平和橋通りに架かる 「平和橋付近」の佇まい
葛飾区は3ッ河川(荒川、中川、江戸川)の流域に発達した低地です。
その河川に架かる橋の昔を3回に分けて振り返ってみました。
当時は木材が主流作られた橋でしたが、
現在は鉄骨やコンクリートが街の景観に彩りを添え
近代的な橋に生まれ変わっています。
平和橋の案内、青丸
この写真は、(昭和25年当時)
『葛飾区の昭和史 堀充宏・萩原ちとせ編』からお借りしました
今昔を歴然と伝える ↑ の橋と、現代の橋。
高速道路の斜長橋や東京スカイツリーんをバックに・・・・。
”平和”という2文字が無性に気にかかる。
東京下町は、1945年3月10日未明,300機もの米国の爆撃機B29による無差別爆撃で
東京は「炎の夜」となった。
下町地区は全滅に近く,100万人が家を焼け出され,10万人もの生命が絶たれた。
この平和橋を見たり渡ったりすると、
戦争の愚かさ平和の尊さを噛み締めざるを得ません。
「戦争」この言葉がある限り人々は、心の中に、争いの欲を持っている。
多くの人を恐怖へ呼び、悲しみを呼ぶ。
見よ!!
平和橋から眺める『東京スカイツリーの七色の色彩』こそが
戦争で亡くなられた人たちへの鎮魂である。
・・・ならば 「平和」という言葉も必要ないのに
悲しいかな 現在でもこの地球のどこかで戦争をしているんですね。
日本で 愚かなことを繰り返さなければいいですね。
>平和橋から眺める『東京スカイツリーの七色の色彩』こそが
戦争で亡くなられた人たちへの鎮魂であろう。
本当にそんな感じですね。。
橋 ってその形はもちろんですが つなぐ・結ぶ という働きは
擬人化して漫画で表わしたら 川に浸かって両手で
二つの集落を抱えているようですね。
木でも 石でも コンクリートでも・・・
縄文人さん すごい雨だったようですね。。
菜園は大丈夫でしたか?
葛飾は、まさに川とともに発展してきた街です。
新中川のように、放水路として造られた新しい川も流れています。
私の住んでいる奥戸へも、3つの奥戸橋が架かっています。
このいづれかの橋を渡らなければ、どこへも行けません。
縄文人さんのブログにて、昔の木造の姿を見ることができました。
またまた、勉強をさせてもらいました。
いつも、ありがとうございます。
今晩、西吾妻山に行ってきます。
今年福山市は100周年に備えてイベントを募集開始
しています。後2年後ですが多分この頃の写真展で
応募する団体もでるでしょう。
特に為政者には心して欲しいものです。
昨日まで天皇陛下万歳、鬼畜米英と言っていたのに
一夜にして大人が口々に丸反対のことを吹聴していたことに
戸惑いを覚えた敗戦時の小学2年の夏を忘れません。
そしてまた無謀な戦争で犠牲になった人々の歴史が
忘れられようとしている風潮にも心が痛みます。
S25年当時の木造の橋・・・いいですよね~
木組みが美しいです。
高校時代、片道1時間かかって自転車通学していたのですが、吉井川にもこのような橋が架かっていていました。
途中、穴が開いていて水の流れが見える所があって怖かった想い出があります。
現在は「今のちとせ橋」のようなコンクリートになっていますが、干潮になると、木の橋当時の橋げたを支えていた石の基礎が覗きます。
その下手に架かる橋が永安橋といいます。
夫の叔父2人共戦死しておりますので、祖父母が健在な時戦争の話をしたことはありませんが、70年経っても傷は癒えませんものね~
紛争地の子供たちの表情には胸がつまります。
平和橋とつけられたのでしょうか。あの東京大空襲の爆弾を落とす
米軍機の動画を見るとこれは生き残るのが奇跡だと思いました。
私の母は空襲の燃え盛る炎の明かりが千葉県からもよく見え
「新聞が読めるくらい明るかった」と云ってました。少しオーバー
かも知れませんが、それくらいたくさんの爆弾(焼夷弾)を落とした。
そしてたくさんの人が亡くなりました。戦争はもう二度とあってはならない
と、誰でも思う事です。「戦争は人を狂わせる」とこれも母が云ってた言葉です。
橋は、つなぐ・結ぶ という働きが確かにあります。A地域の人たち、B地域の人たちが交互に行き来することによって生活が成り立ちます。
橋は文化の要です。
東京もすごい雨が降りましたが我が家の付近は大丈夫ですが、ところによって低地は思わぬ被害があったようです。
畑はこれから言って状況視察です。
葛飾区の戦災は、それほどではなかったようですが、白鳥に高射砲陣地があり、これをめがけてあちこちに爆弾が投下されたようです。
その時分は、我輩は田舎暮らしで詳細は分かりませんが、東京の方がそう言っていました。
西吾妻山いかがでした。
天気が安定していたので楽しまれたことでしょう。
10月の山行予定、葛飾広報で分かりました。
年を重ねますと、ついつい昔のことを考え思い出しながら懐かしみます。
福山市の写真展きっと盛大に行われることでしょう。
そうですね!!小学2年生『日本は負けた』・・・・と親から言われた。
暑い暑い夏の日でした。
集団自衛権とか、まだ直接戦いには結びつきませんが、思想が幾分頭をもたげてきたことが憂うべきことです。