あちこちに心に沁み入る言葉が
掲示して有りました
住職は他所で、お仕事中でした。
「奥さんから、葛ハイの方々がお見えになっている」の一報。
急いで自寺へ帰られ、我々の前に現れた。
親しみやすい語り口で、寺の歴史、文化財、寺の復興にかけた様々なことを話された。
なかでも、本山が山津波で天正二年(1574)の八ヶ岳の山津波のため堂宇すべて流失し廃絶し、
慶長元年(1596)堂宇を再建し、開山となり
宗派を曹洞宗に改め禅座山安楽寺とした開創したと、話された。
膝を崩して下さい!!
と、言いながら、寺の歴史について語り始めた。
天地一指
この世に存在するものは、個々の違いを越えて斉一なものであるという考え。
すべての対立を超えた絶対的な観点からみれば、天も地も一本の指と同じものであるという意。
私の好きな”相田みつを氏”の言葉が、あちこちに掲出されていた。
数日間ある場所で座禅を組んだときに、教えられた言葉でした。
安楽寺のあちこちに、南天が見事な赤い実をつけ、ひときは目立っていた。
わざわざ前庭に現れて、葛ハイの皆さんと別れを惜しんだ。
安楽寺住職に、いろいろ教えを請いました。
有難うございました。
鶴見・総持寺の住職・石川素童禅師の事に触れられた。
氏は、ここ北杜市の出身で、ときおり電話を頂く。
やはり人の思いは、気配り、心の配りが・・尊敬いたしますと、話を結んだ。
数年後に顧みたとき、思い出の1ページに加わるだろう。
真っ赤な南天が見事に染まった、初冬の寺坂を、振り返りながら下った。
心の鍛錬も怠らないようですね。
ラストウォークにふさわしいものでしたね。
私などあしたには高僧の高尚なお話を伺っても
ゆうべにはもうけろりと忘れてしまう凡庸さですから
寅さんからも「日焼けのなすび!」と説教されそうです。
今年も押し迫りました。この1年、大変お世話になりました。どうか良いお年をお迎えください。
27日に本当の最後の三頭山ハイキングを晴天の中、無事に56人で歩くことが出来ました。
最後という実感がわいてくるには、まだ時間がかかりそうです。
ところで安楽寺ですが、事前に本堂の竜の絵を見せてもらうことは、話してあったのですが、このようなご住職の話が聞けるとは思っていなくて、ご住職に感謝です。
非常にわかりやすい語り口で、参加の皆様も喜んでくれたことでしょう。
今年、北杜市を3回訪れましたが、移住したいと思うくらい良いところでした。
縄文人さんには、今年も大変お世話になりました。
良いお年をお迎え下さい。
心に沁み入る旅となりました。
あちこちに掲出してある書き物を見ますと、年相応に感じるものが有りました。
これからは、ゆったりとそして人生の総仕上げをしなければと…。思いを深く刻みました。
特急A列車で行こう
を感慨深く見つめました。益々の荒尾市に思いを深く感じました。
葛飾山男さんには大変お世話になりました。
安楽寺とても良い思い出に残る旅となり、自宅にこもるようになり、blogを振り返ったとききっとおもいでとして脳理を駆け巡るでしょう。
もう一つ、ここに有りました。
http://blog.goo.ne.jp/tsyouji5243_001/e/2e090e4bf40e9795ac2823f4231c11b8
このとき、『若き葛飾山男』と、
心に釘つけになりました。
最後に相応しい素晴らしいブログアップですね。
鶴見の總持寺さんへは行った事があります、
わが家は曹洞宗で菩提寺は高砂の理昌院さんです。
一緒に行く友、場所がなくなってしまうことが寂しい。
鶴見の総持寺に行ったことが有りますが、修行僧の雑巾掛けする長い廊下が印象的でした。
いろいろありがとうございました。
いろいろお世話になりました。
良き年を迎えてください。
絵天井廊下も気になる由緒あるお寺さんの佇まいや天地一指の意味
どれも一年の締めにふさわしい風格を得ました。
縄文人さんに出会えてホントよかったです。
安楽寺住職が言っていた言葉が気に掛りました。
そして散策していた時、あちこちに高い、長い石垣が畠や田んぼに積んでありました。
こんなところに石垣の石、そしてどこから・・・・と・・・・・??
住職が言った言葉は、
山津波で天正二年(1574)の八ヶ岳の山津波のため堂宇すべて流失し廃絶し、・・・という内容の話でした。
調べてみましたら多くの山津波
天正二年(1574)の八ヶ岳の山津波
大泉村土石流災害(明治31年(1898年)9月7日)と
小泉村土石流災害(昭和18年(1943年)9月5日)
何回となく八ヶ岳で山津波で多くの被害が有ったことを知りました。