石尊山からの360度の展望
石尊山頂上
浅間山方向を望む、雲の下に噴煙を上げるのが見えた。
榛名山方向を望む
妙義山方向を望む
悠久の郷、寺社平が眼下に箱庭のように見えた
石尊山頂上は、葉を落とし裸木になっていました。
空は青空良い天気、一日を山中で過ごしました。
コメ欄は閉じています。
石尊山からの360度の展望
石尊山頂上
浅間山方向を望む、雲の下に噴煙を上げるのが見えた。
榛名山方向を望む
妙義山方向を望む
悠久の郷、寺社平が眼下に箱庭のように見えた
石尊山頂上は、葉を落とし裸木になっていました。
空は青空良い天気、一日を山中で過ごしました。
コメ欄は閉じています。
駒岩⇔石尊山、紅葉の登山道を往く
備えあれば憂いなし。
誰もヤマヒルの被害に会いませんでした。
こんな心使いが嬉しい・・・・・ね。
この花は何の花・・・? 誰も知りませんでした。
付近にいた地元のオバサンに尋ねた。?????でした。
ヤマの獣の達が、里に下りて来て農作物に被害を及ぼす。
柵に電気を通して≪これより下は人間の聖地・・・ですよ≫と柵で仕切ってありました。
イザ!登山開始です。
この付近は、高度を上げると落葉広葉樹林帯です。
これらの樹林の中間に位置(高さ)が、モミジで彩りを添えていた。
落ち葉を踏みしめ、倒木をまたぎ前へ、前え・・・と高度を上げる。
☆ 落ち葉踏み 掻き分けそして 天見上げ
紅葉は下からみあげるように・・・・・・ウウ~ン コリャイイ。
踏み分けて、ガサゴソガサ・・・と、高きにいたる。
石尊山の山頂にて。
既に実は枯れていましたが、芽吹きのような葉。
樹木の名前???
☆ 踏みし跡 ぱらぱらパラと 散るモミジ
(次ページ) の記事を書いていたら急に刈り立たれた
原点回帰
ふるさとの山に向いし
言うことなし
故郷の山はありがたきかな
朝な学校に行くとき、夕に帰るとき眺めた両神山,暮らしの一部でした。
暮らしの息遣い
オイ、お前、この野郎
そんな言葉が飛び交った。
何の変哲もない、それでいて穏やかな会話が、群がっていた。
今で思えばトゲのある言葉の数々。
自分が育ったところ、ふるさと成長の原点は、誰にも囲い込まれたくない・・・と、自ら守る。
古里とはそんなものなのだろう。
鼻たれ小僧、木登りのガキ大将、ウナギ捕りの名人
数え上げたらきりがない。
それが教え、教え合い(切磋琢磨)大きく育ってきた。
馬鹿野郎!こんち畜生!、くたばれ!・・と、投げかけられた言葉。
だから・・・・・・こそ、
一致団結・生活の輪が和となって、引き締め合って暮らして来た。
≪駒岩・登山口の山郷≫を見て、
そう思った。
何処にも逃げ場のない暮らし。
駒岩・登山口の山郷
登山前に、山郷の暮らし、佇まいをそれとなくみた。
山狭いの中に、流れる一本の四万川を挟んで左右に拓けた山郷。
一寸した平地を求めて住み着いたのであろう。
先祖が、山に入り畑を耕し作物を作り自給自足の生活から・・・・・。
人を大切に、家を尊びお互いを助け合い、侵されないひっそりとした暮らしがあった。
駒岩は人情の塊のような・・・・。
駒岩⇔高田山のピストン往復路
関越高速道路、渋川・伊香保ICを降りて国道353号を
四万温泉方向へ遡ります。
山郷は、私たちを迎い入れるかのようにモミジが里を染めていた。
軒下には大根、つるし柿が朝陽に照らされていた。
朝晩の厳しい寒さにさらされると一層甘みを増し美味しくなる。
大根は樽に漬け込まれ、しばらくの間寝かされて食べるときを待つ。
手前瓦屋根が≪駒岩・戸数およそ30所帯≫四万川を隔てて
遠く小さく見える≪寺社平ら・戸数およそ32所帯≫
ユッタリと生活の暮らしが流れていた。(戸数については、国土地理院2万5千の地図の黒点を数えました)
の人たちが一致団結して暮らしを守る。
登山道の真正面に、赤いもみじが染めていた。
10月桜であろうか?
