熊野神社から⇒子持山立て札 記録掲載
1、碓氷峠下ります
峠路は下から上に登るのが本筋ですが、下りコースをとりました。
一部を除き歩き易いなだらかな緑一杯のハイキングコースでした。しかし坂道は雨の流れた跡が水路となってV字を作り、石が転がっている場所もありました。
昔の面影を残す何の変哲もない峠道は、所々に説明案内板が目立ちました。
あえて案内板を羅列しました。
熊野神社に手を合わせ出発です。
葛ハイ28名、碓氷峠の旅人となる
標高939mです。ふきの大きな葉っぱに別れを告げる
日傘くらい大きな葉っぱでした。
みくにふみの碑
碓氷の社家に伝えられていたもので、その消滅を心配して昭和30年に熊野皇大神社が建てたものである
思婦石
国学者関橋守の作が刻まれている、1857年(安政4)建立の思婦石。
「ありし代にかへりみしてふ碓氷山 今も恋しき吾妻路のそら」と刻まれている。
化粧水跡
旅人が一息入れ、水に映った己の姿を整えた場所なのだそうだ。
「陣馬が原」案内板」が立っている。平地場です。
この辺りは、戦国時代の武田方と上杉方の合戦となった古戦場。
大きな石の間から水がほとばしっていました。水の流れを聞くとほっとします。
沢を流れる瀬音が涼しい。
追分の右側に「万葉歌碑」(碑と言うほどのものではないが)が建てられている。
兒持山若かへるでの もみづまで
寝るもと吾は思う 汝はあどか思う
万葉集巻14東歌 読人不知
峠路は、ハイキングコースには絶好のよき道ですが、カメラに収まるような場所はありません。
記録のためにupしました。
コメ欄は閉めております。