後で気がつく寝小便!
ではないが、自分は後になって慌てて何かをすることが多い
子供の頃はテストが終わってから勉強をしたし
フランスのルーブルに行った時は、モナリザを見過ごして残念な思いをしたし
最近でヴァーグナーの楽劇を見に行くときも
予習はせずに復習がメインになっている
昨日は憲法記念日で、憲法のことは何も考えなかったが
寝るころになって不意に、そういえば、、と思いだしたことがあった
それは団籐重光氏の「法学の基礎」の最初の方にある「努力」の言葉のこと
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の普段の努力によって、
これ保持しなければならない【憲法12上前段】
この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得
の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び
将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである
【憲法97条】
団籐氏は「努力」という言葉が二度も使われていることに注目し
基本的人権は、「与えられたもの」ではなく、われわれ人類が動力によって
作り出したものであり、今後はさらに努力を重ねることによって、さらに発展させて
いかねばならない と説明している
憲法などと堅苦しいものには縁がなかったが、この部分を読んだときには
素直にその通りだ、、と納得した
更にこのようにも記している
憲法の規定の上では、将来については「保持」というやや消極的なことばを
使っているが、その精神からいえば、単に保持するというだけでなく、さらに
拡充し、発展させ、また単なるお題目ではなく現実的なものとして行くことが
当然に、我々に「課せられている」ものと言わなければならない
この方団籐氏は法は静的なものではなく、動的なものとしている
解釈主義ではなくて、実情に合わせて努力して変更すら考えていくのが
法の基礎としている(と自分は解釈した)
昔は面倒くさくて読めないような理屈っぽい本が、
最近は現実世界と照らし合わせて想像できるようになっているし
それがとても興味深いものになっている
その反面、フィクションである小説類がどこか物足りなくて
読めなくなってしまっている
(小説は人名が覚えられないで避けているかもしれない、、、)
たまには、真面目に憲法のことを考えるのも悪くない