世の中にはいろんな分野の仕事があって、それぞれが時間をかけて身につけた
知識とか技術を活用することで社会が円滑に動くようになっている
人は自分に関与しないことは身についていないので、その分野は誰かに任せて
知りたいことがあれば彼らから聞くことになる
ところが、それを誰から聞くか?
という選択が果たしていつも適切にできているのだろうか
自分で聞くべき人を探したとしても、個人の好き嫌いの傾向があるので
特に政治的・社会的な分野は偏りがちになる
これなどはある程度自覚しているので問題はないとしても
問題は影響力の大きいとされるメディアがその分野としての専門家を活用している場合だ
この専門家の選択は、どのような判断基準で行われているのだろう
政治評論家とかの肩書がある人物がテレビにで解説をする場合
それはテレビが守るべき中立性を確保できる人物を登場させているのだろうか
ある政治評論家は政権の人物と頻繁に会食をしている
そこで彼しか知り得ない情報を得ることができ
それを披露することによって存在価値を発揮するのだが
そもそもその秘密っぽい情報自体がある意図をもった情報ではないだろうか
彼は政府の広報マンとのあだ名が一部の人から名付けられている
しかし、それはあくまでも一部に過ぎない
自らの生活リズムに忙しい普通のひとは手っ取り早く理解するために
テレビに出ている彼の解説を聞き、わかった気になる
仮に一般人がそれほどお気楽な存在ではないとしても
こうした無意識に働きかけれる力は馬鹿にはできないと思われる
最近ではまるで開き直ったように、テレビ局が特定の人物を頻繁に登場させている
話しだしたら止まらないタイプの人で、あまり彼のことが好きでない自分とすると
何故あんなに多く出演しているのだろう、、と思えて仕方ない
日本には放送法なるものがあって放送の内容は公正・中立でなければならない
とされているが、実態はそれが実現されているのか、、と疑い出すと
とても安心していられる状態にはないと思えてしまう
ということで、最近関心があってアマゾンの欲しい物リストに入っている書籍は
「プロパガンダ」広告・政治宣伝のからくりを見抜く(アンソニー・プラトカニス、エリオット・アロンソン著)
「メディアとプロパガンダ」(ノーム・チョムスキー著)
この手の本に関心が行くこと自体が、あまりよろしくない社会状況のような気もするが、、