【8月15日靖国神社ドキュメント】(4)「帰ったら祖母に体験聞きたい」
子どもの頃は8月になると戦争の話を聞く機会が多かった。
中学1年生の時の夏休みの登校日は8/15日だった。当時の担任の先生は「僕が教師でいる間は登校日はずっと8/15にするつもりだ」と言い、自分も学徒動員されることを覚悟していたことを私たちに話してくれた。
両親は戦争当時二人とも小学生だったはずだが、それでも娘の私に当時の事を伝えなくてはならないと思っていたようだった。
母は疎開先で食料が無くて困った事や、遠い親戚の家に身を寄せて肩身の狭かった事、長野の南部出身の父は、家に何度も満洲開拓移民を勧める村の人がやって来た話をしてくれた。
そして二人とも、私が「まずい」や「美味しくない」などと食事に対する不満を口にすると「戦争になると、とにかく食べる物が無くなる」と、食べる物があるだけ有難いという話を何度も繰り返した。
今、私の周りにはもう誰も戦争の話をしてくれる人はいない。
母方の祖父母は戦前、田町で和菓子店を営んでいたのだという。その話も聞いておけばよかったなと思うのだが、親族の集まりに行っても当時の話を聞いている人は殆どいない。集まった際にたまたま誰かが持ってきた古い写真を見せては貰ったが、その店が本当に祖父母の店なのか、写真に写っている人が誰なのかも、その場にいた誰も分からないのだった。
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追記:
両親の戦争時代の話は、私の戦争観にも影響していると思う。僅かではあっても、直接話を聞く機会があったからには、私も戦後世代の端くれと言っていいだろうか。