昨日、市川海老蔵の事を取り上げるのは幼稚!
と書いておきながら市川海老蔵のことを取り上げるのは
気が引けるけれど、どうしても一言入れたくて!
自分は彼の事を知らないし、好きでもない、
外見から感じる様子も良い印象をもっている方ではない
しかし、今回の件、一気に風向きが変わってバッシングの方向に
進みそうだけれど、それってどうなんだろう?
若気の至り!
で終わらせる事はできないものなのか
勿論なんらかの罰は仕方ないとしても
確かに彼は天狗になっていたのだろうと思う
だが彼の周りのあの環境で天狗にならない人間が果たしているだろうか?
品行方正な人間でいられたとしたら、むしろどこか気持ち悪くないか?
そう、何ら特別な事ではなく、普通の人が陥り勝ちな過ちに過ぎないのではないか
(多少度が過ぎたとしても)
多分青春を終えた人は、振り返ってみるとこんな経験をしたのではないか
自分のやる事なす事上手くいき、自信過剰になって、天狗になっていたが
ある時、思いっきり落とされ否定される
いったい自分の何が悪かったのか分からないほどに全否定される
でも本当はここからが勝負だ
いかにして自分自身が復活するか?
世間の評価での復活ではなく、自分が自分を褒められる
精神状態になれるまで復活ができるか?
そこで手を貸してくれる人がいれば彼は運がいい事になる
仮に人が離れていったとしてもそれはそれ
こうした人としての成長を見守ってあげるような視点はメディアにはないのだろうか?
メディアの問題は扱うテーマがあまりにも分かりやすさに特化しているところになる
以前歌舞伎「俊寛」と劇団四季の「キャッツ」を同時期に見た事があった
正直、四季の連中の鍛え方、訓練の方が凄いのではないか!と思ってしまった
歌舞伎は様式美の一言で客観性欠けた独りよがりの表現(?)と思った事があったが
こうした指摘が(違っているかもしれないが)誰に対しても
堂々と取り上げられればメディアやそれを受け入れる大衆もレベルが上がる
人を持ち上げて、思い切り落とす
人の不幸をみて優越感に浸る
芸能メディアの品のなさ
本当は市川海老蔵よりこの芸能メディアの方が問題視されるべきなのでは
海老蔵は、なんにしてもこれからが勝負!