角柱三猿浮彫道標・葛飾区指定有形民俗文化財
3月末、佐倉街道の並木を歩いた。
その時チョイト地域を広げ佐倉街道を歩いてみた。
東京都葛飾区高砂6丁目13-21
亀田橋跡付近の石仏群。北向地蔵や石仏が並ぶ。
左端が角柱三猿浮彫道標と呼ばれるもので、正面上と両側面上に仏形坐像か、三猿と思われる浮彫があるが、
摩耗が著しくはっきりしない。
正面に「これより右ハ 下川原村 さくら海道」、右側面に「これより左 下の割への道」と刻まれる。元禄6年(1693年)建立、
葛飾区内に現存する最古の道標とのことです。
上4枚の画像は、角柱三猿浮彫道標で部分的に撮ったものです。
民家の一角に食い込んだように宅地化が進んで、道標と言うより
村はずれのお地蔵さん的雰囲気が濃い。
踏切の近くには、佐倉連隊に向かう軍用車が
小合用水に転落殉職(昭和16年)の兵士碑が建立されている。
新小岩~金町間の貨物線
区道工事(水戸街道~高砂=細田~江戸川区)の拡張工事
こぼれ話・旅 装 束
旅はいつも出発から始まる。古来、人々は様々な思いを胸に描いて旅に出た。
江戸時代の旅はどのような装束で旅発ったのだろうか?
昔は全てが歩き、これに呼応した旅装束・持ち道具とて歩きの邪魔にならないように、創意工夫されたことでしょう。
佐倉街道をちょいと行き来しただけでしたが、持ち物がどんなことであったかを知ることも興味津々と思った。
昨今は新ウイルスでマスクの出で発ちですが、当時江戸の昔
マスクなどと言うものはどんな形であったのだろうか?
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