋から背中にかけて白い白粉が付いたままの女性たちを見かけました。めんきょち の土地柄で、そこで働いている芸者さんたちです。近所に住む人たちは普通に顔なじみらしく歓談しています。交わされているはなしから、皆さん地元の人ではないのだな、と思ったものです。あそこは検番なのだと教えられ、よく三味線を練習している音が聞こえていました。いくつもの料亭が軒を並べていて、その料亭の子も同級生だったりしました。二つの呼び名があるのは、変だな~、どうして? と思っていたことが、あとからわかりました。
おとなたちの言い方の めんきょち = 固有名詞ではなく「免許地」だったのですね。何にも知りませんでした。