奥戸・宝蔵院境内をそぞろ歩く
「宝蔵院)」は、葛飾区・奥戸にある真言宗の寺院です。
応永2年(1395年)に創建されたといわれており、境内の薬師堂には区の
有形文化財である本尊の「式部薬師」が安置されています。
秋には1000本以上の彼岸花が咲き、石仏群を背景に神秘的な美しさをたたえる。
散歩の途上ときどき立ち寄ります。
薬師堂
奥に入ると雑木林
羊歯類が一面に生えていた。
本堂を見る
情熱の歌人柳原白蓮の歌碑が建立。
「衆生あり祈願成就のよろこびを代々に伝えし御仏ぞこれ」
本堂の建物
水汲み場所
水仙が見事に咲いていた。
昭和38年には東方に中川放水路が完成し、その記念に堤上に、
「和光の鐘」を吊った鐘楼を建てた。
▲ 此のところ和光の鐘を聞かねども
どこへ行ったか朝のお勤め (縄)
コメント欄はopenです。
「和光の鐘」の鐘は、ほとんど聞いておりません!!
世界情勢を見つめると、あっちでもこっちでも人間の争い、最近はTVチャンネルをヒネルのが嫌になりました。醜い戦争の爆撃の跡‥‥。
日本では自然災害、本当に何時に為ったら復興すのやら石川県!!
でもやっと、道路全面開通、のと線鉄道の一部走り始めたとか・・・・・・。
◎ 縄文人宝蔵境内うろつけば
未来が見える永遠住処 (縄)
「和光の鐘」の鐘の音がゆったりと聞こえる~~~そんな住みよい世の中になってもらいたいものです。
身も心も清められたことでしょう。
何、なに?初めから身も心も清い縄文人じゃよ!
そりゃどうも、失礼をばいたしました。
◎ 白蓮の娘華道の先生に
家内教わり「野に在るように」(縄)
その華道の先生亡くなられし2年ほど経ちますかな‥‥‥。宮崎先生
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/865455/
散歩コースが中川放水路の土手を多くの皆さんが歩いていますが、
此処宝蔵院は土手下のすぐです。
鳥の声でも聴きたいときは雑木林に入ると聞くことができます。
≫≫≫「和光の鐘」毎日数回鳴らされるのでは?
以前は早朝に打ち鳴らす人が居りましたが、昨今は年1回の「除夜の鐘」のみです。
散策によるのに心収まるところです。
すばらしいですね。 立派な鐘楼
> 情熱の歌人柳原白蓮の歌碑が建立。
白蓮さんが嫁いだ 炭鉱王 伊藤伝右衛門鄭では、今お雛様が展示されています。
鐘の音 余韻がいいですね。
わが芦屋町は 芦屋釜(茶の湯の)で室町時代 栄えたのですが
その鋳物師達が造った 梵鐘もたくさん残してるんですよ。
ちょっと出掛けられてこの様なところ、
見せてもらうがいとばんでしょうから。
1枚1枚の画には心がありぬくもりがあり。
それはたまんない。いいところがあり感動です。
いやいや鐘の音が絵から聞こえていますよ。
ありがとうございました・・。
「和光の鐘」毎日数回鳴らされるのでは?。墓参りなさる方用の手桶も見えますのに。奈良のお寺さんの金が聞こえてくるときもです。日本水仙が満開ですね。
白い鐘が珍しい感じがします。ハイ白いので目立ちます。
以前は撞木を突いて、鐘が鳴りやむまで釣り鐘下を歩行して回り、
鐘が鳴りやむと次の鐘を打ち鳴らしていました。
そうです、お寺の鐘というので早朝見に入った覚えがあります。
以前は朝のお勤め、金を突く人がいましたが最近半有らなくなりましいた。
そうですね、
最近は多種多様、お寺の鐘の鳴るのもうるさいという人がいるかもお知れません。
此の釣り鐘は、
昭和38年には東方に中川放水路が完成し、その記念に堤上に、
「和光の鐘」を吊った鐘楼を建てた。
従って、寺の境内も放水路により削られて、その対価も入っているのではないでしょうか。
鐘楼のすぐ横は、新中川っ放水路、立派な土手がきずかれて居ます。
我々がこの地に越してきたときは、、朝も鐘が為りましたが最近は鳴りやみました。
風情のあるお寺ですね。
白い鐘が珍しい感じがします。
鐘を鳴らせない事情があるのでしょうね。
さいたま市にも「宝蔵院」という桜と庭園が綺麗なお寺があります。
鐘を鳴らさないで!という住民の要望のある場所もあるようです。
私は鳴ったほうがいいのですが、除夜の鐘さえケチを付けられるとか・・・
立派な鐘!!鳴らしてほしいです。
東京都内ともなりますと、さすがにお金が集まると見えて、立派な本堂ですね。鉄筋コンクリートの建物とお見受けしました。
小生的にはお薬師様の安置されているこじんまりとした建物の方に親しみを覚えました。
あの白蓮さんにも所縁があったようですね。
それにしても首都圏の町の中に雑木林を持つのですから豪儀なものです。
鐘楼も立派ですね。しかし、鐘の音が響かないとは勿体ないことです。