blog友の画を借用 ・ 親の働く姿を連想
秩父地方の中山間地農家は、ほとんどの家で養蚕に励んだ。
昭和40年ころを境として、急速に衰えた。化学繊維の発達と、中国の台頭だと言われた。
群馬県富岡市の富岡製糸場が世界遺産に登録される予定です。
蚕を飼育した者にとって、うれしい事です。
桑⇒蚕⇒繭⇒生糸⇒銘仙
⇒輸出(横浜から)
BLOG友達のどんこさんが、
≪桑の切り株と武甲山≫の画像をupされた。
胸にジーンと来た。
歌を添えて、額に納めたので部屋に飾ろうと思っています。
桑の拳(切り株)がとても気にいりました。
秩父では、武甲山を母なる山、両神山を父なる山として、親しまれています。
どんこさん、事後承託でごめんなさい。
7~8年前の年賀状に、同窓生からも、こんな歌を添えて届いた。
☆ 冬枯れて 秩父事件や 桑拳し
稚蚕共同飼育所
当時各市町村に稚蚕飼育所があった。
蚕は小さい時が肝心で、1齢幼虫~3齢幼虫(=稚蚕)まで稚蚕飼育で行われた。
その後、各農家に分配され飼育して繭にされた。
それほどまでに大事に育てられた≪蚕≫。