日の出の時刻が4時台になって、目が早く覚めるようになっている
「涼しいういちにウォーキングに行っといで!」
の半ば命令のような声に、ここ二三日は素直に従っている
今朝も昨日と同じ人達と出会った
それもだいたい同じ場所で
同じようにあいさつと、ちょっとした世間話をして
また自分の時間に戻っていく
田舎道は気持ちいい
空気も朝は心なしか澄んでいる
田んぼの所々からカエルの声が聞こえる
行く手の東側、雑草(?)が生えている畑が目に入る
あれっ!
逆光に照らされて草・地面がキラキラと、
まるで霜が降りているように光る
そんなはずは、、、
それは朝露だと冷静な頭が働いたが
その前に浮かんだのは
「かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける」
(百人一首 大伴家持)
この歌の意味とか情景ではなく単に「霜」という言葉に
引っかかっただけだが、昔の人は自然と一体化した感覚を
持つことができたことに少し羨ましく感じる
百人一首も万葉集も古今和歌集も新古今和歌集も
そんなに真面目に読もうという気はないし、根性なしだから
百人一首を覚えようという気は端っからない
でも、どういうわけか家にあるそれらの本を適当に開いてみると
季節とかその移ろいとか、その感じ方とかが
今はとても素直に心に入っていく
自分も季節の変化に物思う日本人だなあ、、と感じるわけだが
同時に平安とか江戸時代の貴族社会はこのような歌がうまく
詠めることが必須となっていたことは、何かを感じる心を
大事にしていた社会のように思われて、それはとても重要なことと思われる
日本が好き、、と公言して、(ツイッターの)プロフィールにはゲームキャラクターの
写真を無頓着に使って、個人攻撃の好きな人たちは
本当に日本が好きなのか、、と思えてしまう
少なくとも彼らからは、季節の移ろいに心動かされるようなメンタリティを
感じることができない
同時に責任重大な立場にありながら、言葉が軽く
とんでもない判断(マスク二枚)をするあの人にも
リベラルアーツの要素は少しも感じられない
それで究極の判断がまともにできるのか不安を覚えて仕方ない
(困ったものだ)