この一週間で読み終えた本
キエルケゴールのは再読
再読の割には時間がかかって仕方なかったし、何かよくわからんというのが実感
若い頃、ニーチェよりもキエルケゴールのほうがシンパシーを感じて
どこか面白かったという記憶はあったが、読み直して、それがどこだったかはわからなかった
だが部分的に(本質と関係ないところで?)気になる例があった
(孤独に憧れる精神といった部分、だが全面的にキリストの前での審判は、、よくわからん)
実は「死に至る病」よりは「現代の批判」のほうが今の読むにふさわしい内容だった
冒頭にこのような著述がある
現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代で、たまに感激に燃えたつことがあっても
如才なく、すぐにもとの無感動に落ちついてしまう
この短い文章(の内容)はソナタ形式の第一主題みたいなもので、いろいろ料理されて
何度か繰り返されて、そのたびにリアリティを増していく
本が書かれた時点の「現代」と、現時点での「現代」が全く違ったものではなく
今でも通用する、いや今こそ問題視される内容となっている
年齢を重ねるとつい「今の若いもんは、、、」と文句の一つも言いたくなってしまうが
それに通じる「現代の若者への不満」が、この本にも感じられるということだ
これは近いうちにもう一度読み直したほうが良いかもしれない
(慌てて読みすぎたので)
上下に別れた浅田次郎の「流人道中記」は、少しも苦労しなかった
多少意味がわからないところがあっても気にせずに読み進めることができる
ただただストーリーに身を任せておけばいい
でも最近はストーリーよりは作家の技術的なところが気になる
昨年再読したカラマーゾフの兄弟も内容よりは、ドストエフスキーの
仕掛け(種まき)の部分の方が気になった
この「流人道中記」は時々視点が変わって、同じ事件(事象)を紹介して行くのだが
その同時進行していく技術と、それをまとめる力に関心がいった
ただ、それがうまくいってる場合と、イマイチのエピソードがあって
あまりにも完璧すぎないところがどこかホッとする
純文学のように言いたいことを、難しい表現やエピソードで紹介するのではなく
流人の青山玄蕃はストレートに、武士の世界観や制度を批判し、それを行動にあらわす
それはわかりやすいが、あまりにもストレートすぎて、個人的には少しどうかな、、と
思うところもないではなかった
もっともこの本はストーリーの楽しとか人の優しさを感じるための本を思えば
作者の意図は見事達成してると言えるだろう
無理やり難解な本を読むつもりはないが、最近は苦労する本を読む事が多い
それはついつい読んで得られる刺激が強い本を求めてしまうからだろうか