パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

記憶

2020年12月21日 16時02分02秒 | 徒然なるままに

何故すっかり忘れてしまっていたのだろう
そのもの自体は強烈に覚えているのに
それをどこで見たのかはすっかり忘れていた

蓄音機のスピーカーのような形(法螺貝のような形)をした補聴器
そこにはそれがいくつも並んでいて
彼の音を聴こうとするすさまじい執念みたいなものが感じられた

彼とは、今年生誕250年を迎えたベートーヴェンだ
先日NHKの特番で尾高忠明氏がボンのベートーヴェンの生まれた家に
訪れた映像を見て急に思い出した

ボンのあの家で見たのだった
1976年、大して見るもののない小都市ボンを訪れたのは
ベートーヴェンの生まれた家を見るためだった
そして、そこで見たこれらの補聴器は、耳が聞こえなくなったベートーヴェンの無念さと
なんとしても音を聞こうとする執念が感じられて、悲しい思いをしたのだった

でもすっかり忘れていた
忘れちゃいけないことを忘れていた
あの年、ウィーンの中央墓地でベートーヴェンのお墓の前に立った時は
理由もなく熱いものが頬を伝わったのに、、

記憶は何故か覚えておくべきかたちで覚えていない
まるで夢のように勝手な印象としてのみ残る
そして心のなかに潜んだそれが、ある時ふっと蘇ってくる

思い出してはいけないこと、無理して思い出さなかったこと
そうした記憶もある
でもそれそろそれらを開放してあげても良いのかもしれない

記憶
年配者には振り返る時間が許されているとしたのはヘッセだった
振り返ると(記憶は美化されるので)人は優しい気持ちになれるかもしれない

昔子どもだった大人は、子ども時代を思い出すのはきっと悪くない
(特に政治家は)

コメント
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