浜離宮恩賜庭園
放鷹術は後にまわして一休み、
初詣、参道、うな重と続いたので和洋折衷の風景
中嶋の御茶屋
汐入の池
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今日のメモ
“汽笛一斉新橋を”の歌の文句から
始まった汐留め跡地も目を見張る高層ビル群。
何やら・・・浜離宮公園が圧倒され、覗き込まれているような気配。
元将軍家の庭園とあり、その後幾度かの造園改修工事が行われて
園内に入ると『ここが東京の中心地・・・・』と思わせるほどの静けさの浜離宮園地。
お月さん今晩ワ~、よろしく
月も隠れてしまう高層ビルの林立にびっくりした。
もっと驚いたのは、
電通ビルの地下を潜って、JR新橋駅に通ズル地下通路。
ウナギの寝床のように迷路で、やっと新橋駅にたどり着き、切符を買って
ホームに上がったときはホットした。
たぶんこの鷹も、シリアなどの中東からの輸入だと想います。
正月はいい天気に恵まれたようで
良かったですね。
正月早々、縄文人さんの健脚の見せどころ。
次回も楽しみにしています。
都会のど真ん中にこんな静かな場所。
ビルさえ見えなければ都会とは思えない。
東京の地価も又値上がりしていると聞いた、浜離宮は坪単価幾らでしょうね。
貧乏人はすぐ値踏みして仕舞う悪い癖がある・・・。
もう私等、東京へ行ったら西も東も分からなくなってしまう。
食事ならば、七草粥というところですが、公園の景色を眺める事にした。
そういえばオオタカの森があるがここを開発して高速道路を通したいが・・・・ということで論争になることがあります。保護か開発か。
鷹も中東から輸入ですか・・・・・・・・・・・・・。
♪右に見えますのが東京タワー、これから渡る橋をレインボーブリッチと申しまして、東京湾を渡る・・・・・。
猿もおだてら木に登る。
イヤイヤ、はとバスの東京見物と行けば良いですが、それほどには参りません。
冬期ですと、山歩きもままになりません。東京の移り変わりを見ながら。
このような高いビルが海岸近くに林立したので、東京湾からの風向きが変わるのではないかと言う学者も居たようです。
風向きとはいかなくても、ここ周辺ではだいぶ風の力が変わってきたでしょう。
浜離宮の周辺坪単価・・・・知らぬが仏・・・高嶺の花でいいでしょう。
知って腰を抜かすといけません。
東京タワーまで映してしまいます。
もうここまで来たら、和洋折衷公園として楽しみましょう。
地下道には驚きましたでしょう!
秋に私もUPしてみましたが本当に迷子になりそうです。
最近やっと解る様に・・・。
と思ったら今度は東京駅丸の内地下道です!
何処へ出るやらさっぱり解りません。
とても不思議な空間ですね。
鏡のような池に
直線ばかりの影を映して。。
橋だけがかろうじて少し曲線。。
でも都会の風景はそれなりに美しい。。
雪つりのような三角形は夜には光りそうな感じですね。。
暴れん坊将軍が「爺、近う寄れ」なんて池のそばで鯉に餌をやっていたのかな。
本文にも書きましたが、JR山手線のホームに上がってきたときはホットしました。
地下は。迷路で全く駄目、太陽を見てないと不安なんです。
地下街のあの円柱のそばを通り抜けるときは、紅さんの10,19upの『円柱の整列』を想いうかべながら、通り過ぎました。絵になる円柱と思ったが、迷い老人。
また、汐入の池に影を落す高層ビルも〔10,12、紅さんの映像〕を思い出しながら。
東京は益々地下に潜る。
首都高速道路も、池袋⇔新宿も深度地下道が最近開通した。未だ東京は高度発展してから地震と言う試練を受けていない。
新橋の地下道を通るのに不安をいっぱい抱えながら地上に出た。
やれやれホット胸をなでおろしました。
縄文blogにコメントを頂く皆さんは、どちらかと言えば地方の方が多いです。
皆さんから、送られる田園風景、橋の風景、山野の風景を見ますとホットする縄文人です。
東京は、住む所ではなく見るところ、遊ぶ所、ビジネスの所なのでしょう。
東京で働き、静かな地方のユッタリとした所に住むと言うのが人間の理想のようです。
あばれんぼ将軍ならぬ縄文原人は、高いビル群にチョイト戸惑って、アッチをうろうろ、コッチをうろうろしていました。
そんな事とてお腹は空くわ、食べるものはないや・・・・。
やっと見つけた、休憩所の脇にパンとオデンを売っていた。ワンカップも探し当てた。
そんな事で、鯉に餌を与えるなどの余裕は、知らぬ存ぜぬ、つゆ知らず・・・・
申し訳御座いません。
何処の国かと思うくらい??
良いのか悪いのか??判断が??
地下道なんていったら一生でてこれません??シクシク。。
この公園には3回ほど行った事がありますが、内部そのものは変っていませんが、辺りの様子が一変してしまいました。
発展目覚しい東京では、これも時代の流れなのでしょう。
電通ビル近くに、警備員が居ましたから
『新橋駅に行くのはどのように・・・・・』と尋ねたら、前の集団が行きますからその後を追ってください・・・と言われました。
後で考えて見ましたら、教えるのにも一苦労・・・・だということが分かりました。
新橋駅はそれほど変わりました。