パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ベートーヴェンの時代の日本は、、

2020年05月31日 10時31分46秒 | 徒然なるままに

ベートーヴェンが生まれたのは1770年で、亡くなったのは1827年
不意にこの時代の日本はどんなだったのか気になった
時代的には江戸時代だが、歴史的な事件よりも
この時代の作家さんが書いた時代の雰囲気とか考え方に興味がある

ベートーヴェンにかぶるのは十返舎一九と滝沢馬琴
名前は知ってるが真面目に読んだことはない
この際、ヨーロッパの歴史とかメンタリティと比較して
読むと面白いかもしれない
アマゾンでは現代語訳の東海道中膝栗毛があるようだ

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都会の人と田舎の人

2020年05月31日 08時54分44秒 | あれこれ考えること

東京に出かけてホテルに泊まると、そこのテレビでニュース番組を見ることがある
いつも家で見ると同じようなニュースでもどこか違って感じる
リアリティがぜんぜん違うのだ
家にいるときはどこか遠いところの話のように思えている
ところが東京で見聞きするニュースは、すぐ近くで起きていることのように思える
それは東京で起きた火事とか交通事故だけでなく、政治の問題とかタレントさんの
どうでもいい報道でも、生々しく感じてしまう

だがこうした感覚も自分がいつも東京にいたならば、同じように生々しく感じるか
といえば、少し違うかもしれない
そんなことに慣れっこになってしまえば、また同じような毎日と感じるのかもしれない

東京の人、あるいは都会の人と田舎の人とは明らかに違う生活をしている
はっきり違うのは生活時間で、田舎に人間は昼行性の生き物らしく
日が昇れば起きて日が沈めば眠るパターンで、田舎にいる自分は
今は早寝早起きを実践している
夜は寝るものだとしているから夜のテレビ番組は知らないし
そこに出ているタレントさんも知らないし、今話題になっていることも知らない

そこで少し変なことを考えてみた
都会の人は「人との関係性」の中で生きていて(社会的生活)
田舎の人は「自分との関係性、あるいは自然との関係性」の中で
生きているのではないかということ

都会は誰か他人と接触、関わって生活せざるを得ない(特に現役世代は)
一方田舎はそれほど人との接触で生きているわけではない
むしろ自然とか植物とのかかわり合い(たとえば農業で)時間を費やす
そしてそんな中では、自分と話す時間が増えてくる

これは東京で生まれる小説とのテーマが、人との関わり合いがメインとなるのと
田舎の人が作り出す想像の産物は、必ずしも人とのかかわり合いだけでなく
もう少し内省的な物が多いの傾向にあるのに通じるかもしれない
この少し内省的な産物は、忙しい都会の人間の今を生きてる感覚からすると
どこかピント外れな時代遅れのような感覚を持ってしまうかもしれない

今思うのは内省的な作品は、今は都会では生まれないのではないか
ということ
内省的な作品が生まれるには、人間的な関わり合いの刺激が多すぎる
政治が政局絡みになったり、スキャンダルになったり、個人攻撃になったりして
常に刺激的で事件の経過を追うだけで、ひとの頭はついていけなくなる
もう少し時間があれば、「そもそも」という原理的なところまで考えが及ぶのだが
現在、テレビに出ている若い学者さんたちは「人との関わり合い」で論評を
展開しているような気がしてならない

一神教の生まれたところが、豊かな自然のあるところではなくて
常に自分との対話が要求されるところ、、であったのは半ば必然で
思索的な何かを生み出すには、沈潜する時間と環境が必要であると思う
その意味で、都会過ぎる東京よりは程々の京都のほうが思索的なものは
生まれやすいのではないか、、、と勝手に思ったりする

日曜の朝にふさわしくない話題、、、

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