パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

本は発見と再確認に役立つ

2020年12月09日 08時40分25秒 | 

今月(12月)の「100分de名著」はブルデューの「ディスタンクシオン」
自分はこの作家も本のタイトルも全然知らない
だが番組の解説が面白そうだったので録画しておいた

本は新しい知識を得るのと同様に自分の認識を確認する役割がある
なんだ、自分がずっと思っていたことと同じじゃないか
とか
今まで上手く説明できなかったが、言いたいのはこういうことだったんだ
などの経験は少なからずある

まだ一回目だが、この本も自分が思っていたことをうまく解説してくれそうな感じ
興味深いエピソードが紹介された

歳とった方の手の写真を見てどのように感じるか?
とのアンケートを行うと社会的な(経済的な)クラスによって捉え方が違うというのだ
労働者階級の方々は写真に写る血管が浮き出た手を見て、それまでの生活や人生を想像するのに対し
ハイクラスな人たちは写真の構図とかの技術的な面に関心が行くという結果が現れたというのだ
(自分は人生の方を想像してしまった)

他にもクラシック音楽が好きな人とそうでない人の差はどこにあるかを考えると
稲妻の一撃のような個人的な(運命的な)ものよりは、その人の周りの環境が左右するとしている
身の回りにその手の音楽がある場合とない場合の差が感受性の差になって現れるというのだ

でもこの例は自分にはちょいと違う(気がする)
家はクラシック音楽を聴くような家庭では無かった
彼がそうではないとする稲妻の一撃は、小学館の本とレコードが合わさった安いセットによって引き起こされた
中学のクラブ活動で疲れた体で、17センチのレコードで「運命」を聴いた
最初は冒頭は知ってても最後まで知ってる人は少ないだろうから、最後まで聴いて自慢してやろう
くらいな気でいた
ところが聴き終えると自分の中で何かが起きていた
それをなんと表現していいかはわからないが、とにかくそれ以前と以後は自分は変わってしまった
という実感だけは今も残っている

こうした例外はあるとしても(?)、社会的な環境(地域・経済等)によって自分たちが
身につけたものはコントロールされている、、とする考え方は、そうだろうなと納得できる

現在、社会の分断が見られるという
この分断は単なる個人の考えかたとか感じ方の違いに起因するのではなく
あることに対する怒りも、怒りを覚える人覚えない人の社会的な環境に左右されるのは当然のことかもしれない

この本は面白そうだが、難しいとの評価があるそうだ
(だから購入しても読みきれない不安がついて、欲しい物リストには入れてもおいても購入は、、、)
フランスでは、本は難しいと感じられないと売れないとの認識があるそうだ
そう言えば、確かにフーコーもよくわからなかった
でも本と格闘した後は、何かが残っている気もしているので無駄では無かったと思いこむようにしている

「100分de名著」は早寝早起きにはしんどい時間に放送される
録画しておけばいいけど、それも忘れそう
忘れたらその時はその時、縁がなかったと考えることにするしかない?
でも、あの番組の先は気になる、、

コメント
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