物置の屋根を覆うように小さい花を拡げてた。
桜花の下には応援するかのように、ドウダンツヅジ、椿が咲き誇っていた。
Fリーダーが24名の名簿をノートに挟んで記載を終わる。
県道脇、石材店下に一目瞭然・・・と ↑ 分かるように大きな看板
①駐車場は公民館に、②登山者記載所の設置、③山ヒル吸着防止スプレー(次回掲載)
など登山者に対する気配りが整っていた。
山に登る人たちへの駒岩の心情を察する、嬉しい心使い。
次回≪3の2≫は登山道の紅葉です。
野田総理が会見で表明・参加の意向
TPP≪慎重な判断を≫民主が提言
TV,新聞だけでなく、自分の意見を持ちたいものと・・・・・・・・・・・・・。
TPP=環太平洋パートナーシップ協定への交渉参加問題を巡り、民主党のプロジェクトチームは9日夜、政府への提言を決定しました。これを受け、野田総理は10日記者会見を行い、交渉参加を表明する見通しです。
いずれも資料画像
9日の総会ではTPP交渉参加に慎重な議員から提言案への反発が相次ぎ、会合は長きに渡った。
その結果、党の提言として、交渉参加の判断に際しては国民への十分な情報提供を行い、国民的議論を行うことが必要である。参加表明については、党の議論では「時期尚早」の立場に立つ発言が多かった。
政府には、慎重に判断することを提言するとの内容に修正することで決着しました。 (共同)
私の意見
TPPは、グローバル、国際化が進むなか将来的には参加に賛成です。
しかし、あまりにも性急すぎ結論を先急ぐあまり、国民に本質的なものが理解されていない。
と私見を述べました。
やはり民主党から出された意見も≪慎重な判断≫とまとめられた。
おそらく野田総理は、記者会見で参加を表明されるでしょう。
その後アメリカとの外交交渉関係で、どのような経過をたどるかしっかり見守っていきたい。
総理記者会見の内容先取り
◎首相は「『失われた20年』の経済状況を立て直すにはTPPの交渉に参加するしかない」と決意と必要性。
◎アジアなどの需要を取り込むために、各国との連携を強化する必要があると判断したためだ。
◎農業などへの影響を懸念する声が強いことを踏まえ、「攻めるべきところは攻める。守るべきところは守る。
セーフティーネット(安全網)が 必要なところについては守る」とし、支援策を講じる考えを示す見込み
☆ このドジョウ アメリカ傘下で もの言えず
☆ TPP はたけ水田 大丈夫
伝統工芸三題
江戸木彫り
しばらく立ち止まって鑿と木槌に力の強弱、作品と彫りの出来具合を眺めていた。
鑿の大小、丸、角その種類の多さにビックリした。
彫る場所によっては一回使ってまた次ぎの鑿、そして取り替えまた次ぎの鑿、
巧みに使い分ける技には驚いた。
素材はヤキが最適といっていた。
「この仕事に携わり、いくつになってもこれは・・・と満足したことがない」
木彫りに磨きを掛ける職人技の一言だと感じた。
おまけ
陶芸
東京三味線
三日,三月,三年という言葉がある。
伝統工芸の仕事にあっては、仕事を覚えるのに3年、何とかできるようになるのが5年、
磨きが入るのが10年くらいの年月。聞いて見ていて思った。
物を仕上げるということは大変なことだ。≪匠≫
前回、伝統工芸≪東京くみひも≫を掲載しました。
コメ欄は閉めております。
改めて現場を検証した
哲学的ですね、含蓄のある言葉です、悟りを開いた・・・・。
コメントの中に、見出した。
!!?えェエえ・・・・。
改めて現場を検証した。
小さい花が貯め桝やその脇に咲いてた。
木製の椅子に腰を下ろしタバコをふかす。
小さい花、肉眼でヤット見つかるくらい。 ↑ の 1
可憐に咲き ↑ の3
耐えて咲く花
いままでに まったく気づかなかったのに、咲く花の基を見るようになった。
小さな命に心癒される。
先日、貯め枡(下水を集めるコンクリート)の中から青い葉が覗いていた。
朝夕に寒さを感じるようになった・・のに。
アスファルトのすき間、土がないのに、小さい小さい名も知らぬ花が咲いていた。
根性の植物であろう・・・・・・・・。
元気に生きる姿を見て、すごいナァ~。
自分も生かされていると感じた。
大宇宙から見たら、ほんのちっぽけな生き物、人間。
大きな葉と、ほんの見えないほどの小さい花。
同僚から 何を見つめ物思いにふけっているのですか・・・!?
ハッとした。
一日一生、いまを生きる。
生産的創造より、真っ直ぐに生きる。
何かを感じた、一瞬だった。
七十にして、心の欲する所に従えども矩(ノリ)を踰(コエ)えず。
植物への愛着は・・?
