年齢を重ねて変化してきたことに音楽の好みがある
若い頃はマーラーの正直な感情の発露のような音楽が
生理的にもフィットして好ましく思っていた
ところが最近はあまりにも感情的過ぎる(と感じる)ので
少しひいてしまい、聴くことは少なくなっている
感情の正直過ぎる発露は下品で
それとなく想像させたり、技巧的に暗示する表現のほうが
奥ゆかしいとする京都人(あるいは平安人)の気持ちが
今は何となく分かる気がする
だが、世の中によくある「誰々が悪い!」
というシンプルな感情的な主張は
それが正当性のあるなしに関係なく
まどろっこしい暗示のような表現よりも力を持っているのは事実
そして、そこではものごとの極端な単純化がなされる
年齢を重ねると「世の中は単純ではない」と感じるようになる
単純で美しいとされるe=mc2 の公式も
それを理解するのにどれだけの複雑なことを知らねばならないか
知れば知るほどゾッとする
つまりは、簡単に単純化され得ない、、ということ
人は感情と理性の生き物と言われるが、この2つが戦うと
いつも感情のほうが勝利をおさめる気がしている
静か過ぎる理性の世界より、熱気のある感情の世界の方が
親しみやすいのは分かるが、それが限度を超えると
やはりひいてしまうな、、