パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

どの視点でそれに向かうか

2020年05月10日 09時05分58秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

 面白いか面白くないかで比較するのは適切ではないだろうが
国会のやり取りは政府対与党のやり取りよりは
政府対野党のほうが圧倒的に興味深い
対立点がはっきりするので議論への理解が進む

野党は政府から提出された資料なり法案に対して
もう少し良いものはないかとか疑いとの視点があり
その姿勢で資料等も読み込む
そうすると必然的に提出者が意図した理解ではなくて
別の理解への可能性にも思い浮かぶ
つまりは最初から疑ってかかると見えるものが違って見える
ということだ

国会などと大きなことを言わず、市議会でも同じことが言える
予算や新規事業などの重要なテーマについても
疑問の視点があってその説明を聞いたり資料を読んだりすると
ただ単に提出されたものに反応するのとはだいぶ違ってくる

何か変だな!
同じものを見たり聞いたりしても、こうした直感が働く場合(人)
と働かない場合(人)がいる
その直感は、その人の経験や知識によって得られるものであって
人によって直感の働く方面(分野)は違ってくるのは仕方ない
ただ、言えるのは疑問をもってそれに向かうのと、意識しないで
向かうのとはだいぶ違ってくるということ

ノーベル賞の本庶佑さんは、ある時「教科書すら疑う」
的なことを述べられたと記憶している
一般の人なら無条件に信じてしまうことを
果たしてそうだろうか、、と考える
そして自分なりの答えを出す
その結果教科書のとおりであったとしても、それは最初から
盲目的に教科書を信じたのとは違う

最近、判断のプロとされる(議決が需要な役目の)「議員」さんは
その判断の基となる資料をどの視点で読み込んでいるのだろう
と不安になることがある

いちいち全てに疑いの目を持って立ち向かうのは現実的ではないが
それでも、直感を働かせて、センサーに引っかかるくらいの
資料の読み込みをしてほしいと思ったりする

 

コメント
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