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柴又七福神めぐり

2019年01月26日 | 紀  郷土博物館 葛探団

柴又七福神巡りで学ぶ葛飾の正月と文化

葛飾区民の参加者 & 案内=葛飾探検団員、コラボ

 

 

 

 



  企画展(葛飾区郷土と天文博物館)家内安全、商売繁盛~厄除けと承服の縁起物」にちなんで柴又7福神を巡り江戸時代から続く民間信仰の歴史を学びます。

日時・1月20日、AM9,30~正午

集合/京成高砂駅。解散/新柴又駅。

参加者/葛飾区民参加者20名/葛飾探検団。

◎     葛飾探検団員の会長を中心として、現場説明の高田氏が各寺で縁起やエピソードを
楽しくユーモアを交えながら語られ説明された。
 40余名の大勢の為に交差点での交通事故防止のために交通整理を行い、事故の無いように努めました。

                   
 30年12,5号「かつしか]広報掲載された案内

柴又7福神とは
 柴又七福神とは、寅さんで有名な東京の葛飾柴又周辺にある7つの寺院を巡るものです。
都内の殆どが七福神巡りがお寺と神社の両方を巡ることが多いのですが、柴又七福神巡りは、
すべてがお寺です。
下町の風景・風情を楽しみながら巡り、散歩感覚で回ることができました。

 

1、京成 高砂駅集合

 博物館・堀学芸員の挨拶に始まり、葛飾探検団会長の寺島氏、現場進行役の中島氏からの諸注意が
あり7福神を目指して出発です。
(葛飾TV/j・comさんが帯同し七福神巡り一部始終を撮影)


高砂駅
一般参加者&葛飾探検団


京成高砂駅駅から➡新柴又駅解散

 

2、寿老人(観蔵寺) 天祖神社境内を抜け 


天祖神社境内を抜けて

 

 
珍しき火の見櫓発見、 昔は火の見櫓に半鐘、現在119番


懐かしきかな火の見櫓

 
天祖神社本殿の造り

  寿老人縁起
  杖を突き長い顔が寿老人。長寿延命の神様です。
探検団員の説明員、高田さんの古きを交えながら、寿老人について説明された。
高田氏は根っからの葛飾人で、子供のころとは環境が全く変わってしまいましたと
現在の道路事情や住環境を、驚きの声で説明されていた。


     

一般参加者Aさんの話(参加の動機

 私は(女性)、鹿児島出身で東京に住んで13年、そのうちの3年葛飾・金町に住んでいます。
葛飾は寅さんで有名、そして大きな川を配して、人情が厚い下町です。
自宅と勤め先の往復だけで、人情のまち葛飾をもうちょいと知りたく、そんな動機で参加しました。
これから先、まだまだ葛飾にお世話に成るのでよろしくお願いします。 


この道路は水道道路です。柴又2丁目付近。
真っ直ぐで全く曲りがないです。金町浄水場から、都心への水道本管が埋設されています。


柴又八幡神社。
前方後円墳遺跡があります。毎年10月に獅子舞が行われます

3、布袋尊(良寛寺)

 復路を携え笑っている布袋尊、総てを抱擁する、和合の神様。

 
良寛寺布袋様   

 
人の考え方が、世間の浮き沈みを左右するものです。

 
京成柴又線、かって柴又参拝の人力車列車が通っていた。

 
都民の水がめ金町浄水場です。

             

 

4、 弁財天(真勝院)

 




鐘楼と無縁仏

 

5、題経寺(毘沙門天)

 正月20日とあって、帝釈天参道境内は沢山の人出でした。
高田さんの説明によれば、庚申は仕事を終え夕方から提灯を付けて詣でる人が多かったと、
幼少期を思い出すように語っていた

 
帝釈天に向かう参加者&探検団員

 
帝釈天境内にて高田さんの説明。 

 
   読経寺境内の手水処。
東に江戸川が流れているためにこの地は地下水が高いです。


門前参道にて


庚申日に帝釈天に向かう、むかしの姿。
提灯をぶら下げて向かう姿が印象的です。

 

6、 万福寺(福禄寿)

 この寺が7福神の中で最も新しい寺院です。かっては此処は高台(標高差10m程)ありました。その山の天辺を中心として、四国霊場88ヶ所の、石碑が沢山あり、四国まで行かなくてもここでお参りが出来たそうです。当時はそれだけ巡礼が盛んであったようです。
 しかしいつの間にか山が平地になり御寺さんが建立されていました。


万福寺境内
建物の白壁にカメラがあります。
このカメラは唯一葛飾区内のライブカメラ(中継)・≪黄色丸≫だそうです。
(葛飾・万福寺・ライブ検索)

 

7、大黒天(宝生院)


水仙が庭一杯咲き乱れていた。

 

  浅間山噴火川流溺死者供養碑
  天明3年(江戸時代)の浅間山の大噴火は関東一円に大きな被害を出しましたが、溺死者が江戸の柴又まで流れてきて供養したことは知りませんでした。歴史の重さを感じました


浅間山噴火川流溺死者供養碑の説明

8、 恵比寿天(医王寺)

