パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

わからないことは、つい信じてしまうが、、、

2020年12月16日 08時50分52秒 | あれこれ考えること

つくづく公務員(市の職員)は法律に縛られた範囲内で仕事をしていると感じる
市議会の一般質問に対する答弁では
「何々は法律の〇〇からこのように行うのが適切であると承知しています」
と言ったような言葉が至るところで登場する
そんな細かなところまで法律は規定しているのか、、と驚いたり
職員はよくもまあ知ってるものだと感心するのだが
先日の市議会の傍聴の帰り際、行政の中心にいる方々に
「本当にいろんな法律で縛られていて、聞いてても素人にはチンプンカンプンだ」
とこぼしたところ、
「法が(法の遵守が)我々の拠り所ですから」
とさらっと答えられた

当たり前の様なことだが、だからといって行政の発言をそのまま信じてはいけない
と思うことがある
まずは行政の発する法律解釈は、本当に行政の答弁する内容なのか、、という点
答弁を聞いた方は(議員も傍聴者も)そんな法的な根拠があるのを知らない場合が多いので
大半の場合、言われたことをそのまま信じてしまう
そこには行政は間違ったことは言わない、、という大前提がある

ところが以前、それが疑わしいと思われることがあった
それは数年前、大問題となった新庁舎建設の見直しの実務協議のときのことで
行政は現在の第二駐車場となっている場所は駐車場としての面積がある数字よりも大きいので、
そこからは法的に右折して出ることはできない、、と説明して、自由な出入りを予定していた
見直し派は一気に頭を悩ますことになった

ところが、現在は問題なく右折して出られる
行政はあの面積では右折できないとしていたのに、何故なんだろう
とこだわっている人は疑問に思う
実は駐車場の面積(の定義)にその違いがあったのだ
素人の見直し派は、駐車場面積は通路を含めてのトータルの面積を駐車場の面積と思っていた
(だからあの面積では右折できない、、困った、、と)
ところが、なんのことはない法的には車一台専有面積を(約2m×5m)として、
総台数に掛け算したのが駐車場の面積だったのだ

〇〇の面積以上は右折できない、、は事実
だが、その場所がそれを超えているかどうかは行政は説明しないで、原則論だけを口にする
つまりは、行政は間違ったことは言っていないが、勘違いするようなことは言っている

この場合のように、世の中にある法律の細かなことなどは、一般人や、もしかしたら議員さんさえ
知らないでいるし、更に本当かなどと調べるのは面倒なので無条件に信じてしまう事が多い

それだけでなく、ここからは独断だが、法には解釈という行為が伴う
誰もが同じように解釈する法もあれば、多様な解釈が存在するものがある
その様な場合のために先例集みたいなものがあって、それを拠り所にするのだが
困ったことにその先例を探すという行為にも人のすることは個人差が発生してしまう
ある人物は〇〇が正しいと想定して、その解釈の例を必死になって探す
またある人物は全く反対の例を同じように探す
困ったことにその両方が同時に存在し、いったいどちらが本当なのか、、と迷ってしまう
(実際にこの出来事は、行政ではなく市議会のある問題で起きたこと)

つまりは拠り所とする法も、説明されたそのままで本当にそうなのか?
と疑ってみると、少しばかり怪しいことは出てきそう
(間違っていなくても、間違って解釈されるように伝えるとか)

市議会の一般質問を傍聴していて実感するのは、余程のことがない限り
市議会議員は行政に討論では勝てないだろう、、ということ
〇〇の法律に従っての殺し文句は、議員さんはそれが何を意味するか調べるもの面倒なので
ついつい受け入れてしまうし、行政の人間は毎日の仕事でその分野の法には詳しいのは当たり前になる

議員さんは行政の長と同様に選挙によって選ばれて、行政のチェックを行うことになっている
議員さんがどくくらい真面目に取り組むかが、地方自治体が幸せか不幸かを決めることになりそうだが
現実はどうも行政の言い分をそのまま受け入れてしまう傾向が多いようだ
(受け入れないためには、それなりの法的根拠も必要で、それを探すのは面倒だし、
なまじっかの知識では行政にやり込められていまうので)

と言っても、(理想主義ではなく)現実主義に戻ると議員全員が問題意識をもって働くのは
統計学的に無理な気もする
その中で、どうしたら少しでも良くなるか、、ということになりそうだが
それは真面目な議員に頑張ってもらうしか手はないかもしれない

選挙権のある市民が、頑張っている議員とは誰かと知って
反対の努力もせずに行政の説明を鵜呑みにして議案に賛成するだけの議員は誰か
を知ることになれば、少しは良くなりそうな気もするが
だが、これは面倒臭すぎるか

つくづく選挙の年の瞬間風速的な議員の評価(スローガンに対する評価)ではアカンなと思う
同様に首長についても、選挙の年だけ情報を提供されても、、、







 

コメント
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