ピカソと聞いて一般人が思い出すのはへんてこな絵
だが展覧会などで初期の作品を見ると驚くのが
その写実的な絵の描写力
ドビッシーのピアノ曲といえば前奏曲とか映像が思い浮かぶが
それらは感情に訴える音響というよりは感覚に驚きを与える音楽で
誰もが無条件に楽しめるような音楽ではない(と思う)
だが初期のアラベスクは、多分誰が聞いても聞きやすく
心地よい感情を呼び起こす(オーケストラに編曲された小組曲も聞きやすい)
嫌いな作曲家のアンケートでは上位を占めるブルックナーは
繰り返しが多く、何が言いたいかさっぱりわからん、、
との判定をくだされそうだが、彼もまた初期のピアノ曲
「秋の夕べの静かな思い」とか「思い出」ではショパンの夜想曲を
思わせるロマンティックな音楽で聞きやすい
これらの3人に通じるのは、その気になれば見やすい絵、聞きやすい音楽を
創造できたに違いないということ
だが彼らはそのように作らなかった
多分彼らは自分の中に湧き上がる衝動に任せて(あるいは意識的に)
自分の進むべき道のみを信じた
そしてそれは時間を経て、彼らの個性と評されるものになった
ピカソはピカソになり、ドビッシーはドビッシーになり、
ブルックナーはブルックナーになった
この自分が自分になるための時間とか努力とか信念とか使命感とか
そうしたものの源泉は一体なんだったんだろう、、と思ってしまう
若い時は晩年の作品に接することが多かったが、
いまは初期の瑞々しい感性の作品に触れたい気がしている
彼らが彼らになった理由も想像しながら、、
(自分も自分になっている、、と思いながら)