  縁起
  
右手に釣竿を持ち、左手に鯛を抱えている。
猟衣姿の、恵比寿天は古来日本の神様で、航海や魚業の神様です。
現在は商売繁盛も司ります。

                医王院山門

 
柴又七福神朱印帳

 


無事終了の挨拶

 

一般参加者、区民からの声
 ① 説明員の方が、昔と現在を対比しながら話されたのが、とても良かったです。
  この辺はそんな景色だったのかと風景を思い出しながら聴きました。
 ② ゆったりと時間を掛けて歩いたので、年寄りにも安心して付いて行くことが出来ました。
  有難うございました…と、感謝の言葉を述べていた。
 

  お腹も空いて来た、終点の医王院です。
ゆったり歩いたので所要時間2,30分、約7,000歩の歩程でした。
天気良し、寒くもなく絶好の七福神巡りでした。皆さんお疲れさんでした。   (完)

 

OPEN

 

 

この記事は葛blog&飾探検団機関紙と併用しています。


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
柴又七福神 (葛飾の山男)
2019-01-26 11:24:28
こんにちは。
今日もカラカラに乾燥した晴天で、この先も雨の予報は無く、インフルエンザが心配ですね。
柴又七福神は何回か巡っていますが、最近は行っていないので、縄文人さんのブログで久しぶりに巡った気になりました。
相変わらずの行動力には、感心します。

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大変詳しい (どんこ)
2019-01-26 15:29:54
力作のレポートですね。
一行の人数の多さにもびっくりしています。
みなさん、関心がおありなのですね。
体力も脳細胞も益々活性化されていることでしょう。

こちらは午後またど~んと揺れる強い地震がありました。
いだてんの金栗さんもあの世でびっくりされていることでしょう。
返信する
七福神 (momomama)
2019-01-26 15:40:40
こんにちは。。
お参りされてよかったですね。
詳しいレポートで感心しました。
人数も多いですね。。
御朱印帳が 宝船 なかなか考えてますよね。・
私は以前 淡路島七福神巡りをしたことがありますが
笹に 1ケ寺ずつ縁起物をぶらさげていただきました。
明日は 小豆島にお遍路です。 お不動さんを回ります。
でも今雪が降ってます。。

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葛飾の山男さん (縄文人)
2019-01-26 17:35:29


1/2Oフジノ会、神田万世橋の時です。
バッテングしてフジノ会は失礼しました。

インフルエンザが流行っているようで、注意してください。アルコール消毒が効いているのか何とか健康を保っています。

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どんこさん (縄文人)
2019-01-26 17:50:30


≫詳しいレポートで感心しました。

ハイ詳しすぎるほど詳しく書きました。
その理由は、「葛飾探検団の7福神廻りの原稿を依頼されました。
その原稿(機関紙用)が出来上がったものをワードから、ブログに転写しました。

それに加えて画像を一杯貼り付けました。
探検団編集長が原稿と画像を見て手直しに必要な画像を用意し、差し替え出来るようにしました。

そんなことから、一般参加者の意見も…と言うことからコメントを頂いたり・・・・、
エイヤ―折角書いたのだから…と言うことでそのまま原稿をこちらに落としましたので盛り沢山になりました。

原稿依頼と、ブログがゴッチャニなりまして我ホンマによいワンワンです。

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momomamaさん (縄文人)
2019-01-26 17:55:57


読むのに大変でしたでしょう。
詳しく、尚詳しく、画像もたくさん張り付けたのは、
ドンコさん↑のところをお読みください。

原稿をこちらに落としました。
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こんばんは~♪ (とんちゃん)
2019-01-26 18:47:18
今日は寒い一日でしたね!
積雪はなかったのですが、一日中雪が舞っていました。

柴又七福神巡り・・・詳しいリポート、写真と併せ拝見して、私にもご利益がいただけた感じがしました。

雪でも積もれば残り柿や紅梅・蝋梅などに積もった雪を撮りに行きたいと思っていましたが・・・残念!
寒いだけでした~~
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とンちゃんへ (縄文人)
2019-01-26 20:52:10


あまりにも詳しすぎました。
と言うのは、≪どんこさん≫↑のコメ欄で、
書いた通りなんです。

写真を多く載せたのは、
依頼主の編集長が、どの画像でもコピイーして自由にお使いください、そんなことで沢山載せました。
この処、原稿書き続きで少々疲れそのまま、WORDを転載しただけのこと、画像を多めにしました。

日本海側は大雪の予報が出ていますが、
徳川家康様は、、都を東京に構え、未だ雪らしい雪にお目に掛かっていません。

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江戸時代 (自然を尋ねる人)
2019-01-27 21:18:18
特に天明の頃
備後福山では天候不順で一揆が数回起こり
主導者が我が街では5人も出ています。
岐阜県にも同じような一揆の町がありますが
当時食糧不足に重税で苦しんだと思います。
浅間はの影響が日本全土に広がったのでしょうが!
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(自然を尋ねる人) (縄文人)
2019-01-30 10:07:20

浅間の噴火には関係ありませんが農民一揆「秩父事件が」明治⑰年にに起きています。
税金の取り立てで農民が一揆に向かい、官憲に向かっていっきを起こした事件でした。.
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