そんなもの知らねいよ。少年時代の百姓と土ダンベイ・・・。
裸足で立った農業の感触、土と植物は忘れない。
一粒の種からの芽生え、
土と太陽と水がある限り成長する。
踏みつけられても咲く花、ほんの小さな花
へばりつくように生きつづける植物。
生命力を見た。
野菜と人間の会話
10月13日、家で仕立てたブロッコリーを菜園に植えつけた。
あまりにも元気がなかった。
その後、ご無沙汰していたのでご機嫌伺いに菜園に行った。
ブロッコリーはどうなった・・・・・・・か?。
成長していました
おかしい・・・。1本だけ元気がない。
ブロッコリーが呼びかけてきた
ブロッコリー「久し振りですね~・・・・。あまり来ないと・・・心配しますデなぁー・・・」
縄 文 人 「サボっていたわけではないでョ ゴメンゴメン~~~~~チョイト仕事で」
ブ 「大きくナア~レ、オオキク ナ~レ・・・と、みんなで声を掛け合い、元気付けながら育ちました。皆元気で す、この通り」
縄 「手前にチョイト小さい苗、赤くなって元気がないのが有るがどうしたのかな・・・~?、病気か!!」
ブ 「それがノウ、主に言って良いやら悪いやら・・・・・主の10日にいっぺんの野周りでは淋しいと、夕方になると泣いていたでガンス・・・・」
縄 「泣いて泣き濡れて・・・・涙も枯れ果てたということか・・・・ゴメンゴメン」」
それぞれが大きく順調に成長しているようで安心。
ブロッコリーに支柱を施した。風に負けないように!!元気に育てよ。
ブ 「縄文さん、いい話しがあるでナァ~・・・。わしらと同じに育った、妹を隣に嫁に出したがネェ・・・・・」
「それが、隣のKさんに可愛がられて、とても大きくなったデヨウ。
顔を会わせていってあげてクンナセイ・・・!!」
隣に嫁に出した、兄弟姉妹(20本ぐらい)がとてもとても大きくなっていた。
可愛がれているのだろう。胸をなで降ろした。
縄 「アリガトサン。立派に立派に育っていたよ。隣の主さんに可愛がられているのようだ!
本家より、分家が栄えているチュウコトカノウ・・・ウレシイ話ありがとう」
縄 「みんな集まれ、本家も分家もネェ。兄弟姉妹仲よくこの冬を乗り切って立派な実をつけてくれよナァ!!」
隣のKさんは、
定年退職後、しばらくその会社に嘱託勤務していたが、ここで仕事を辞して、家庭菜園に取り組む意気込み。
とても熱心なKさん。
縄 「すべてのブロッコリーに元気をつけて菜園を後にした」
女峰山の女神、田心姫命(たごりひめのみこと)を祀る。
日光二荒山神社の別宮。
本宮、新宮(現在の二荒山神社)とともに日光三社権現の一つである。
820年、 弘法大師が創建したと伝えられる。
明治四年の神仏分離までは楼門に大師の筆といわれる「女体中宮」の額が掲げられ、仁王像が安置されていた.
いう。
↑滝尾神社はここから始る。
↑天狗沢にかかる名瀑。高さ薬10m。弘法大師修行の場と伝えられている。
世々を経て 結ぶ契りの 末なれや
この滝尾の 滝の白糸
↑弘法大師(空海)が、弘仁十一年(820)この地に来て、奥の大岩のあたりで神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられている。
↑運試の鳥居
元禄二年(1689)に、三代将軍家光の忠臣、梶定良が奉納したもので、
鳥居の額束(中央の縦の部分)の丸い穴に小石を三つ投げ、穴を通った数で運を試したという。
↑
この御供水には、酒の味があるといわれ、持ち帰って元水として酒を造ると、良酒ができるという。
醸造家の崇敬が厚く、古くから栃木県内の酒造家たちで酒泉講が結成され、秋に祈醸祭、春に報醸祭が行われる。
現在は、西神苑の「二荒霊泉」でおこなわれる。
↓
↑ 弘法大師が、この山で修行をした時に田心姫命が現れた場所と伝えられている。
初代の杉は1699年、1747年、1749年と相次いで倒れ、現在の木は二代目である。
倒れた親木は、そのままにしておく習わしで、今も横たわっている。
コメ欄は閉めております。
生きる力
パット 咲く花より力強く咲く花がいい。
花 、 咲かなくとも・・・・・・・芝生は好きだ。
私は芝が好きだ! ≪踏まれても踏まれて萌え出る≫
プロポーズの言葉は、この辺から来ていた。
耐えて咲く花
いままでに まったく気づかなかったのに、咲く花の基を見るようになった。
小さな命に心癒される。
先日、貯め升(下水を集めるコンクリート)の中から青い葉が覗いていた。
朝夕に寒さを感じるようになった・・のに。
アスファルトのすき間、土がないのに、小さい小さい名も知らぬ花が咲いていた。
根性の植物であろう・・・・・・・・。
元気に生きる姿を見て、すごいナァ~。
自分も生かされていると感じた。
大宇宙から見たら、ほんのちっぽけな生き物、人間。
大きな葉と、ほんの見えないほどの小さい花。
同僚から 何を見つめているんですか・・・?
ハッとした。
一日一生、いまを生きる。
生産的創造より、真っ直ぐに生きる。
何かを感じた、一瞬だった。
七十にして、心の欲する所に従えども矩(ノリ)を踰(コエ)えず。